新聞を購読しなくなって久しい。今朝、電車に乗る前に The Daily Yomiuri を買う。こういうスタイルになってから、新聞がびっくり箱の役目を果たしてくれることに気づく。毎回何かが飛び出す。今回はドナルド・キーンさんの自伝的なエッセイ "Chronicles of My Life in the 20th Century" (私と20世紀のクロニクル )。すでに3回目だった。
第3回のタイトルは、「巴里への旅」。その中で、外国や外国語との出会いを語っている。詳細はわからないが、まずアイルランドに向ったようだ。そこで広告を見て、同じ英語なのだがアメリカとの文化の違いを感じる。それからフランスに入り、シェルブール Cherbourg から巴里に向かう汽車の中ではフランス語に囲まれることで興奮し、何より長年の夢であった外国にいるというそのことだけで興奮を新たにしていた (私も同様の経験がある)。また窓の下にあった金属に記された窓を開ける時の注意書き “Vivement mais sans brutalité” (「勢いよく、しかし力をかけ過ぎないように」) には人生にも当てはまると感心している。
アイルランドでは言葉に何の不自由もしなかったが、フランスに行って初めて人はなぜ外国語を学ばなければならないのかを感じ取ったという。車の中で同年代のフランセーズと一緒になったが、それぞれ相手の言葉を知らない。気まずい雰囲気の中、彼は知っていた唯一のフランスの歌 “Frère Jacques” (Yomiuri のアクサンの間違いにも気付くようになっている) を歌う。その経験以来、外国語に興味を持ったようだ。
1931年に 巴里を訪れた時に国際的な博覧会が開かれていて、その中にいると世界中を旅しているような錯覚に陥ったようだ。インドシナのパビリオンではお頭付の魚料理が出たが全く手がつけられない。店の人が頭を取ってくれても駄目。外国には惹かれるものの、その心には偏見が巣くっていることを思い知らされる。今ではほとんど何でも食べられるようになったが、それでも犬の肉やアラブの得意料理、羊の目玉や中国のサルの脳(危なそうである)、日本のすっぽんの生血など、それぞれの文化の中でうまいとされているものだが、未だに受け付けないという。
体に染み付いた文化的なものは、いくつになってもなかなか拭い取れないもののようだ。巴里の思い出よりは料理の方が強烈な印象を残しているという。私も子供の頃食べた懐かしい家庭料理があるが、なかなか再現してもらえない。
Whiter, whiter than
The stones of Stone Mountain―
The autumnal wind.
奥の細道が、まるで米国まで続いているようです。