かつて競馬が行われていた 「 真喜屋馬場跡 」
真喜屋公民館
真喜屋小学校
名護の真喜屋は、グスクの探訪で何度も訪れた場所である。
その真喜屋にかつて競馬が行われていた馬場跡があるというので、
久し振りに真喜屋の集落に足を運んでみた。
馬場跡について地元の人に訊いてみたが、
「 ンマーハラセー はどこで? 」 って訊ねても、
「 どこでやってたのか知らないね~ 」 って言う。
沖縄県南部の島尻では、馬場跡は主に学校の運動場や公民館など、
公共の施設に姿を変えていたこともあって、
真喜屋小学校に行ってみたが、ここでも証言を得られず、
それではということで公民館に行って訊ねてみると、
「 ンマーハラセー? ンマーハラセーは浜でやってたさ~ 」 で、
わずかに光明が見えた。
それは、小学校や公民館がある山側と反対の国道58号線を挟んだ向こうにあり、
同じ浜で行われていた国頭村の桃原馬場跡と違って砂浜は狭く、弧を描いていた。
ただ、当時は防波堤など無く、もっと視界が開けていたと思われる。
琉球競馬は現代競馬のように速さを競って追い比べをする競馬ではなく、
馬の歩様の美しさを競ったものなので、
このくらいの規模でも良かったのかもしれない。
浜の光景を見ながら競馬が行われていた明治期に思いを馳せた。
年に数度の村祭りで、手塩にかけた愛馬に跨がり、
” ドヤ顔 ” で華麗にダクを踏ませていたのだろうな。