あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

pochikopochikoの介護な日々 【 入院 】

2005-06-16 15:47:58 | 介護

 ば~ちゃんの好きだった花 クレマチス


最近 ば~ちゃんは風邪を引いてしまったようで痰の絡んだような咳が出る。
毎週行っている、ディケアはお休みをする事にして
ホームに体調が悪い旨ディケアの休みを連絡をしたが
なにやら 子供たちが小さな頃に幼稚園に欠席の連絡をしたのを思い出してしまった…。

今日は、ば~ちゃんが入院した時の事を少し話してみようと思う。

あれから、帰宅する事は叶わず即入院となってしまった。
病院というところは、三ヶ月が限度で、それ以上は状態が安定したら
自宅か施設か…何処かへ場所を移さなければならない所のようだ。

ば~ちゃんが入院したのは、おりしも会津秋まつりの最終日9月24日だった…。

入院してからすぐは自分でベッドの脇に置かれたポータブルトイレに
手を貸してあげれば用を足すことが出来たのだが
すぐに食事も取れないほどの深い眠りについた。
何処が悪いのかと思えるほどの安らかな、軽いいびきをかきながら
ば~ちゃんは、こんこん…と眠りつづけるのだった。

その間は点滴で栄養補給をする日々が約一ヶ月。
次の一ヶ月は鼻からチューブを入れて栄養を補給していた。

その間、pochikopochikoは入院の準備をしたり家の雑事を片付けたり
そして一番大事な親戚やば~ちゃんの兄弟である叔父伯母への連絡で目のまわる思いだった。
特にば~ちゃんの兄弟はお年を召してる面々なので対応が大変だった…。
とにかくウルサイ! 今にも死んでしまうのかと思われるほどに
手を取って言葉を続けている。

まだ 大丈夫だから。
人間はそんな簡単には逝かないから…たぶん。
心の中が凍りついたように何も考える事が出来なかった。

入院中のば~ちゃんは、鼻にチューブを入れる頃には意識が戻っていて
ようやく進行状態が治まったのだと思った。
もちろん 食べ物はチューブの元にある大きな哺乳瓶のような物に入れる。
完全栄養食、流動食と言うのだろうが当時私達はミルクと呼んでいて
薬も一緒に自動的に胃の中へ入って行く。
その薬には脳を刺激する薬が入っていて幻覚幻聴の副作用がある、そんな医師の説明だった。

なにか同じ病室にミルクを飲む人が並んでいると
飼育されているような気がしたのは私だけではないと思う。

その副作用は、けっこう凄まじいものがあって夜中の間にオムツを引き千切って
ベッドの下は、さながら雪が降ったような惨状になる。
看護士さんは慣れたもので、あらあら…なんて片付けてくれてたのだが
他には、あまり手におえなくなると、車椅子に体がずり落ちないように
サラシで固定された、ば~ちゃんが看護士詰め所で手元には聴診器をいっぱいに抱えている。

情けなかった…涙が出た…。
あの しっかり者だったば~ちゃんの姿が哀れに見えた。
申し訳なさで、これ以上小さくなりそうもない体を
何処において良いか分からないくらい恐縮していたpochikopochikoであった…。

あの頃が一番のどん底だったと思う。
今は昔の話になってしまったが、今年の9月で9年目になるのかなぁ…。

まぁ 入院中の、あんな話こんな話はてんこ盛り状態なので
おいおい話すことにして…。

この入院中の三ヶ月間の間
ば~ちゃんの相方、じ~ちゃんの認知症が密かに深く浸透していた事を
pochikopochikoは知るよしもなかった…。
コメント (2)
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