ボーっとした後戻るとちょうど1時間ほど経っている。帰りの船が出るところであった。ビーチに行くと、空を乱舞するのが野鳥の群れ、群れ。明らかに食べ残しを狙っている様である。良く見ていると時折急降下して(下左から2枚目)、鮮やかに地上から何かをさらって行っている。
帰りの船も所要時間はあっという間である。三笠桟橋に着くと、客が降りると共に大量のごみ袋が陸揚げされている(下左から4枚目)。考えてみると、夜間に無人島になる以上はごみを放置すると野生動物に荒らされる危険性がある訳で、清掃の努力が欠かせないのであろう。もともと猿島には独特の生態系があり、ここに生息するアヤムナビロタマムシ(Sambus quadricolor quadricolor)なる昆虫は絶滅危惧種でもある様だ。今後も自然を守って行って欲しいものである。
帰りの船も所要時間はあっという間である。三笠桟橋に着くと、客が降りると共に大量のごみ袋が陸揚げされている(下左から4枚目)。考えてみると、夜間に無人島になる以上はごみを放置すると野生動物に荒らされる危険性がある訳で、清掃の努力が欠かせないのであろう。もともと猿島には独特の生態系があり、ここに生息するアヤムナビロタマムシ(Sambus quadricolor quadricolor)なる昆虫は絶滅危惧種でもある様だ。今後も自然を守って行って欲しいものである。





と言う訳で展望台からぼんやり眺めた東京湾がこちら。晴れた日の海と言うのは綺麗なものである。何というか、こうやってぼんやり頭をからっぽにするためにわざわざ無人島までやって来た様なものかも知れない。こういう時間もいいものである。というか、欧州人のバカンスは皆そんな感じだったけど。
ナミビア旅行

ナミビア旅行



島内をさまよう事しばし。同僚の方は子供時代、「この島の中のトンネルやら階段やらをあちこち探検するのが大好きであった」との事であるが、確かに中学生くらいなら面白いかも知れぬ。ただ中には急こう配で崖を下って海に降りていく階段などもあるので、あまり小さい子を連れて来ると危ない可能性もある。
島内にはうち捨てられた遺構があちこちに。下一番左はかつて大砲が据えられていた砲座のあと、左から2枚目は国内でも珍しい「フランドル積み」という特徴的なレンガ積みが見えるトンネルである。ちなみに、国内で他にフランドル積みで作られている建築物はどこか、御存じであろうか?実は先日世界遺産に指定された群馬県の富岡製糸場がフランドル積みの建物なのである。フランスからの技術導入で作られたからだそうな。現存するのはこの2つを含めわずか数か所という。
Wikipedia「富岡製糸場」
ひと巡りすると、少し眺めの良い展望台に辿りつく。ここからぼんやり海を見る事しばし。

島内にはうち捨てられた遺構があちこちに。下一番左はかつて大砲が据えられていた砲座のあと、左から2枚目は国内でも珍しい「フランドル積み」という特徴的なレンガ積みが見えるトンネルである。ちなみに、国内で他にフランドル積みで作られている建築物はどこか、御存じであろうか?実は先日世界遺産に指定された群馬県の富岡製糸場がフランドル積みの建物なのである。フランスからの技術導入で作られたからだそうな。現存するのはこの2つを含めわずか数か所という。
Wikipedia「富岡製糸場」
ひと巡りすると、少し眺めの良い展望台に辿りつく。ここからぼんやり海を見る事しばし。





さて島に上陸である。海水浴をする気はなかったので、島内の散策に向けてスタートする。いきなりかなりの急こう配の坂道を登る事になる。島内には何やら古いレンガ積みの施設があちこちに。
元々猿島は東京湾要塞と言って、東京湾に来襲する敵艦隊を迎え撃つために建設された要塞の一部をなしていたのである。
Wikipedia「東京湾要塞」
今の時代から振り返ればバルチック艦隊を全滅させ、「いやー日本艦隊は強かった!」などと言っていられるが、当時はロシア艦隊が東京湾内に侵入して攻撃してくる事態も当然の様に想定されていたのである。実際日露戦争中にはロシアの巡洋艦部隊が東京湾の沖合に出現したという事件は現実に起きている。
Wkipedia「ウラジオストク巡洋艦隊」
後に航空機の発達によって砲台は無用の長物となって行き、猿島も打ち捨てられてしまった。レンガ積みの壁にツタや木が生い茂る様子は何となく「天空の城ラピュタ」を思わせる。宮崎駿監督と言えば軍事マニアである事も有名であるが、ここ猿島も発想のうちに入っていたりはしないだろうか。
ちなみに初代の「仮面ライダー」を御存じの方はいないだろうか?あの「ショッカー」の秘密基地のありかはこの猿島という設定である。どこかから「ヒー」という声が聞こえてきたりして。

