ぽちごや

FC東京のディケイドSOCIOです。今シーズンは丹羽ちゃんとともに闘います。

いつもそこにいてくれたひと

2018-01-04 22:09:03 | FC東京

徳永悠平選手。親愛を込めて、普段通り徳様と呼ばせてください。

FC東京通算515試合出場
Jリーグ通算499試合出場
日本代表9キャップ
アテネオリンピック代表
ロンドンオリンピック代表
ユニバーシアード2005優勝

輝かしく近寄りがたい、素晴らしい実績を残されてきた徳様ですけど、一方で。

飛田給のスピードゴリラ
ローソン店長
ネンイチ
大家族パパ

東京では、独特の間をもつキュートないじられキャラで、あらためて経歴を振り返ると、偉大さにかえってびっくりするくらいです。

ぼくらにとっては、徳様はいつもいつの時もそこにいてくれる、当たり前の存在でした。身近にいるがゆえ、週末に会う短い時間のなかで、徳様は居てくれることすら確認する必要がありませんでした。いまにして思えば失礼なことなのだけど、東京の土台としてそれほど信頼していたのだろうと思っています。

でも、当たり前であるがゆえ、徳様に求めるリクエストは案外とても高かったかもしれません。徳様が移籍と聞いて、徳様入団以来はじめて徳様だけにフィーチャーしてプレーを見てみました。14年間ではじめてです。同様に、ディフェンダーに注目することはないので比較はできないのだけど、素人目にみても安定感にあふれていました。

普段ディフェンダーが目に入るのはディフェンシブサード以降です。だからピンチ、とくにボールを持っているアタッカーと対峙している時からです。だからどうしても受け身の状況で観ることになります。しかも観るがわは止めて当たり前だと思っていますから、しっかりプレーしてもサポの評価が上がることはありません。試合を通じてミスがなくてはじめて、しかもそれを続けて、ようやく信頼するようになります。

徳様はそれを、高い次元で14年間続けてきました。

普段目にしないのは、徳様のポジショニングです。ネガティヴトランジションが起きると、周囲を確認して、すでに最適なポジションを取っています。相手の攻撃のほとんどは、この時点で防いでいます。徳様が簡単にクリア、ないしタックルしているように観える場合は、攻守の切り替え時点で、すでに1on1のポジショニングの優位性を確保しています。

もちろんポジショニングの良さは、攻撃へのチャレンジとトレードオフになります。もしかしたら、年齢を重ねるなかで、守備加重を重視するようになったかもしれません。もっとも、今年は3CBの右をやることが多く、チーム事情もあって、SBとは攻守の加重が違っていただろうと思います。だから、徳様のフィジカルの限界は、まだまだわかりません。

ぼくは、徳様のオーバーラップが大好きでした。近年ではランニングフォームがスマートなスプリンター系の選手が多いSBですけど、徳様はそれとは一線を画す独特のキャラクターです。ストライドが短くピッチがはやい足さばきで、手をシュタっという音がするように大きくふって走る姿は、いかにも重馬場が得意そうな重厚感がありました。あまり進んでないようにみえて実際には加速力がとても高く、ど迫力で一気に敵陣に斬り込みます。走りかただけで一目で徳様とわかりますから、サポへのアピールも高く、なにかやってくれる期待感があふれていました。

徳様への期待といえば、ネンイチ。ネンイチですから、年間で観られる確率は34分の 1。徳様がアタックするたびに、すわこれはネンイチかっと心が湧きたちます。実際のネンイチは14年間で5回ですから、観られる確率はもっと低く、ぼくは徳様のゴールをほとんど記憶していません。ごめんなさい。ネンイチの途切れとともに幻となった徳様のチャントでしたけど、今年の最後に復活してホントに良かったです。

徳様は、入団前から知名度が高く鳴り物入りで入った最初の選手です。特別指定の当時は、加地さんが好きだったこともあって、徳様を色眼鏡でみちゃった部分もありました。でもパワーとスピードを源とした躍動感を強く感じた鮮烈な記憶は今でも覚えています。あれから13年して、今度は室屋さんが特別指定でやってきて、当時の徳様と同じく世代交代のチャレンジを挑んできました。時の流れを感じます。むしろ徳様は、あとを任せられる室屋さんが登場したことも故郷に帰る決断を促した理由のひとつのような気がします。

徳様、14年間おつかれさまでした。

徳永悠平選手は、2018年シーズンからV・ファーレン長崎でプレーすることになりました。来年からは対戦相手として徳様に会うことになります。徳様はもともと特別なお立場ですからいつか長崎に戻られると思っていました。あと数年、大切なセカンドキャリアに移られる前に、体が動く数年間を故郷のサッカー界に身を投じられます。とても素敵なことだと思います。しかも、長崎の初J1イヤーに華を添えるのですから、誉れも高いでしょう。ずっとずっと長く、長崎の方々に愛されるますように、願います。

徳様、本当に長い間ありがとうございました。東京の徳様の記憶は、永遠にぼくらのなかにあり続けます。またワクワクする走りを観られることを楽しみにしています。お元気で!


