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19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した 第一章 (3)

2013年11月29日 | お日様とお月様の光と影
  水戸徳川家は藩祖 徳川頼宣(とくがわよりのぶ 家康の十男)の血統を途絶えさせず幕末まで守りました。それに対して尾張徳川家と紀州徳川家は江戸中期になると三候(一橋家・田安家・清水家)から藩主を迎えそれぞれ藩祖の血統が途絶えいました。

  水戸徳川家は徳川三家の中でも水戸藩主が参勤交代を行わなで江戸に常駐して事変に備えて将軍の代役を務める役割を代々引き継いで来ました。そのため水戸藩は「江戸と領地水戸の二重に費用が必要」だったのです。これが水戸藩の藩財政を圧迫する最も大きな原因でした。ですから水戸藩の財政は尾張藩と紀州藩に比べると財政基盤(米の生産量)が少なく慢性的に財政難に陥っていいました。
 
  そして代々の水戸藩主は「水戸徳川家」というブランドの対面を保たなければならなったのです。1829年、斉昭は30歳で水戸藩と水戸徳川家を相続しました。斉昭は領地の水戸に赴き藩政改革を着手しました。斉昭は藩内の佐幕派の勢力の影響力を低下させるため中士や下士の藩士藤田東湖派を藩の重役に登用しました。
 
  『また斉昭は藩校 弘道館(水戸市三の丸)を開校し初代教授に会沢 正志斎を任命しました。弘道館では馬術・剣道などの武道それに医学や天文学そして「水戸学」などの教育と研究を行っていました。』幼い慶篤と慶喜は弘道館で武道と学問を学びました。
  『斉昭が藩主に就任した19世紀初頭は日本近海に西洋列強諸国の蒸気船が頻繁に現れる様になりました。そして斉昭が藩政改革で登用した藤田東湖派の戸田 忠太夫や安島 信立らは「尊皇攘夷思想」を主張し始めました。斉昭の藩政改革に危機感を感じた佐幕派の上士層勢力は幼い慶篤を担ぎ出し幕府に斉昭を隠居するように訴えたのでした。』
 
 藩内の佐幕派のクーデターによって斉昭は隠居せざるおえなかった。1844年に徳川慶篤は水戸第10代藩主を相続しました。がしかし実際には幕府より謹慎が解かれた斉昭が藩政を取り仕切っていました。斉昭の野心は権威が傾き始めた徳川宗家を立て直し慶喜を将軍に就任させて水戸徳川家から将軍を輩出させことでした。そして制度不良が起きている幕府政治を将軍慶喜によって幕政の近代化改革を断行させることでした。
  カリスマである父斉昭とその背中を追い始めた弟慶喜この二人の背中を見ながら慶篤は藩政を運営しなければなからなった。そして水戸藩内は「攘夷派と佐幕派」との対立が先鋭化する。『佐幕派は過激な攘夷派を「天狗」と呼び過激な攘夷派は佐幕派を「俗物」と呼んで藩内で互いの派閥を排斥し始めるのです。』
 

 1854年7月下旬、統一された国旗のサンプルが出来たのでデザイン合わせに島津斉彬の使いで西郷吉之助が江戸水戸藩邸上屋敷を訪門しました。西郷が控えの間で待っていると藤田東湖と戸田 忠太夫とが入って来ました。西郷は二人に挨拶を交わし自己紹介をした。東湖は薩摩藩士の有村俊斎と有村 次左衛門(ありむら じざえもん藤田東湖 尊王攘夷論の門人)の兄弟から西郷の話を聞いて知っていました
 東湖は西郷に言います。アメリカ合衆国の領事が二年後に来日する。アメリカは必ず通商を求めて来る。日本が通商を認めればアメリカと日本の国力の差で国の財産がどんどん外国に流出しこの国は滅びる。この国難に対応できる大名・武士・公家・学者はいない。

  「もはや攘夷決行しかない!」

 水戸藩内は「攘夷派と佐幕派」とに分裂していました薩摩藩内も同様でした。西郷は薩摩の過激な攘夷派には組せず薩摩藩と自分の向かう道を模索していました。
  すると東湖が「お前は酒が好きなのか?」と西郷に問いました「いいえ私は下戸でして…」東湖は残念に思いました。東湖は酒豪で来年参勤交代で土佐藩主の山内容堂が出府するのを楽しみしていました。山内容堂は東湖に師事し尊王攘夷論を学び二人は子弟関係にありました。

 そして双方が制作した国旗のサンプルのデザインを検討しました。薩摩藩は桜島から昇る日の出をイメージして制作し水戸藩も日の出をイメージして制作しました。日の丸は単純!明快!何より分かり易い!一目で日本であると分かるから良い!で一致しました。そして東湖はこの双方のデザインの国旗を安部正弘に提出すると西郷に言いました。 
 1854年8月2日、幕閣安部正弘は外国船と日本船とを識別し区別する統一されたデザインの船舶旗「国旗」日の丸を採用すると各藩に通達を発布しました。初めて国旗を日の丸に採用したのが江戸幕府でした。


 1854年8月18日、イギリス・フランス連合海軍がオホークツ海に集結していました。帝政ロシアのカムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー海軍港を攻略するため包囲したのです。クリミア戦争はヨーロッパよりはるばるオホークツ海まで戦線を拡大させていました。



   つづく


    『』内は1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より転載



    お日様とお月様の光と影 ~東アジア近代化クロニクル(年代記)~  
    第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
         プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
         第一章   西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(3)
 

   ≪参考文献≫ 
   知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
   江戸300藩最後の藩主~うちの殿様は何をした?光文社文庫 より
   幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
   歴史読本 徳川慶喜をめぐる女たち 1998年10号  新人物往来社

   1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
   1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
   2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝  前半 より
   2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より

   文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
   新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
   文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
  文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より


  突っ込みどころ満載!
   筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
 また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。
     


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