“しなやかに、清々しく”

日常の出来事等を気ままに発信したい。

ふるさと再発見の旅に参加して 第三日目

2015-10-11 22:39:51 | Weblog

  3日目の朝、目を覚ますと、雨が降っていた。

 7時過ぎにホテルの食堂で食事を始めると、旅行の連中が入ってきた。

 合い向かいに座った坂田会長が「今日は、新穂で夕映え市が始まるよ。私はもう2~3度観ている。おんでこはいろんな地区から集まって演舞し、素晴らしいよ。もし、時間があったら観て帰るといいよ」と。

 周りの人に聞くと、両津の会の連中もタクシーで行かれるとのこと。

 私は、前日に「12時40分の船で帰るとすると、親戚廻りするには中途半端だし、新潟にいる友人(昨年亡くなった犬の兄弟が元気でいる)に会っていこう」と決めていたが、夕映えの市の話を聞いたら、「こんな機会はあまりないのだから…、観て行きたいな」となった。周りに声をかけると、尾田顧問(前新穂会会長)も「新穂出身でありながらまだ見ていない。行きたいね」 じゃ~タクシーを頼もう。

 ホテルのフロントで夕映え市の開会時間等を聞くと、午前10時となっている。

 9時20分、二人でホテルを出発。20分余りで会場についた。雨も上がっていた。

 

 会場入り口の看板。

 

 10時前なのにもう人が集まっている。

曽我みとみさんも拉致被害者救済募金運動に駆けつけている。

友人もたくさん来ている。やぁやあの挨拶。

 10時、甲斐佐渡市長の挨拶で開会。

佐渡市長の挨拶。

 プログラムを見ると、おんでこは、午前中子供たちによる舞いとなっていて、大人の舞いは、午後となっている。

午後の船に乗りたいので、残念。

 子供の舞いが始まると、どうしてどうして!! 舞いが素晴らしい。

青木子ども鬼太鼓の舞い。 獅子が両サイドに。迫力があり素晴らしい。

近くに来たので夢中でシャッターを切る。

 次いで、新穂北方子ども鬼太鼓の舞いが始まった。北方子ども鬼太鼓の舞いには、獅子がいない。

でも舞っているのは、小学6年とか5年とか申していた。子供がよく練習しているものだ。素晴らしい。

新穂北方子ども鬼太鼓による舞い。

 お昼の船に乗るために会場を離れざるを得ない時刻となった。

 尾田顧問が、友人に電話して、両津まで送ってもらうこととなる。当時の高校の友人とか?

 車の中で紹介されると、それがなんとなんと!! 運転して送ってくださった方は、小生の母方の実家と親戚 だそう。昨年亡くなった伯父さんの葬儀にも伺った とのこと。なんていう奇遇だろう。びっくり。

 船の中で従弟に電話して、「両津まで送ってくれた人は、あんたの母上さんの実家と親戚の○○さんと申していたが、知っているか?」 従弟曰く「良く知っている」とのこと。「いゃ~世の中狭いね。尾田さんありがとう」。「今度○○さんが東京に出て来たら、声をかけて・・・」とお願いした。

  船の中では、ふるさと再発見の旅に参加したNTTグループを中心に、10名ほどが車座になって、アルコールを入れながらの雑談。新潟港に着くまで、楽しい会話が続きました。

 午後3時48分発の新幹線に搭乗。長岡の先辺りまで覚えているが、高崎を過ぎるころまで、コクリコクリしてしまった。

午後7時前に東京の自宅に到着。

 今回の旅行を振り返ってみますと、まず、佐渡市役所職員並びに佐渡を世界遺産にする会の皆さん、大変心使いをして頂き、本当にありがとうございました。

 また、旅行を計画してくださった連合会観光部会の皆さんは、さぞ大変だったことだろうと思っています。時間に追われ、気をもんだところも多々あったことでしょう。ありがとう。