FC東京2017シーズンレビュー

2018-01-04 14:16:44 | FC東京

新年あけましておめでとうございます。

みなさまのお正月はいかがお過ごしでしょうか。自分は今年は天皇杯決勝には参加せず、岡山でのんびり過ごしました。

2016シーズンの東京は、過去に感じたことがないほどの現実的な期待感ではじまり、過去に感じたことがないほどの倦怠感のなかでおわりました。

例年はoptaデータをサマライズして、ある程度客観的にシーズンを振り返るのですけど、今年は観念的に捉えたいと思います。データを分析する余力がないというのが本音なのですけど、今年ほど、観念的なシーズンはなかったからです。

というのは、いうまでもなく、嘉人。

平均ゴール数、シュート数とも、例年シーズン順位と同じくらいのランキングですけど、2013年と2014年に限っては飛び抜けて良い成績を上げています。この経験が、選手、スタッフ、スポンサーそしてサポに、現実的な目標として、リーグチャンピオン、さらにはACL優勝を具体的に視野にする欲求を持たせることになりました。

その想いとはうらはらに、期待の根拠となっていたよっちが移籍します。つまり、2016年からの東京は、優勝とゼロからのチームビルドの両方を目指すという、矛盾を負うことになりました。さらには、選手をインハウスで育成するというチームミッションと、経済合理性に基づくというチームビジョンもあいまって、いわば四重苦に挑戦する二年間だったと思います。

昨年は、そのすべてをヒロシにたくしました。フィッカデンティさんのサッカーに対するアレルギー反応から、真逆のサッカーへの志向が納得感のすべてだったと思います。結局、フィッカデンティさんが蓄えた貯金を切り崩すことで一年間なんとかのりきりました。

そこで2017年は、具体的なエビデンスを用意します。それは攻撃陣のタレントです。なかでもウタカ、洋次郎、永井そして、嘉人。ウタカは3月からですけど、これで2009〜2010年、2013〜2016年と、実に三人で6年間ものJリーグピチーチが揃うことになります。それも、直近2年の得点王ですから、リアルタイムな実績として、期待しないほうが難しいというもの。

もしかしてこれは、2008年からスタートした、強く、愛されるチーム作りの紆余曲折を経て、強引に理想像を生み出そうという、覚悟、もしくは焦燥の現れだったのかなと、今にして思います。

それを象徴したのは、嘉人です。強く、愛される東京作りを牽引する役として、まずは監督をセレクトしてきました。結果として、ポポさん、フィッカデンティさん、ヒロシと、香りが強すぎるが故のアクを残すことになりました。もちろんヒロシを除けば、実績のないなかでのチャレンジですから、もしかしたら大成する可能性もなかったわけではありません。事実、フィッカデンティさんは限りなく頂点に近づくことができましたから。

2017年の東京は、牽引者を選手に置くことに決めて、嘉人を据えます。そして嘉人は、アクそのものでした。

ぼくらの嘉人への期待はシンプルです。それはゴールです。嘉人のキャラクターに感化された人にとってはそれ以上の期待が起こっていたようですけど、なにをしようがなにを言おうが、期待することはただひとつ、ゴールです。

一方で、ぼくらの嘉人への不安は、ゴールゲッターではなくチャンスメーカーになることでした。残念ながら、不安のほうが顕在化することになります。5年ぶりに二桁ゴールを逃し、2012年に近い、低調なシーズンになってしまいました。

嘉人の年度別の経歴を見ると、川崎時代の四年間が突出していることがわかります。通算で平均20.5ゴールは驚異です。なにが嘉人を変えたのかは、嘉人に聞かないと真実はわかりません。でも客観的にみると、川崎時代とそれ以外ではあきらかな差異があります。いわずもがなですけど、風間さんと憲剛。