元々猿島は東京湾要塞と言って、東京湾に来襲する敵艦隊を迎え撃つために建設された要塞の一部をなしていたのである。
Wikipedia「東京湾要塞」
今の時代から振り返ればバルチック艦隊を全滅させ、「いやー日本艦隊は強かった!」などと言っていられるが、当時はロシア艦隊が東京湾内に侵入して攻撃してくる事態も当然の様に想定されていたのである。実際日露戦争中にはロシアの巡洋艦部隊が東京湾の沖合に出現したという事件は現実に起きている。
Wkipedia「ウラジオストク巡洋艦隊」
後に航空機の発達によって砲台は無用の長物となって行き、猿島も打ち捨てられてしまった。レンガ積みの壁にツタや木が生い茂る様子は何となく「天空の城ラピュタ」を思わせる。宮崎駿監督と言えば軍事マニアである事も有名であるが、ここ猿島も発想のうちに入っていたりはしないだろうか。
ちなみに初代の「仮面ライダー」を御存じの方はいないだろうか?あの「ショッカー」の秘密基地のありかはこの猿島という設定である。どこかから「ヒー」という声が聞こえてきたりして。







船で猿島までは大体15分程度。近づくにつれ、島の一角のビーチに海水浴やバーベキューをする人が集まっているのが分かる。島の上には食べ物の残りを狙ってか、鳥が旋回している。
猿島について。東京湾内部では最大の自然島である。
Wikipedia「猿島」
昼間は人が出入りできるが、夜間は無人島となる。昼間は海水浴場が一か所だけあるので、そこに皆が集まっているという次第。ちなみに同僚の方に言わせると、「沖合の島なので、海に入って行くと急に深くなるポイントがあるので注意」だそうである。皆様ご注意を。

猿島について。東京湾内部では最大の自然島である。
Wikipedia「猿島」
昼間は人が出入りできるが、夜間は無人島となる。昼間は海水浴場が一か所だけあるので、そこに皆が集まっているという次第。ちなみに同僚の方に言わせると、「沖合の島なので、海に入って行くと急に深くなるポイントがあるので注意」だそうである。皆様ご注意を。




