柏崎灯台下から姫島を望む
長崎県五島市 「 五島柏崎灯台と姫島 」
灯台表番号 / 6168
ふりがな / ごとうかしわさきとうだい
標識名称 / 五島柏崎灯台
所在地 / 長崎県五島市 ( 柏崎 )
北緯 / 32-47-04
東経 / 128-39-52
塗色 / 白色
灯質 / 単閃白光 毎6秒に1閃光
光度 / 実効光度 78
光達距離 / 5.0海里
地上~頂部の高さ / 15.29m
平均水面上~灯火の高さ / 24.1m
地上~灯火の高さ / 15.15m
業務開始年月日 / 昭和31年2月22日
現用灯器 / LED灯器 ( Ⅲ型白 )
現在無人島になった姫島は、
福江島の柏崎 ( 五島市三井楽町柏 ) の北約2.4kmにあり、
外海に面した北側には鋭い海食崖が発達し、南側は傾斜地で平地がほとんどない。
定住者がいた頃は、島の南側に集落があり、
テングサ・ノリの採取や、キビナゴ・エビなどの採集を行い、
農閑期には家船による追い込み漁などで生計を立てていた。
岐宿の住民がこの島へツワを取りに行ったところ嵐に遭い、
「 ひめ 」 という名の女性だけが取り残されてしまった。
この島には貝しか食べるものがなく、ひめは貝を口にしたまま絶命し、
姫島の名が付けられたという。
島への定住は、寛政9年 ( 1797年 ) に
大村藩から五島各地へ移住したのが始まりとされ、全員がキリシタンだった。
明治に入って開拓定住が進み、人口も300人を超えたという。
明治22年には岐宿小学校姫島分校が建てられた。 ( 戦後は中学校も併置 )
大正7年にはステンドグラスを使った姫島天主堂も建てられた。 ( 現存せず )
大正10年から昭和10年まで、三井楽町柏港から週3便の定期船 「 神崎丸 」 が走っていた。
戦後の昭和20年には、人口132人、昭和30年には人口81人を数えたが、
次第に高齢化が進行した。
昭和34年には15人がブラジルへ移住した。
島に波止場がないことなどから船も出せなくなり、
昭和40年12月に7世帯38人が島を去って無人島化した。
島に暮らしてきた人たちの信仰は大変厚く、
昭和62年には福江島の三井楽教会墓地内に先祖の墓を移し、
石碑 「 各地に広がる姫島の 信仰の礎 」 が建立されている。