 また、 今回初めて参加してくださった方々に、機会があったら是非感想をお聞きしたいと思っています。 旅行のタイトルが「ふるさと再発見の旅」となっていますので、ポヒュラーな場所は、真野地区のみで、やや不満足かと思います。 友人知人と再度佐渡を訪れてください。

 参加者の皆さんありがとうございました。

 

 

 

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「ふるさと再発見の旅」に参加して 第二日目報告

2015-10-11 22:35:54 | Weblog

  二日目は、10月10日午前8時過ぎに、宿泊先の相川万長ホテルを出発した。

 今日の予定は、午前中西三川金山跡を見学、昼食は羽茂の大崎へそば食べに、午後は、真野国分寺史跡、阿仏房妙宣寺(五重塔)、そして御金荷の道~「金の道ウォーク」を出迎え、真野新町宿山本本陣で御金荷の受け渡し式を見学。合わせて真野新町で開催している「秋の茶会」に参加、午後4時15分に宿泊ホテルに向かって出発となっている。

 小生は、午前中の予定を私的に使わせてもらうため、西三川に向かう途中の真野新町で下車させてもらった。従って、午後からの報告となっていますことをお許しください。

  午後1時過ぎに羽茂大崎から帰ってきたバスから、「金の道ウォーク」に参加する2名(坂田会長、菊地首都圏佐渡連合会産業部会員)が真野新町で下車。逆に小生が合流し、国分寺史跡に向かう。

 瑠璃堂。 

 国分寺本堂は、消失し現存していませんが、国分寺は、一国文教の中心佐渡最古の寺である。

 瑠璃堂に安置していた本尊「薬師如来像」は、火災から難を逃れ、現在瑠璃堂の後ろのコンクリートの建物に安置され、厳重に保管されている。

 私ども一行は、事前にお願いしてその薬師如来像を特別拝観することができた。小生も初めてであった。如来像の撮影も可と言うことであったのでカメラに収めたが、恐れ多くてここに紹介するのをためらっている。貴重なもので感激している。

 「薬師如来像」を特別拝観する機会を得て、手を合わせる参加者。

 次いで、阿仏房妙宣寺に。妙宣寺は、阿仏房日得となった遠藤為盛とその妻千日尼が開基したと伝えられているもの。また、妙宣寺境内には、新潟県内唯一の五重塔(重要文化財)が現存する。

  阿仏房妙宣寺境内にそびえる「五重塔」。

 五重塔は、相川の宮大工棟梁茂左衛門とその子の親子二代が30年の年月をかけて完成されたものと伝えられている。

 そろそろ、今朝9時に相川奉行所前を出発した「御金荷の道~」「金の道ウォーク」が真野新町宿に到着する。間に合うよう阿仏房妙宣寺をあとにし、新町宿山本邸に向かう。

 しばらくすると一行が来た来た。

 相川を出発して中山峠を超えて沢根へ、沢根、河原田、八幡、四日町と約13キロほど歩いての真野新町宿へ。

 足軽を先頭に、古式の装束をまとった代官職、御金荷を運ぶ馬2頭、その後ろには、人足たちが続く。(古式の装束で正装したのは、山本本陣約500m手前の真野商工会建物です)

 歩くのがとても速い。正装した代官職には、連合会坂田会長、菊地連合会産業部会員がいる(一番後ろ)が、早くて付いていけないよう。

 先頭を進む正装の代官職。佐渡市金子副市長、加藤市議会副議長や佐々木○○を世界遺産にする新潟の会副会長の姿も見える。

 御金荷を運ぶ馬2頭。

 その後ろには、人足たちが続く。あら 和泉(佐渡を世界遺産にする首都圏の会)理事も人足達と歩いている。(ワイシャツ姿の人)。

 山本本陣前には、大きな看板が用意されていた。

 山本本陣前に陣取る連合会団体旅行の一行。

 新町宿山本邸に到着。御金荷の到着を報告、引き渡し儀式が始まる。

 

