
三井高校の近くにある 「 水鳥 」 の詩碑

野田宇太郎の経歴

松崎城跡
「 文学散歩 」 という言葉は、詩人で評論家の野田宇太郎の創案である。
昭和26年 ( 1951年 ) に、日本読売新聞に 「 新東京文学散歩 」 を連載したことに始まり、
『 九州文学散歩 』 『 関西文学散歩 』 『 四国文学散歩 ー 愛媛 』 などをまとめて、
『 文学散歩 』 ( 全24巻25冊、別巻4冊 ) が、昭和52年に文一総合出版が刊行された。
『 文学散歩 』 ( 第24巻 ) では、小倉、若松、柳川、福岡、久留米、朝倉などの文学者、
画家ゆかりの場所などを綿密に踏査し、紹介している。
野田の故郷である 「 筑後松崎 」 については、
「 わたくしの故郷は筑後路の旧宿場で、‥・・宿場町の形は今でもはっきりと残り、
北から上町、中町、下町と分かれたその下町の入口には、
御番所後の古い石垣が残っている 」 と紹介している。
筑前山家宿 ( 現・筑紫野市山家 ) で分岐した薩摩街道は、
松崎宿 ( 現・小郡市松崎 ) を通って南へ向かう。
今も松崎は古い町並みを残し、松崎城跡、茶屋跡、人足長屋跡などの古い石垣が残っている。
また、野田が幼年期を過ごした土地の近くには 『 水鳥 』 の詩碑がある。
昭和62年にオープンした 「 野田宇太郎文学資料館 」 は、
小郡市出身の詩人、野田宇太郎の生涯と文学を、
豊富な写真パネルと資料の対比により紹介している。
レファレンスルームには、近代文学の名著の初版本や、
明治、大正の文芸雑誌、「文学散歩」により収集された新たな文献、
古地図、記録写真など、約3万点の資料が所蔵されている。
当館は、小郡市民ふれあい広場 ( 文化会館・図書館 ) の中に位置している。
年1回企画展があり、10月に 「 水鳥 」 の詩碑の前で生誕祭が催される。
野田 宇太郎(のだ うたろう、1909年(明治42年)10月28日 - 1984年(昭和59年)7月20日)は、
日本の詩人、文芸評論家、文芸誌編集長。
福岡県三井郡立石村(現小郡市)出身。
朝倉中学卒業後、第一早稲田高等学院英文科に入学するが、病気により中退。
1930年(昭和5年)、久留米市で同人誌『街路樹』に参加して詩作を開始する。
1933年(昭和8年)、詩集『北の部屋』を出版。
1936年(昭和11年)、安西均や丸山豊らと同人誌『糧』を創刊。
1940年(昭和15年)に上京し、小山書店に入社。
その後第一書房、河出書房を経て、
1944年(昭和19年)文芸誌『文藝』の編集長を務めた後、東京出版に入社。
衆議院議員の羽田武嗣郎(羽田孜の父)と交友があり、彼が創業した羽田書店の顧問も務めた。
1951年(昭和26年)、日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載、
その単行本はベストセラーとなり「文学散歩」のジャンルを確立した。
1976年(昭和51年)には『日本耽美派文学の誕生』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。
その後は博物館明治村の常務理事を務め、
1977年(昭和52年)には明治村賞と紫綬褒章を受賞。
1978年(昭和53年)には中西悟堂らと同人誌『連峰』を創刊。