あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

キティちゃんバスみっけ~~♪

2006-03-28 23:16:08 | 思い出


この間、娘と買い物に出かけたら、何とも可愛らしい幼稚園バスを発見!

信号待ちの間に写真を撮ってみた。
斜め後ろだったので、なかなか美味く撮れずに助手席にいた娘が身を乗り出して撮ったものだ。
うちの子達が幼稚園の時は、あんなに可愛いバスはなかったなぁ~。

元々、pochiko地区では、ほとんどの子供達が、近くの保育園に通っていた。
そこは通園バスはなく父兄の送り迎えだったので
当時勤めていて、じいちゃんばぁ~ちゃんも何かと忙しい人だったので
通園バスがある、少し離れた幼稚園に通わせる事にした。

地区から幼稚園に通ったのは、うちの子が初めてだったが
次の年からは何人かが通うようになり、今はかなりの子が幼稚園に通っているようだ。

その幼稚園で思い出したが

我が家の次女は今でこそ活発で販売業をこなしているが
幼稚園の頃は人見知りが激しい痩せっぽちな子で
食も細く、からかわれたりすると内にこもってしまっていた。

ある日、幼稚園に行きたくないと駄々をこねた。
話しを聞けば、食の細い次女はお弁当を残さずに食べられない事を
クラスの男の子にからかわれたらしいのだ。
仕方がないので、極々小さなお弁当を持たせてやることにした。

ピンポン玉くらいのおにぎりとから揚げ、苺を各一個のお弁当。
それくらいなら食べられたらしく、ご機嫌で幼稚園に通うようになった。

今度、心配なのが小学校にあがっての給食だった。
担任の先生に、あらかじめ話しをしておいたので
その先生は、次女ともう一人の子の為に、先生直々に給食を少しに取り分けてくれた。
他の子にからかわれないようにと細心の注意を払ってくれた。

この間小学校5年生の子が、担任の先生と折が会わなくて自殺した事件があった。
どっちが良いか悪かったのかは分からないが
父兄と先生と子供が、お互いに話し合い理解しあえば
こんな悲しい事件は起こらなかったのではないだろうか…と思った。

我が家の次女も、ちょうど5年生の頃までは引っ込み思案の子だったが
その時の担任の先生と馬が合ったのか
まだ若い男の先生で、いろんな事に挑戦するようになり
水泳や陸上の強化練習に参加したり、会津祭りに行われる鼓笛隊パレードのバトンに出たり
どうしてバトンなんだ?と思ったら、目立つからだとのたまう。

あれから、幼稚園の頃の軟弱な泣き虫娘の影はすっかりとなくなり
いや。。。なくなったと言うより、良い部分を見出されたと言ったほうが良いかも知れない。
これも幼稚園の先生や1年と5年の時の先生に良い影響をもらったからだと思う。

今ではすっかりと昔の面影もなく、未だ嫁にも行かずに張り切っている。


コメント (16)
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