 御金荷の到着の報告をする代官役 坂田首都圏佐渡連合会会長。

 御金荷の引き渡しを受ける菊地代官。 

 引き渡しの儀式が終わって、佐渡市金子副市長が、今日の金の道ウォークが無事終了した旨を報告した。

 金子副市長の報告。

 金子副市長は、来年の遺産登録達成に向けて、絶大な支援をお願いしたい旨を述べた。

 次いで加藤市議会議長も、金の道ウォークが無事終了した旨を報告。併せて世界遺産登録に向けての協力を呼びかけた。

 代官役の中には、佐渡を世界遺産にする新潟の会佐々木副会長の姿も見える。佐々木さんは、相川出発から歩かれたとのこと。ご苦労様でした。

 また、佐渡を世界遺産にする会の役員の方々並びに相川から同行した会員の方々に厚く御礼申しあげます。ありがとうございました。

 相川から約13キロを無事歩いた2頭の馬。疲れているようだった。ありがとう。

 11日の朝、NHKテレビを見ていたら、地方版で昨日の「金の道ウォーク」の模様を伝えていた。

 相川の出発式や中山峠越えから沢根に入るまでの状況であったが・・・。

 以下の3枚の写真は、テレビ放映されたものです。借用しましたことをお許しください。

中山峠を超える一行。

 

来年は、真野宿から小木港まで歩くとのこと。

 佐渡市の皆さん、素晴らしい「御金荷の道~」を末永く残して行ってもらいたいものです。

 御金荷の道~の儀式が無事終了。

 真野新町で真野商工会が11年間開催していた「お茶の会」は、今年から真野新町の有志がこれを引き継ぎ、開催。小生も大変楽しみにしている一つだが、残された時間もあまりないので、森邸の庭の見学と、お茶の会に参加した。

 森邸お座敷で素敵な手さばきに見入る旅行参加者の一部。真剣そのもの。

 森邸の庭。佐渡一の広さを持ち、手入れされている庭ではないかと思う。いつ観ても感激する。

 森邸を後にしてやや時間があったので、近くの佐々木邸の古物展示を見学する。昔、大金持ちが利用した箪笥類が数多く展示されている。現在ひとつの箪笥で2000万円もするものがあるとか…。

 真野行政サービスセンターに集合。

 約1/3の方が実家あるいは親戚にもう一泊するとのことで残留。

 小生どもは、次の宿泊ホテル、両津の佐渡グランドホテルに向かった。

 グランドホテルは、加茂湖に面した静かな場所にある。

ホテル3階の部屋から両津市街方面を望む。

 二日目も天候に恵まれ、無事終了することができた。旅行世話役の皆さん、ありがとう。

 ひと風呂浴びて、午後7時夕食が始まった。ホテルのサービスで両津甚句の演舞等が始まった。

が、昨晩、3時間ほどしか睡眠をとっていなかったので、睡魔が襲う。

 部屋に帰り、布団にもぐりこむ。バタンキュー。

明日は、いよいよ最終日。だが自由行動となっている。さあ~どうしよう。

 

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ふるさと再発見の旅に参加 第一日目

2015-10-11 22:28:49 | Weblog

 ふるさと里帰りキャンペーンの一環として首都圏佐渡連合会観光部会は、毎年秋に「ふるさと再発見の旅 」と称して団体旅行を計画している。

 今年は、第10回目となる記念すべき旅行であったが、昨年に比して参加者がやや少なく、64名であった。

 名称が “ふるさと再発見の旅″ ですので、所謂ポピュラーな観光地周りとは趣をやや異にしています。

 従って、今回第10回目を数える再発見の旅であったが、連続10回の参加者が2名、9回、8回7回・・・と連続参加しているものが非常に多い。そして、特徴は、ふるさと佐渡出身者でない者が年々増加していることである。ふるさと佐渡出身でない方で連続8回と言う方もいると聞く。

