音楽にこんがらがって

音楽制作を生業としている加茂啓太郎の日常

ガールズ・アット・アワ・ベストが好き

2020年04月11日 | 楽曲解説
ロック、ポップスの歴史の中で名盤を一枚だけしかリリース(ライブ盤は除く)しなかったアーティストがいます。

一番、有名なのはセックス・ピストルズですが、他にはデレク&ドミノス、ジェフ・バックリー、レジロス、ダフィー、レミー・シャンド、DMZ、アント・サリー、エックス・レイ・スペックス,乱魔堂、The La's、ヤング・マーブル・ジャイアンツなどが思い浮かびます。

解散後、ソロ、あるいは別のバンドで活躍したバンドが多いですが、何故か跡形もなく消えたバンドもあります。

今回はその一つガールズ・アット・アウア・ベスト(以下GAOB)について書いてみたいと思います。

彼ら(ボーカルは女性)1979年にイギリスのリーズで結成されて1982年には解散と短期間の活動でした。

公式にはアルバム1枚とシングル4枚と解散後にジョン・ピール・セッション(ラジオ番組の収録ですね)を1枚リリースしています。

彼らは2013年のギタリストのジェームスのインタビューを読むとSOS!というパンク・バンドをやっていたけど解散し、型にはまらない音楽をやりたいと思い、その時学校でボーカルのジュディ・エバンスで出会い、彼女はパンクには全く興味がないけれどキャラクターが面白いので誘って、全く楽器経験もないメンバー(後に脱退)も誘って結成したそうです。

ビジュアルはこんな感じです。



79年12月23日にレコード・レコーズという人を食った名前の自主レーベルかゲッテイング・ノーウェアー・ファーストというシングルをリリースします。



ジャケは女子が立ちションしてる後ろ姿の下手なモノクロのイラストという意味不明なもので、まさに自主制作という感じです。

ですが、いきなり当時権威があった(今でいうピッチフォークみたいなもの)NMEの今週のシングルに選ばれてインディー・ヒットになります。(5000枚売れたそうです)

まず耳に残るのは不安定なファルセットでママさんコーラスのように歌われるボーカルです。

50歳以上の人は浅田美代子、大場久美子、岡田奈々、森尾由美といったオートチューンをドラえもんにスタジオに届けて欲しいと思う、昭和の女性アイドルを思い起こす人もいるかもしれません。

ですがメロディーはキャッチー。
下手くそながらもビビッド演奏も心躍りますが、聞いていると妙な違和感を感じて来ます。

その理由は普通、ポップスやロックというのはAメロ、Bメロ、Cメロ(サビ)(Bメロはない場合もあります)&イントロ、間奏が、ある程度のルールを持って組み合わされるのですが、

この曲は「イントロ、A,A,間奏,A,間奏2、A' 後奏という掟破りな構成になっていて、1:58秒で突然カットアウトで終わります。

まさに型にはまらない音楽だと思います。

カップリグの「ワーム・ガール」はAメロから転調、予想がつかないBメロになり、さらに1Bと2Bの後半のメロディーは違います。
さらに転調してCメロというより、新たなAメロのようなパートが来て終わります。

ある意味、3分のプログレと言えるかもしれません。

その後2枚のシングルを出し、に81年に大傑作アルバム「プレジャー」をリリースします。

レーベルはセカンド・シングルから「ハッピー・バースデイ・レコード」という所なのですが他にはエレポップのシングルが何枚か出ているだけで良く分かりません。

前述のインタビューだとラフ・トレードとかにも行ったけれどジュディがデモを、その場で聞かせるだけで若気でいたりで置いて行かなかったと言っています。

契約出来る訳がありません。

「彼女は攻撃的なフェミニストだった」(直訳)と言っているので意識が高すぎて拗らせてたのかもしれません。(写真からも「なめんなよ」オーラを感じます)

ローレンス・ダイアナという人がプロデューサーなのですが他にはハッピーマンデイズののファーストのエンジニアくらいしか大した仕事はしていません。

特筆すべきなのはのちにU2,デペッシュ・モード、ニューオーダー、ナイン・インチ・ネイルズ、スマッシング・パンプキンズ、シガーロスなどの90年代のロック名盤の多くをプロデュースしたフラッドがエンジニアなんです!