嘉人の選手としての魅力はなんでもできること。ゴールゲッターからチャンスメーカー、オーガナイザー。はては、やろうと思えばリベロくらいは高次元でできてしまうのではないかと思えます。ただ、ひとりでは強いチームを作ることができないのがサッカーです。嘉人をもってしても、トランジションからチャンスメーク、そしてシュートに至るまでをすべてひとりでこなすことはできません。監督にしてみれば、嘉人が二人いればなと思うことでしょう。川崎は、その意味で奇跡的なチームでした。嘉人がいて憲剛がいて、彼らを活かすサッカーを貫く風間さんがいました。嘉人の稀有な活躍は、川崎だからこそ成せたのだろうと、今だからそこ思います。

それでも嘉人はチーム成績としては無冠です。嘉人が東京に移籍したとき、メディアは優勝請負人的な扱いをしていました。嘉人自身もそのような発言がありました。嘉人の真意はともかく、嘉人には優勝の経験がありませんから、請負人たる根拠がなく、当初から違和感を覚えていました。チームをひっぱろうなどと余計なことは考えなくて良いから、豊富なゴールアプローチの抽斗から、東京の闘いかたに沿う方法を選んで、ただゴールを量産してくれることだけを期待していました。それがともすれば難問をかかえこみそうな東京にとって、唯一の優勝への道だと思ってましたから。

川崎時代を封印して、本来の嘉人が戻ってきます。嘉人の本質はマゾヒスティックなチャレンジャーだと思います。あるいはエクスプローラー、あるいはお山の大将。チームが期待したということもあるのだと思うけど、東京には、嘉人が本質を現す隙があったのでしょう。

嘉人が目指すサッカーのイメージは、本人は否定するけど、より川崎に近いと思います。サッカーを主導型と受動型に極論するならば、嘉人のサッカーは主導型で、東京のそれは受動型です。わかりやすい代表例は、前者はバルサで後者はマドリー。つまり、もはやイデオロギーの領域です。東京が嘉人に抱いた疑念も、嘉人が東京に感じた失望も、ようするにイデオロギーのギャップです。これはいかんともし難い。サッカーがチームスポーツである以上、あゆみよるべきは選手であることは言うまでもありません。どういう経緯かはわからないけど、嘉人のイデオロギーを前面に出してしまったことは残念でなりません。

主導型を目指す場合に不可欠なのは、オーガナイザーです。選手の例をあげるなら、俊輔、ヤットそして憲剛。東京が受動型の道を選んだのは、ポポさんの反動であり、フィッカデンティさんの影響力でもあるのですけど、つまりはオーガナイザーがいなかったからです。梶山に期待していたけど、度重なる怪我や移籍の影響で象徴にはなり得ませんでした。そこにきてよっちの成長が、オーガナイザーがいなくても勝てることに気づかせます。

なによりも、もりげです。チームをプレー面ではなくメンタル面でひっぱるオーガナイザーが最終ラインにひかえることは、サッカーの端的な目的であるゴールから遠ざかることを意味します。もりげの孤独な苦しみを救ってくれたのがフィッカデンティさんでありよっちだったのでしょう。その効力はもりげにとどまらず、宏介、慶悟、ヨネ、いなくなったけど広貴や権田にもしみこんでいると思います。そして、ぼくらサポにも。

東京は、ある意味伝統の礎となる芽を摘む選択をします。そのためにオーガナイザーを必要とします。それが洋次郎です。さらにはポストよっちとして、ドラスティックな変革の緩和剤も用意します。それが永井。洋次郎はトップ下からボランチに下がることで大成し、さらなる成長が期待される選手です。でも、少なくとも今年は、嘉人が必要とする、嘉人を使うオーガナイザーを担うことはできませんでした。嘉人がぼくらの期待に反し、おのがサッカーを持ち出した一番の理由は、洋次郎がオーガナイザーではなかったことにあると思います。

永井は、守備面で期待を良い意味で裏切る活躍をみせてくれました。むしろ困ったら永井作戦に徹するほうが、東京らしさの芽吹きに適したかもしれません。もっともシュート精度とアテンプトは予想通りですから、永井が単独でポストよっちになり得ないことは明白ですけど。

2017年の東京は、3月を3勝1敗、カップ戦を入れると4勝1敗と、好スタートを切ります。その間は、4+4の守備ブロックを優先し、オーガナイザーを置かないフィッカデンティスタイルの延長線で闘います。このままいけば良かったのだけど、すでに崩壊の芽は出ていました。ひとつにはフィッカデンティスタイルの申し子の広貴の離脱。もうひとつは嘉人にゴールがなかったことでしょう。広貴の離脱は、献身的なフォアチェッカーがいなくなることとともに、闘魂の表現者が消えることを意味します。これでフィッカデンティイズムが、その主張を表現する根拠を失います。そのことが嘉人イズムが頭を持ち上げるきっかけになったと思います。嘉人はフラストレーションを溜めていたのでしょう。リアリスティックなカウンタースタイルに洋次郎と永井はぴったりはまっていましたから嘉人にもその流れにのってほしかった。この間に嘉人に個人的な結果が出なかったことが無念でなりません。