 佐渡市並びに佐渡観光協会は、今回連続10回参加者、連続5回参加者及び佐渡出身でなくて連続3回の方たちに、記念品(佐渡コシヒカリ○○Kg)を贈呈した。

 記念のコシヒカリは参加者に大変喜ばれています。ふるさとの皆さん、ありがとうございます。

 今回の「ふるさと再発見の旅」については、2泊3日の行程に従って主に写真で報告いたします。

  参加者64名の内十数名の者は、事前に佐渡にわたっていて、両津港集合となっている。

 新潟港発午前11時のため、集合時刻は10時30分。これに間に合わせるには、東京駅発7:00又は7:48発の新幹線に乗る必要がある。小生は、7時発の新幹線に乗るため、6時に自宅を出発した。

 新潟佐渡汽船ターミナルの佐々木象堂 瑞鳥の前に出発予定者が集合。ジェットホイルに乗り込み、予定通りに出港した。

 約1時間10分で両津港に到着。天候は晴れ。3日間とも良さそう。

 下船すると、サドッキー他佐渡市の職員並びに先に佐渡にわたっている参加者が出迎えた。

 サドッキー、佐渡市の職員が出迎えてくれた。

 いつもいつものことであるが、ここでの気持ちのこもった出迎えがとてもうれしい。

 バス2台に分乗してまず昼食に向かう。両津の割烹「ふじはら」に向かい、豪華なお膳をいただく。

 

 割烹ふじはらでの昼食。昼食からこんなに盛り沢山の料理。ここで初参加の人はびっくりしてしまう。

 約40分の食事ののち、最初の立ち寄り地「牛尾神社」に。

 牛尾神社は、出雲大社から分霊された式外社とのこと。神社の入り口には、故山本修之助先生(真野)の句碑があると紹介されている。壱の鳥居をくぐって参道を上がっていくと山本先生の句碑(石碑)に出会う。

山本修之助先生の句碑 「朱鷺の棲む 山をかなたに 夕桜」 

 

 左に曲がって第二鳥居をくぐる参加者達。

 社殿に着く。社殿の周りには、彫刻がふんだんに取り入れられている。くり彫り、梁は現在では再現できない見事なものと言われている。

 社殿の彫刻に見入る参拝者。

 次いで、羽茂地区にある蓮華峰寺に向かう。途中の真野長浜にある「人面岩」をバスの中から観る。

 長浜海岸にある「人面岩」。バスガイドさんが 以前地元では何と呼んでいたでしょう と。確か単なる「立岩」と言っていたことを思い出す。

 蓮華峰寺に着く。

 本寺は、佐渡が都の鬼門にあたるとして、弘法大師が開基したといわれる古莉。真言宗では、大和の室生寺、紀州の金剛峰寺とこの三か寺を聖地としているとのこと。いくつかの建物が重要文化財に指定されている。

 八角堂と向こうには金堂が見える。境内はとても広い。

 本堂。

 今日の予定はすべて終了して、相川の万長ホテルに向かう。

 何とか佐渡の売り物「夕陽」に間に合うように  と運転手さん努力している。

 午後5時前にホテルに到着。直ちに部屋割に従って指定の部屋に入る。

 窓を開けると、ご覧のような夕陽が。

 6階の部屋からの夕陽。但し、この後すぐに雲に入ってしまう。我々を待っていたかのように。見事な夕景だった。

 ひと風呂浴びて、指定の宴会場に集合。記念撮影。

  これが今回参加の人たち全員。甲斐市長や近藤市議会副議長、佐渡を世界遺産にする会近藤会長の顔も見える。

 観光部会から配布される写真より一足早く紹介してすみません。

 宴会が始まる。

 まず坂田首都圏佐渡連合会会長の挨拶が始まる。

 坂田会長は、今回で10回を数える旅行であることを紹介、10回を通しての平均参加者は、六十数名であり、佐渡に落とした金額は、延べ2400万円ほどとなること。ふるさとにいくばくかの貢献ができているのかな と感想を述べられた。

