フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

「骨唄」 を味わう GOUTER "LA CHANSON DES OS"

2006-08-13 00:22:15 | 舞台

バスを降りて歩き始めると雷が鳴り土砂降りになった。その中を吉祥寺シアターへと向かう。なかなか着かない。開演まであと10分である。前進座に入り場所を確かめる。最初の道を間違え、まったく違う方向に進んでいたようだ。体も荷物もびしょ濡れ。雨は靴の中まで入ってきて、川の中を歩いているが如し。ここまできたら、完全に開き直ってしまった。こうまでして来る価値があったのか、なかったのか。フランス語の Ça vaut la peine ou ça ne vaut pas la peine. を思い浮かべながら歩く。

劇場に着いたのは開演時間の2時を過ぎていたが、まだ始まっていなかった。中に入ると暗い中に白い風車 (かざぐるま) が音を立てて回っている。すぐに彼らの世界に引き込まれてしまった。そして私が席に着くと芝居はすぐに始まった。

骨唄

作・演出:東憲司
出演:高橋長英、新妻聖子、富樫真

「骨、咲キ乱レテ風車」

人骨に彫刻を施す仕事をしている父親と娘2人の物語。骨や風車が前面に出ているが、そこには故郷、土地の記憶、神話、民話 (言い伝え)、理に叶っていないもの、気が触れると見えてくるが普通の目には見えないもの、家族(姉妹関係、親子関係:関係・対立=愛?)などと、それらを破壊してきた、そして今も破壊して続けている近代化、進歩と言われるものとの対立が顔を出す。肉親の間で交わされるやり取りでは人間の生の姿が現れるので、自らの来し方が重なって久しぶりに本能 (根) に近い部分が刺激されていた。また普段聞き慣れない腹から出てくる声や金切り声、会場が底から震えるような効果音などを聞きながら、何かが解放されたようにも感じた。やはり生身の人間が発散するものに触れると、他の形態では感じることのできないものが迫ってくるようだ。ある種のカタルシスだろうか。

出演者の演技も素晴らしく、熱演であった。また舞台も美しく、200席程度の劇場はこの手のお芝居を堪能するにはもってこいの空間になっていた。最初の問いに戻るとすれば、はっきりと Ça vaut la peine ! と答えるだろう。フランス語学校の机に残されていたチラシとの出会いに感謝。

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