10月18日(日曜日)、内幸町のイイノホール&カンファレンスセンターを会場として、首記国際フォーラムが開催された。
会場は、定員500名、事前予約制を採用していたので心配していたが、開始定刻の13時には、9割方埋まり、関心の強さを表していたように感じた。
会場情景。
その模様を簡単に報告します。(写真の一部は、目黒首都圏佐渡連合会事務局長からお借りしたものです)
会場入口には、12時ごろから今日の参加者が徐々に現れ始め、受付で事前に送付された参加票を示して資料と同時通訳機器を受け取る。
入口には、古式の装束をまとった代官役、人足役(いずれも佐渡を世界遺産にする首都圏の会理事)が出迎えた。
会場入り口前で、出席者に歓迎挨拶をする首都圏の会の皆さん。
13時の開催定刻前、会場では、若波会による佐渡おけさ等の踊りが披露されていた。
若波会による民謡の舞い。
定刻、司会者によって開会が告げられ、新潟県知事(代読)、文化庁村田文化財部長ら来賓の祝辞がはじまった。
小生、装束をまとって舞台裏で待機していた関係で、内容は申し訳ないがしっかりとつかんでいません。
舞台裏に伝わってきた言葉は、「大勢の参加者が参加してくれたことへの謝辞、来年はぜひ世界遺産登録推薦を勝ち取りたい」などであったように思います。
泉田知事の祝辞を代読する○○氏。
祝辞を述べる東京新潟県人会館川村理事長。
首都圏佐渡連合会坂田会長の祝辞。古式の装束をまとった私ども3人がバックに立ち、盛り立てた。
東京芸術大学宮田学長の祝辞。
しばらく間をおいて、パトリック・マーチン氏、西村幸夫氏による基調講演が始まった。(小生らは急いで普段着に着替えて会場に入った)
◎ 国際産業遺産保存委員会会長であるパトリック・マーチン氏は、「産業遺産の世界遺産登録の状況」と題して話された。受付時に渡された同時通訳機器によって訳され、皆さんに分かりやすく話された。
マーチン氏は、すでに佐渡に2回ほど訪れているとのこと。
パトリック・マーチン氏の講演情景。
まず現在500名余り参加している産業考古学会についてその成り立ち等について話され、学会の研究は当初ヨーロッパが中心であったが、90年代に入って、アジアが多くなってきていること、そして、イコモスの目的を述べ、イコモスと協力関係が築かれていること。これからの遺産の保存には、政府、地域の取り組みが必要であることを述べられた。
次いで、世界遺産の主なものについての説明があり、シャンパン工場遺産や現役の鉄道橋について、スライドに示して紹介。
産業考古学会では、グループを作って専門知識を集め、イコモスに提供していること等を鉱山や水力発電を例にとって説明された。
最後に「木を見て森を見ず」にならないよう教育が必要であること、保存等に関しては、協力、協働が必要であること、関連する国際団体をまきこむこと 等の助言があった。
そして、このような機会を与えてくれた関係者に礼を述べ、佐渡が世界遺産に登録され、皆さんと喜び合えることを望んでいる と締めくくった。
他の世界遺産物を例に挙げての貴重な助言は、大変参考としなければならないことが多々あったように思います。
◎ 次いで、日本イコモス国内委員会委員長西村幸夫氏による基調講演「佐渡金銀山の世界遺産としての価値」がはじまった。
西村博士は、日本イコモス国内委員会委員長であり、佐渡の金銀山についての研究第一人者で、26年前から佐渡についての調査研究を続けている。
西村博士の講演情景。
今回、先生は、佐渡金銀山の世界遺産としての価値について論理を紹介したいと話され、まず最初に26年前に調査に入られたときの街並み写真を映し出された。
そして、普通金銀山は、道具やそこで働いていた人の生活や営みが、古いものから新しいものへ変わるとき、前のものは取り壊され、新しいものに変わってゆくが、ここ佐渡に於いては、400年間続いた佐渡金銀山の発展状況が、古いものから新しい代へ との経緯そのものが残っている世界にも珍しいところである。
これは、西三川の砂金採りから鶴子銀山の露天掘り、北相川の露天掘り、坑道掘りへと場所を変えて行った結果であり、そこで働いた人の生活状況も残っている と。その典型的なものが「道遊の割戸」であり、上は露天堀り、下は坑道掘りとなっている。また、それぞれの場所に人の生活・営みがセットで本物として表現できる と説明された。
これからは、軍艦島でも顕著に表れているが、近代に建設されたコンクリート造りのものを如何に保存していくかが課題である と締めくくった。
西村先生の講義はより具体的で分かりやすく説明されていたと思う。
20分間の休憩ののち、「世界遺産候補・佐渡金銀山の未来を考える」と題したパネルディスカッションが始まった。
筑波大学大学院教授 稲葉信子先生がコーディネーターを務め、佐渡金銀山の世界遺産登録推進をしている5名の先生方によって進められた。
稲葉コーディネーターとパネラー。
稲葉先生は、佐渡世界遺産文化委員会付属委員会副委員長を務めているとのこと。
いずれの先生も佐渡金銀山の研究に深くかかわっている人である。
パネラーの5名。
クリストファー・ヤング先生は、ユネスコで世界遺産保存の推進にかかわっており、すでに4回ほど佐渡にわたっているとのこと。
ヤング先生から順次、佐渡金銀山について現在思っていることをより具体的に話され、たいへん内容の深いものであった。稲葉先生のコーディネーターぶりに感心する。それぞれが2順することは珍しい。討論時間は、実に1時間40分。(内容は、長くなるので略します)
質問の時間も作ってくださり、2名の方が立った。
1 生活している人のコミュニティーとかよく言われているが、生活するために必要な農業や林業も加えて総合的にとらえてもらいたい。
西村先生。 物が残っていないといけないので、農業や林業を加えることは難しい。
2 佐渡金銀山が世界遺産になったとき、どんなことが起きるか。地域としてどのように対処していったらよいか。
〇 登録されるためには、地元の管理計画をしっかり立てておかなければならないこと、石見銀山の例をあげて、管理、ガイドをしっかりとすること、地域のイメージを考えておくこと。石見銀山の協働会議を参考にしたらよい、など、西村先生からの助言があった。
最後に甲斐佐渡市長から、今回の国際フォーラム開催に対しての皆さんの協力に感謝を述べ、来年は、日本の推薦を取るようさらに努力したい旨、挨拶があった。
協力への感謝を述べられる甲斐佐渡市市長。
今回のフォーラムは、先にも述べましたようにたいへん内容の濃いものであったと思う。私どもも可能な限り、協力・応援していきたいと思っている。
新潟日報モアは、今日、国際フォーラム開催の件を報道しています。ご参照ください。
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20151019212004.html