 さらに、来年には、佐渡金銀山が世界遺産登録されるよう一層の努力をしていきたい旨を述べた。

 坂田会長の挨拶。(隣りの甲斐市長のお顔がお疲れのせいかややへんに映っております。他のものと交換したいんですが、会長の挨拶写真がこれ1枚しかなくて交換できません。お許しください)。

 続いて、来賓の紹介があり、まず、甲斐佐渡市市長が歓迎の挨拶に立つ。

 甲斐市長は、ふるさと創生への取り組みや金銀山の世界遺産への更なる協力をお願いしたい旨を述べられた。

甲斐市長の歓迎挨拶。

続いて、近藤市議会副議長の挨拶。近藤副議長は、世界遺産登録推進議員連盟の会長も兼務している。 今年は推薦漏れとなり残念であったが、来年はぜひ登録を勝ち取りたいと述べられた。

 近藤氏議会副議長の歓迎の挨拶。

その他近藤佐渡を世界遺産にする会会長の歓迎挨拶が続く。来賓者の顔ぶれを見てもお分かりのように、佐々木佐渡を世界遺産にする新潟の会副会長や萩野佐渡を世界遺産にする会総務、佐渡市役所の安藤世界遺産推進課長、岩崎観光振興課長補佐、斎藤産業振興課長補佐ら多数の来賓者が私どもを迎えてくれた。 いずれの方々も 来年は世界遺産登録を勝ち取ろう との意気込みがすごい。まさに「世界遺産登録推進の会」の発会式のよう。この願い、盛り上がりを全国に伝えたいものである。

 次いで、今回の「ふるさと再発見の旅」に連続して参加している人たちが紹介され、表彰が始まった。 

 連続10回の参加をしている真野人会若林顧問の表彰。

 同じく連続10回の参加をしている連合会観光部会の名畑部会長。名畑氏も真野人会所属。

 連続5回の参加者、佐渡出身でなくて連続3回の参加者の表彰が続く。

代表して連続5回表彰者である尾田連合会顧問(前新穂会会長)により返礼のことばが述べられた。 

 表彰式が終わって、本間慎連合会特別顧問による乾杯。本間さんも連続5回の表彰者。

 全員が起立して乾杯。

 しばらく歓談ののち、佐渡に伝わる演芸「やはらぎ」が始まった。このグループの相川出身の石橋さんは、忙しい中、この演舞のためにわざわざ来島してくれたようだ。

祝い芸「蓬莱」を演舞してくださる。佐渡国草の会飯山代表ら。

 次いで、真野商工会女性部による「太鼓演奏」が始まった。

 10名の力強い太鼓の響きが会場一杯に。皆さん大熱演。

 

 真野商工会女性部による太鼓演奏。皆張り切っている。

 一人の演者が会場に降りて舞う。大喝采を受けた○○さん。

○○さんの会場におりての演舞。 

 真野人会女性部による会場いっぱいの踊り。

 ステージではまだまだ佐渡おけさ等が続いた。

  東京両津の会白根事務局長が、「とても感動した。立派な演舞だった」と両津の会名で金一封を持ってきた。小生は、早速、マイクを借りて皆さんに紹介、女性部に手渡した。こんなことも今までにない。「後が怖い」と冗談を言いながら 両津の会の皆さんに御礼を述べて廻った。

 宴会予定時刻があっという間に近づく。今井連合会郷土連絡委員会長が中締め。

 三々五々会場を後にした。

 朝が早かったので、早めに布団にもぐり込んだが・・・、それから相棒と延々と午前2時近くまでだべり続けてしまった。休んだのは3時間ばかり。

朝ホテルを出発する時の風景。大きな看板が眼についた。沢山の従業員の人たちに見送って頂いた。 

 さあ、二日目の始まりです。続く。

 

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