広貴の離脱以降のシーズンの流れを振り返ります。イデオロギーギャップの違和感は、6節札幌と7節浦和の連敗で埋み火となり、11節柏から13節甲府の三戦未勝利を経て、清水戦でひと息入れてからの、15節F・マリノス戦から20節川崎戦まで六戦未勝利に連続失点。連敗は二回とそれほど多くはないのですけど、点が取れず勝ちきれないことに嘉人の攻撃イズムが相まって、東京的な価値観ではけして内容は悪くないのにフラストレーションをためる人が徐々に増えていきました。

その間事件が起きます。17節セレッソ戦から19節新潟戦まで嘉人が欠場。その間の公式戦の成績は1勝2分1敗。失点数はともかく四試合すべてに得点していて、嘉人不在でもそれほどチームの成績に影響はありませんでした。それよりもむしろ、セレッソ戦でもりげが離脱して、残りのシーズンをもりげ不在で闘うことになったことのほうがネガティブな要素になったと思います。

中断期間中に、もりげ不在の対策を施します。それが、嘉人不在の期間に重なりますけど、より嘉人のサッカーに寄せたアジャストをします。この選択は、一見すると選手の主張をひとつにし、チームの方向性を決めたように思えますけど、実態は嘉人ひとりに責任を負わせるかたちになります。新システムは、移行直後に2勝1分と好スタートを切ったかに見えました。そして、23節浦和戦から25節セレッソ戦まで、悪夢の公式戦五連敗。例年好調の夏場に連敗したことと、リーグカップのベスト8で宿敵川崎に敗れたこともあって、急速に篠田さんの求心力が失われます。そして、25節を受けて退任。嘉人に託したことで、実質篠田さんの主張は、自らその価値を失っていたと思います。

安間さんに代わって以降は、1勝4分4敗。勝利は初戦の26節仙台戦のみ。9月以降は11戦中7試合が味スタでしたから期待があったのですけど、うらはらな結果がサポのこころ離れの遠心力を加速したような気がします。10勝10分14敗。うち、篠田さんは9勝6分10敗。最後のリーグ戦三連敗がなければ勝ち越していただけに悔やまれますし、結果的には、監督交代は貯金を切り崩すだけに終わりました。でも、8月の負けかたはひどかったので、客観的にみてもいたしかたなかったです。

そして冬を迎えます。チームもサポもバラバラになるなか、ナオが辞め、徳永が去り、安間さんも去ります。さらにウタカが去り、渉が去ります。年末には嘉人が去り、立石さんが去りました。

この秋は、ナオの引退というセレモニアスな気分とチームの不調に起因した倦怠感のギャップを消化できず、モヤモヤした時間でした。最後にJ1とJ3の最終戦が素敵だったのでナオと徳永を気持ちよく送り出すことができて良かったと思います。

嘉人に対しては感謝の想いです。結果的に、嘉人の存在が、東京が今めざすべきサッカーを再確認させてくれました。それに、年に一、二度と観るだけでは気づかず、身近にいないとわからないことだけど、やっぱりプレークオリティの高さは圧倒的です。嘉人がこころから使われたいと思える選手が東京にいなかったことが悔やまれます。家族を愛する嘉人が、より家族と一緒にいられる時間を取れる場所を選ぶことは当然のことだと思います。空虚ですらあったきびしいシーズンだったけど、嘉人は新しい学びをもたらしてくれました。ありがとう嘉人。

来年の展望は、編成がまだかたまってないのであらためてやるとして、ニュー健太東京が楽しみです。すべてが刷新されそうですから、健太さんはやりやすいんじゃないかと思います。

2017年は暗い話ばかりでもなく、明るいニュースもありました。怜と建英のデビューです。チームが不調だからこそ、思い切って若手を使える機会があるというもの。苦境も裏を返せば未来の可能性の苗床なのかもしれませんね。

いつになく批判的な総括になってしまいました。でもそれもここまで。いっぱい吐き出したので、スッキリ切り替えて新しいシーズンを迎えたいと思います。今年もたぶん、観戦記を続けると思います。どうかぽちごやをよろしくお願いします。