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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

横浜その21

2017-02-05 18:20:56 | 日本国内旅行(横浜2017)
すっかり暗くなってしまった。タワーを降りて売店に行く。横浜のキャラクター、ブルーダルのマスコットグッズなども売っていたが今回は購入していない。
Wikipedia「ブルーダル」

最後は残った写真を適当に。上は「水の守護神」を正面からみたところ。

下は左から
1枚目:夜のマリンタワー。
2枚目:マリンタワーのシンボルマーク。
3枚目:マリンタワーの内部にあった、クレイジーケンバンドのモニュメント。同バンドは横浜が本拠地である。
Wikipedia「クレイジーケンバンド」

駆け足であったが楽しかった。みなとみらい地区や山手の洋館などもあるが今回は行けていない。いずれ時間が出来たら行ってみたいものである。


横浜その19

2017-02-04 23:53:00 | 日本国内旅行(横浜2017)
タワーの上から見る横浜の夜景である。これは確かに一見の価値ありである。上写真は横浜ベイブリッジ。
Wikipedia「横浜ベイブリッジ」

下写真は左から、
1枚目:氷川丸とその横の桟橋に停泊するシーバス。
2枚目:桟橋に停泊する船。
3枚目:夕闇に見えた富士山。
4枚目:横浜ランドマークタワーとみなとみらい地区。だいぶ夕闇が迫っている。


横浜その18

2017-02-04 23:46:55 | 日本国内旅行(横浜2017)
船を出て山下公園を横断し、向かう先は共通券を買ったマリンタワーである。もう冬の夕暮れ時であるが、ボール遊びやバトミントンなどをする人で公園はにぎわっている。
さて横浜マリンタワーである。もともとは1961年の建設であるから随分古い。京都タワーが1964年であるからほぼ同世代であろうか。世界のどんな都市であっても高いところに上って景色を眺めるという行為は観光として成立するものである。一時は入場者減で存続も危ぶまれたが、途中でリニューアルして今は客を集めている。色も昔は白と赤であったのをシルバーとブラウンオリーブに塗り替え、シックな雰囲気になった。
京都その16
Wikipedia「横浜マリンタワー」


横浜その17

2017-02-04 22:44:18 | 日本国内旅行(横浜2017)
氷川丸の残った写真を適当に。上は船内。ランプも地味に趣味が良い。下左は船内にあったピアノ、下右は子供の遊戯室である。

華麗な船歴を誇った氷川丸であるが、やがて歴史の荒波にもまれることになる。太平洋戦争である。氷川丸には2隻の姉妹船(日枝丸、平安丸)があったがいずれも戦没した。日本郵船には同じ北米でもサンフランシスコ航路についていたもう3隻の豪華客船、浅間丸・龍田丸・秩父丸もあったが、こちらもことごとく戦没した。中でも龍田丸は兵員輸送中に潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、乗組員・乗船者合計1481名全員戦死、生存者ゼロという悲惨な最期であった。
Wikipedia「龍田丸」
ただ1隻、氷川丸だけが強運もあって戦争を生き残る。戦後、再びアメリカとの航路に客船として就航したが、飛行機の発達もあって次第に活躍の場を失い、最後の余生として横浜に係留されることとなったのである。
余談であるが、「hi」は英米人には「ハイ」と読まれることが多かったようで(youtubeで英語の戦争関連の動画を見たとき、空母「ハイヨウ」という単語を聞いて?と思っていたが、確認すると日本軍の空母「飛鷹(ひよう)」であった)、氷川丸は「ハイカワマル」と読まれることが多かったそうな。

次第にあたりが暗くなってきた。氷川丸を後にして次の目的地に向かう。


横浜その15

2017-02-04 02:06:40 | 日本国内旅行(横浜2017)
さて最後は機関室である。当時は日本の工業力もまだまだ、海外で「made in Japan」と言われれば粗悪品というイメージであった時代である。こちらもエンジンは外国製であった。デンマークの会社が作ったディーゼルエンジンで、確かに良く見ると下右写真のように計器盤などには英語が目立つ。


横浜その13

2017-02-02 23:01:04 | 日本国内旅行(横浜2017)
上写真は3等客室。かなり狭い。同室者にいびきをかく人などがいれば寝れなかったであろう。ちなみに横浜―シアトルの船旅の日程は13日間であったそうで、この環境で過ごすというのもなかなかに辛そうである。それでも3等の片道運賃が110-140円であったという。現在の金額にしたら数百万円であろう。大変な時代である。航海中には手紙を書くことも出来た。下写真は船内のポストで、投函すると専用のスタンプが押されたとか。
氷川丸の乗客となった有名人についてもう一人。日本柔道の父・嘉納治五郎もその一人である。1938年、エジプトのカイロで開かれたIOC総会の帰りに氷川丸に乗船した。そしてその帰途、船内で肺炎を起こして亡くなってしまうのである。享年77歳であったという。
Wikipedia「嘉納治五郎」



横浜その12

2017-02-02 00:52:06 | 日本国内旅行(横浜2017)
写真が1等客室。やや狭いながら洗面台もあり、当時としてはかなり破格の高級さであったのだろう。1等の横浜―シアトル間の運賃が片道で当時500円であったという。そして当時は1000円で家が建ったのだというから、大体現在の価格で1000から2000万円の間くらいなのであろうか。とんでもない金額である。
当時の有名な乗客の一人がチャールズ・チャップリンである。各社争奪戦の中、氷川丸で帰国することとなり、日本郵船の宣伝に貢献した。もともと日本びいきの人物であったようで、彼が愛用していたステッキは滋賀県の竹で作られたものである。
Wikipedia「チャールズ・チャップリン」