フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

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ブッダと子捨て POURQUOI BOUDDHA A QUITTE SON ENFANT

2006-12-18 21:17:18 | 科学、宗教+

今年9月、空港で出会いパリに向かう機内で途中まで読みそのままになっていた本を読み終える。

山折哲雄「ブッダは、なぜ子を捨てたか」(集英社新書)

2005年には、この国において106万7000人が生まれ、107万7000人が亡くなっているという。すなわち、1899年に統計が始って以来、敗戦の年を除いて初めて死亡者数が出生者数を上まわった年であることを知る。今後この傾向は益々強まるであろう。なぜなら、若い世代の中に、子供から自由でありたい、子供にわずらわされたくない、子供をつくるまいという、謂わば 「子捨て」 の心情を著者は見ているからである。同時に、親の最後を社会に任せようとする 「親捨て」 の時代の足音も聞いている。

歴史的に見ると、このような状態を真面目に受け止めようとしたのが宗教者であったという。しかもブッダにしてもイエスにしても、その人生は親捨て子捨てで彩られている。その過程で彼らは何を捨て、何を得ようとしたのか。その疑問に答えるべくこの本を書き始めたようだ。神話化されたブッダではなく、人生の原点に立ち返ることによって見えてくるものはないのか、そんな思いが著者を突き動かしている。したがって、ブッダの人生を次の三期に分けて考える。紀元前5世紀の誕生から結婚し家を出る前後までの 「シッダールタ (悉達多:しつだつた)」、家を出てブダガヤで悟りを開くまでの 「シャカ (釈迦、釈迦牟尼)」、悟りを開いて以降の 「ブッダ (仏陀)」 である。 

「こころをとどめている人々は努めはげむ。
 かれらは住居を楽しまない。
 白鳥が池を立ち去るように、
 かれらはあの家、この家を捨てる。」
 (ダンマパダ・7-91、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』)

当時のインドではヒンドゥー教が力を持っていた。その教えなかに人生の理想的なあり方を四期に分ける考え方があった。「四住期」 という。すなわち、第一住期は、師について勉学に励み、禁欲生活を送る 「学生期 (がくしょうき)」、第二住期は、結婚し、子供をつくり、神々を祀って家の職業に従事する 「家住期」、第三住期は、妻子を養い家が安定した段階で家長が一時的に家を出て、これまで果たすことのできなかった夢を実行する 「林住期」、そして最後はほんの一握りの人が到達できるステージで、彼らは家族のもとには帰らず、たった一人で遊行者の生活を送り、聖者への道を目指す 「遊行期 (ゆうぎょうき)」 あるいは「遁世期 (とんぜいき)」 と言われる。

ブッダの人生を簡単に見てみたい。シッダールタ16歳(あるいは19歳)の時に、ヤソーダラー(耶輸陀羅:やしゆだら)と結婚。13年後、29歳の時にラーフラ(羅睺羅:らごら)が生まれる。その夜(あるいはその一週間後)にシッダールタは家を出たといわれている。それとは別に、シッダールタの家出後6年でラーフラが生まれたという、常識では考え難い言い伝えもある。前者は南方系の伝承で、後者は北方仏教の流れから生まれたという。後者はどちらかというとブッダを神聖化しようとする傾向が強いようだ。

こどもが生まれたことを見届けて家を出たとするシッダールタの行動を、どう理解したらよいのだろうか。それまでに生活するなかから、自分の理想のようなものがどんどん成長していって、その実現のためには今しかないと考えたのだろうか。あるいは、性愛に没頭していた生活に自己嫌悪を覚え、その結果としての罪の子誕生が彼を苦しめたのではないかということも考えられるという。ブッダの家出には、生・老・病・死という苦しみから自己を解放する「四門出遊:しもんしゆつゆう」のお話があわせて語られる。それは、シッダールタが宮殿の東の門から出て老人に会い、南門では病人に、西門では死人に、北門では出家者に会った。この世には悲惨な生活があり、そこを逃れ隠遁生活をする人間がいることを知る。シッダールタのなかに、このまま妻子と一緒に過ごすことになれば、世俗の中に取り残されてしまうのではないかという焦りの中にいたのではないか、今やらなければならないことが自らの前にあるという自己中心的な考えが彼を捉えていたのではないか、と山折氏は想像している。そして、6年に及ぶ「林住期」がどのようなものであったのかが鍵になると考える。

「林住期」とは、自由な時間と生活を求めて一時的に妻子、家を捨ててひとり遍歴の旅に出るもので、一人瞑想してもよし、巡礼の生活を楽しんでもよし、宗教や芸術の仲間との交遊に使ってもよい。この時期にシャカは再び「家住期」に戻るべきか、「遊行期」に進むべきか悩んでいたのではないかという。心を酔わせる自由と家を捨てる良心の呵責の間で悩み、そして決断した時期がシャカの人生にとってきわめて重要だったのではないかという。このことは同時に、父スッドーダナ(浄飯王:じようぼんのう)を捨て、継母マハーパジャーパティ(摩訶波闍波堤:まかはじやはだい)を捨てたことになる。血縁のわずらわしさからの逃避をも意味していたかもしれない。仏教の歴史には、脱血縁の思想が見られると山折氏は言う。

ブッダがなぜ子を捨てたか、については明日以降に。

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