このアルバムより2ヶ月遅れでリリースされたニューオーダーのファーストはアシスタント名義でクレジットされているので彼がメインでエンジニアを務めた最初の作品かと思われます。

なので音が当時のロウ・バジェットのインディー・ロックとは一線を画した、ハイファイではないですが例えれば高級鶏卵のようなコクのあるサウンドになっています。

このアルバムはギター、ベース&ドラムのシンプルな生演奏なのですが、全体にテクノ&エレポップのような印象を与えます。

これは多分、デビュー前のトーマス・ドルビーが何故かシンセサイザー参加しているのも理由でしょう。かなり良い味付けになっています。

今でこそあまり名前聞かないです(一時音楽業界から離れてたようです)が80年代中頃の彼は坂本龍一とユニットをやるなどテクノの最先端アーティストでした。

この坂本龍一と共作したフィールド・ワークのMVは坂本龍一が終戦を知らないまま戦後発見された日本兵(空手が得意、なぜかNYで犬と住んでいる)トーマス・ドルビーは
モヒカンのパンクなカメラマンという設定です。
詳しくは動画を見てもらえれば良いのですが、「戦メリ」と「タクシー・ドライバー」が合体した感じです。
監督は分からないですが日本人のセンスではない感じです。
撮影はNYで35mm。リップシンクもなくショート・ムービーです。
これは多分日本のMVで多分一番制作費がかかったものの一つだと思いますが、どうでしょうか。

話が外れました。

楽曲は掟破りな構成こそ、影を潜めますが、素っ頓狂なメロディー、繰り返される転調は相変わらずです。

クレジットはバンドのメンバー名義ですが2曲だけジュディのソロ名義になっています。

推察ですが曲作りは楽器も出来ず理論もわからない彼女が鼻歌で作ったメロディーのパーツを繋げて行ったのかもしれません。
なので転調が多用されるのでしょう。

これはももクロの「行くぜっ!怪盗少女」に代表されるヒャダインの曲作りに通じるものを感じました。ひょっとしたら彼に影響を与えているかもしれません。

転調があまりも多用されると小室哲哉の90年代後半の曲のようにバラバラのメロディーをつないだだけのように聞こえてしまうのですが、これを一つの曲に聞かせるのは
センスと技術が「怪盗少女」のようにセンスが必要なんです。

さらに特徴的なのはコーラス・アレンジです。

色々やっているのですが、多分感覚だけでやっていてラインもぶつかりまくりです。そもそもメインボーカルもピッチが悪いので気持ちが悪いです。

トッド・ラングレンは高野寛のレコーディングの時に「コーラスのラインは少しぶつけろ」とアドバイスしたそうですが、これを実践しているのかもしれませんが、やり過ぎですね。

ですが、これも聞いてると病みつきになるんです。

ギターの響きもどこか違和感があるので変則チューニングかもしれません(ただチューニングが悪いだけかもしれませんが)

歌詞の意味は僕の英語力とグーグルの力では何が言いたいのか分かりません。 


「ポリティックス」「ファッション」というような曲名から察するに世相を皮肉るみたいな感じなんでしょうか。

彼らは何に影響を受けたか謎すぎるのですが 「スパークスは好きだ」と言っている記事を見つけました。
確かに言われてみればメロディーの感じは近いです。

あいみょんのメロディーがスピッツに近いというのに似てるかもしれません。

B面は最後はドラムのパターンがループするカッティングで終わっていて、これはサンプリングで使えます。許諾も難しくないと思うのでお勧めします。
(再発のアナログはこれが再現されておらず残念です)