歩き疲れた頃に辿りついたのが戦艦「三笠」である。言わずと知れた日露戦争・日本海海戦での殊勲艦である。
Wikipedia「三笠(戦艦)」
日本海海戦については詳細を語るまでもないだろう。日露戦争末期に日本海の制海権をかけてバルト海から遠路回航してきたロシア・バルチック艦隊と日本軍の艦隊が対馬沖で激突、ロシア艦隊をほぼ全滅させるという圧勝を得たのだ。
日露戦争は日本にとっては決して楽な戦いではなかった。もとより国力では圧倒的にロシアが上であり、消耗戦になれば日本が不利なのは目に見えていたのである。戦争前、1903年当時日本の年間国家予算は2億6000万円。しかして戦争全期間(19カ月間)に投入された戦費、実に17億円とも言われている。日本にとっては全財産をかけた大博打の戦争である。ところがこの日本海海戦の余りの圧勝ぶり(*)によってロシアは和平交渉のテーブルに付いたのである。まさしく日本にとっては救世主となった戦いであった。
今は静かに鎮座する戦艦であるが、この戦艦がイギリス製である事は知っておいてもよいだろう。当時日本海軍が保有していた戦艦6隻は1隻残らず外国製であったのだ。当時の日本には戦艦を自前で建造する能力はなかったのである。それに対してロシア海軍が持っていた戦艦15隻のうち外国製はアメリカ製の「レトヴィザン」とフランス製の「ツェザレヴィッチ」の2隻のみ。残り13隻は設計から建造まで全て自国で行っている。両国の基礎的な技術力、工業力の格差は圧倒的であったのだ。勝利は時の運と言うが、少なくも当時の日本の首脳陣達は、どれほど自分達が危ない橋を渡っていたかは分かっていた筈である。一説にはその世代が引退した頃に、日本は太平洋戦争への道を転がって行ったとも。
Wikipedia「日露戦争」
三笠には時間がなく結局入らず。艦尾の方に回り、猿島行きのフェリーを目指す。
(*)もちろんそれだけでなく、ロシア国内での厭戦気分、そして「血の日曜日事件」も有力な引き金の一つである。
Wikipedia「三笠(戦艦)」
日本海海戦については詳細を語るまでもないだろう。日露戦争末期に日本海の制海権をかけてバルト海から遠路回航してきたロシア・バルチック艦隊と日本軍の艦隊が対馬沖で激突、ロシア艦隊をほぼ全滅させるという圧勝を得たのだ。
日露戦争は日本にとっては決して楽な戦いではなかった。もとより国力では圧倒的にロシアが上であり、消耗戦になれば日本が不利なのは目に見えていたのである。戦争前、1903年当時日本の年間国家予算は2億6000万円。しかして戦争全期間(19カ月間)に投入された戦費、実に17億円とも言われている。日本にとっては全財産をかけた大博打の戦争である。ところがこの日本海海戦の余りの圧勝ぶり(*)によってロシアは和平交渉のテーブルに付いたのである。まさしく日本にとっては救世主となった戦いであった。
今は静かに鎮座する戦艦であるが、この戦艦がイギリス製である事は知っておいてもよいだろう。当時日本海軍が保有していた戦艦6隻は1隻残らず外国製であったのだ。当時の日本には戦艦を自前で建造する能力はなかったのである。それに対してロシア海軍が持っていた戦艦15隻のうち外国製はアメリカ製の「レトヴィザン」とフランス製の「ツェザレヴィッチ」の2隻のみ。残り13隻は設計から建造まで全て自国で行っている。両国の基礎的な技術力、工業力の格差は圧倒的であったのだ。勝利は時の運と言うが、少なくも当時の日本の首脳陣達は、どれほど自分達が危ない橋を渡っていたかは分かっていた筈である。一説にはその世代が引退した頃に、日本は太平洋戦争への道を転がって行ったとも。
Wikipedia「日露戦争」
三笠には時間がなく結局入らず。艦尾の方に回り、猿島行きのフェリーを目指す。
(*)もちろんそれだけでなく、ロシア国内での厭戦気分、そして「血の日曜日事件」も有力な引き金の一つである。
歩き続けてさすがに少し腹が減ってきた。どこかで食事を。。と思って立ち寄ったのがこちら、「ハニービー」である。この店、まさしく米軍横須賀基地の目の前に位置するのだ。お店のスタッフの方の許可を頂いて撮ったのが写真である。見ての通り、アメリカの軽食店と言った雰囲気である。店内のメニュー表も当然英語が併記してある。壁には米軍の軍人らしき人達の記念写真らしきものがあちこちに貼り出してある。恐らくは夜間は米軍人達が相当数に訪れる場所なのであろう。もう営業は40年以上になるという老舗である。
どぶ板通り商店街のホームページを見ると売り出し中の「横須賀ネイビーバーガー」なるものがある様なのでこちらを注文する。食べてみるとこちら「肉の脂身が少ない」のである。何というか「肉を食べている!」という感じがするバーガーである。スウェーデン人も脂身の少ない肉を好んでいた印象であるが、恐らくはアメリカ人もそうなのであろう。
一個食べきるとお腹いっぱいである。店を出て次の目的地に向かう。

どぶ板通り商店街のホームページを見ると売り出し中の「横須賀ネイビーバーガー」なるものがある様なのでこちらを注文する。食べてみるとこちら「肉の脂身が少ない」のである。何というか「肉を食べている!」という感じがするバーガーである。スウェーデン人も脂身の少ない肉を好んでいた印象であるが、恐らくはアメリカ人もそうなのであろう。
一個食べきるとお腹いっぱいである。店を出て次の目的地に向かう。

