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スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

クロアチア旅行その28 雑

2012-09-03 22:51:38 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
最後、スウェーデンに帰国である。今回はドブログニク近辺のみで帰国となったが、実際はクロアチアにはまだまだ見どころが多い。有名なのは世界遺産にも指定されたプリトビッツェ国立公園(Plitvice Lakes National Park)
Wikipedia「プリトビッツェ国立公園」
や、マルコ・ポーロの生誕地という伝説もあるコルチュラ島(Korčula)
Wikipedia「コルチュラ島」
イタリアのカプリ島ばりの青の洞窟を持つビシェヴォ島(Biševo)、クルカ川国立公園(Krka National Park)、スプリット(Split)をはじめとするアドリア海沿岸都市、そして首都ザグレブ(Zagreb)などである。

余った写真を適当に。上はドブログニグ旧市街。下左から:
1枚目:市街で寝転がる猫。
2-4枚目:帰りの空港へのバスはロープウェーの駅の前である。そこから見える光景。
5枚目:ドブログニク空港。
6・7枚目:帰りの飛行機から見えるクロアチアの大地。

今回の旅は本当に「太陽を良く浴びた」旅であった。クロアチア-スウェーデン間の飛行機は周囲の飛行機に比べてもかなり混み合っていた。スウェーデンの生活で欲しくなるものが揃っているのであろう。自分も行けて良かったと思う。
いつの日かもう一度訪れてみたいものだ。それまでこの地域に平和が続くこと、海が綺麗なままな事を祈りたい。


クロアチア旅行その27 青空市場

2012-09-02 23:41:45 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
最後。旧市街の朝市である。グンドゥリチェヴ広場(Gundulićeva poljana)での青空市場である。
基本的に青果や果物、土産物などが多い様に思う。ちょっとトマトを買ってみた。やはりスウェーデンのトマトとは明らかに味が異なる。南国のトマトは熟していて柔らかい。



クロアチア旅行その26 ドンドー・マロイエ

2012-09-01 22:20:39 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
さて、最後になったがレストランである。何処に行ってもそれなりの味であったが、なかでもこのレストランは個人的には良かったと思うので紹介しておきたい。ドンドー・マロイエ(Dundo Maroje)である。
日本語のメニューも置いてあり、また料理の味も非常に気に入った。下写真は一番左がバルカン半島風一口ハンバーグ、ケバブチチ(Kebabcici)、中央が魚のスープ(これは特に良かった)、右がこの地方風のプリン、ロジャータである。どれも良かったし店の人も親切であった。日本人の姿も目立った。ちと場所が分かりにくいのが難点なので、店から貰ったチラシの写真を上に載せておきたい。聖ブラホ教会の近くである。


クロアチア旅行その25 スルジ山展望台・雑

2012-09-01 22:04:05 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
最後、展望台の写真で余った写真を適当に。上写真はアドリア海に沈む夕日。

下左から:
1枚目:駅の中に貼ってあった写真。Atlas社はどうも歴史があるらしく、昔のロープウェーの写真にもAltasの文字がある。
2枚目:駅の近くに花を咲かせていた植物。棘だらけであった。
3枚目:日が落ちた直後のアドリア海。
4枚目:街灯が付き始めた市街。
5枚目:完全に日が落ちた後の旧市街。

ロープウェーに乗り市街に戻る。美しい景色であった。


クロアチア旅行その24 戦争博物館

2012-08-31 00:35:11 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
さて、美しい景色を堪能して帰ろうか。。と思って振り向くと、写真の様な崩れかかった建物がロープウェーの駅の裏手にあって、そこにパラパラ人が歩いて行くではないか。何だろう?と思って歩いて行くと、これが戦争博物館であったのだ。言うまでもなく先のドブログニク包囲の戦闘を記録した博物館である。
クロアチア旅行その4
元々はナポレオン時代に建設された砦で、オーストリア・ハンガリー帝国時代に拡張されたものである。考えてみれば街を一望できる展望台と言う事は、当然ながら軍事的には重要地点であったのだ。包囲の際にはこの砦が最後まで陥落しなかった事が重要な意味を持った。
内部には当時の武器などが展示されている。AK47、RPG-7ロケットランチャー、サガー対戦車ミサイルなど現代の紛争でも使用される様な兵器も目に付くが、中にはシュパーキンPPsh41短機関銃
Wikipedia「PPSh-41」
の様な1940年代の兵器も並んでいたりする。兵器不足に悩んでいたのであろう。こちらも戦闘の主体は警察官などであった。
部屋の一つではビデオで市街の砲撃の画像を延々を流している。今まで見て来た市街が砲煙に包まれる様子と言うのは何とも生々しい。現地の人なのか、まだ小さい少女などが黙って画像をずっと見ていた。



クロアチア旅行その21 スルジ山ロープウェー

2012-08-28 22:06:49 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
ドブログニクに帰った後、最後に登るのはスルジ山(Srđ)である。現在はロープウェーで上に登る事が出来るのだ。ロープウェー乗り場は意外と分かりづらい位置にある。少し旧市街からは歩く事が必要である。ちなみにドブログニクから空港に向かう際にはこのロープウェーの前にバス停があるので注意である。
新しいロープウェーで、建物のプレートには2010の文字が見える。恐らくは2010年に建設(正確には再建だが)されたばかりなのであろう。乗ると、最初はゆっくりと始動するが、途中からどんどん速度を上げていく。結構なスピードである。山の標高は412mであるが、あっという間に山頂に到着した。


クロアチア旅行その20 三島クルージング

2012-08-27 23:21:36 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
そして最後に行くのはロプド島(Lopud)である。
Wikipedia「Lopud」
どうもここで一番有名だったのはビーチらしく、水着を持ってきていなかったのは誤算であった。とりあえず裸足で海にちょっと入ってみる。膝上まで漬かってみたが、それでも海底のかなり小さな魚まではっきり眼で見える(下左から5枚目)。大した透明度である。
ここで時間をつぶすこと数時間。皆様は参加する時は是非水着ご持参で。夕刻にドブログニクに戻った。


クロアチア旅行その19 三島クルージング

2012-08-27 22:43:52 | 旅行(クロアチア・ドブログニク2012)
しばらくブラブラした後、船は出航する。次の行き先はシパン島(Šipan)である。
Wikipedia「Šipan」
この近辺の列島では最大の島であるらしい。島には貴族の邸宅などが残されている。美しい自然も見られるが、ガイドの説明によればここの生活にも色々苦労は付き物の様である。何と言っても医療と教育の二つが大きな問題の様だ。特に救急医療は大きな問題らしい。ドクターヘリがまだ就航していないと言うのだ。また教育も若い人が高等教育のために本土に渡り、そのまま本土で就職してしまう事が多いらしく、島の人口はだんだん高齢化して来て居るのだと言う。そう言えば日本の離島でも同じ様な問題を聞くような。
しかし景色は美しい。下左から5枚目と6枚目が貴族の邸宅。