フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

哲学教師という職 PROFESSEUR DE PHILOSOPHIE

2006-08-05 10:11:50 | 哲学

フランスの思想家や哲学者の経歴を見ていると、高校の哲学教師をやっていた人が多い。そもそも哲学教師の資格というものがフランスにあるということ、また日本にはない (と思うが) ことに改めて目を見張っている。

そう思っている時に偶然にもフランスの高校の哲学の授業がテレビ番組で流れているのを見て、そのタイミングの良さに驚いた。ほんの15分程度しか見られなかったが、しっかりとした射るような眼をした哲学教師の話と生徒とのやり取りを見ていると、哲学という科目がどんなものなのかという感触をつかむことができた。日常のいろいろな問題について自由に自分の考えを探り、表明し、討論する。哲学者について調べるとか、哲学の歴史をお勉強するというのではなく、そもそもはっきりした答えが出ないようなことについて、自分の頭で考えるという姿勢を学ぶ科目として扱っていた。

テレビで見る限りだが、彼らの生活の流れがゆったりとしていて、地に足がついている印象を持った。また自分の頭で自分の周りのことを考えるので、それが行動へと結びつきやすいのかもしれない。フランスに触れるようになって最初に驚いたのは、日本ではほとんど見られなくなったデモやストが頻繁に行われていることだった。最近では若者の就職に不利になる政策 (CPE) に対して、過敏にしかも過激に反応してその政策を変えさせる大きな力になった。哲学の授業がそのもとにあると言うつもりはないが、建前を唱えるところで満足せず、自分の頭でなぜ?どうして?と考える癖がフランス人の頭の中には脈々と流れていることは間違いないような気がしている。

外国語教育については議論が絶えないが、 「哲学」 を日本の教育に取り込もうという話は出ていないようだ。自分の頭で考えることを教えるには、「哲学」 を高校の授業に取り込むというのは案外有効かもしれない。即効は期待できない。100年単位の想像力が求められるだろう。しかし、少しは別の視点から、もう少し深くものを見てみようという姿勢や議論しようという空気の醸成に結びつくのではないだろうか。

(version française)

コメント (8)
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