ジャケットは勘違いした中国イメージですね。 


リーズ出身のバンドといえばレッチリにも影響を与えたギャング・オブ・フォー(アンディ・ギル RIP)
を思い起こしますが、この名前の意味は中国の四人組の事なので、リーズで中国のイメージが流行ったのかもしれません。

YMOの「ソリッド・ステート・サバイバー」が79年なので、ここから影響を受けたのでないか?という推理も成り立ちます。

日本からの影響があるかもしれないと推察するのはメンバー全員、三島由紀夫のTシャツを着ています。



三島由紀は過激派右翼だと思うのですが、どこまで彼の思想を理解していたのかはよく分かりません。

(軍の基地に乗り込んで演説して切腹して死んだなんていうのはパンクと言えば最高にパンクですが)

ストラングラーズも同時期に三島由紀に捧げるみたいな曲があるので、当時イギリスで流行ったんでしょうか?
(去年の日本公演でやるかと思ったらやらなかったですね)

今、日本で三島由紀のTシャツ着てたら、危ない人だと思いますが、東大生のとの対談の映画が良かったので、ちょっと欲しい気もします。

ちなみに僕の母親は三島由紀夫とお見合いの話があったそうです。
もし母親が三島由紀夫と結婚してたら僕は半分だったわけでどういう人生を送ったか、下北沢駅前劇場での小劇団の演目になりそうですね。

話が外れました。

インタビューを読むと、ジュディのルックスを前面に打ち出してポップ路線で行くかサブカル路線で行くか悩んだみたいな事を言っているのですが、
可愛い系でもないし、アート系でもないし確かに微妙ですね。

ちなみにチャートは60位だったそうなので商業的には失敗ですね。

その後、アメリカ・ツアーに行ったけど、客はあまり居なくて、「サイン会をやってもスパイナル・タップみたいだった」と言っています。かなり悲惨だったのでしょう。

その後解散は理由ははっきりしませんが、要は売れなくて嫌になったのだと思います。

前述のインタビューでラフ・トレードと契約していたら違った状態になっていたかもしれないと言っているので、ジュディがデモをラフ・トレードにおいて行かなかった事をかなりに根に持ってるのだと思います。

ボーカルのジュディは地元で広告代理店に就職。
ギターのジェィムスはサイコビリー系のいくつかのバンドに参加しています。
トール・ボーイというバンドでミニ・アルバムをリリースしていますが、何にも面白くありません。
という事はGAOBの素晴らしさははボーカルのジュディの才能に起因していたのではないかと思います。

87年に82年にレコーディングされたジョンピール・セッションズがリリリースされました。

演奏はツアーを経ているのかアルバムよりタイトにまとまっています。

面白いのは自分たちの曲6曲をメドレーでやっているのですが、転調こそしますが、テンポとドラムのパターンが全く同じでDJミックスのようになっています。

つまり、このバンドは前述したように思いつきでジュディが作ったメロデイーを1曲にまとめるという曲作りをしていたので、こういうアレンジは得意だったのではないでしょうか。

このアルバム、存在は知っていたのです、それこそロンドンのレコ屋で探してもシングルが見つかっても、このアルバム見つからなかったのですが、下北沢のディスク・ユニオンで10年ほど前に偶然引き当てた時は本当に手が震えました。
こんな経験は後にも先にも一回だけです。


この原稿のために色々掘っていたら最近のジェームスのビジュアルを見つけてしまいました。

当時はブリクサ・バーケルトやロバート・デニーロのようなビターな感じのイケメンだったのですが、今やカブトムシのメスないしは島田洋七になってました。
これは偶然あっても絶対に本人と認識出来ないと思うと残念です。

当時


現在

















































僕はリアル・タイムで徳間ジャパンから出たラフ・トレードのコンピで82年頃に聞いて衝撃を受けたのですが、全く情報がなくアルバムの国内リリースもなく輸入盤も解散後の事なので入手は不可能でした。







その後、日本のビニール・ジャパンが1994年に初CD化、









最新の画像もっと見る

コメントを投稿