フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

エリク・サティー ERIK SATIE

2005-06-25 21:29:18 | MUSIQUE、JAZZ

24日(金)の夜、作曲家エリク・サティー Erik Satie (1866-1925) の手紙を基にした芝居を見に出かけた。

Choses vues (à droite et à gauche et sans lunettes)
(「目に入るもの - 右から左から眼鏡なしで」 というような意味か。彼の曲名から取っているようだ)

案内によると、彼は 1,450通、1,200ページに及ぶ手紙を残している。その手紙からサティーという人間を如何に浮かび上がらせるのかに相当苦労したらしい。彼の手紙は基本的には、しばしば不機嫌 (mauvaise humeur) になる彼の気分を伝えており、考えをまとめてから反応するのではなく (sans esprit de synthèse)、反射的に返事を出すというのが特徴のようだ。

今回の芝居はその手紙を元に、以下の3人が掛け合いをするというもの。
 手紙を読むサティ: Jean-Paul Farré (ダイナミックと言えばよいのだろうか、声量の幅が相当に広かった。)
 手紙の背景の説明をする役者: Bernard Dhéran (la Comédie-Française に30年以上いた後、1989年に退団。この舞台では、サティを少し遠くから愛情を込めて見ているという雰囲気。声は深く渋かった。)
 掛け合いの間に彼の曲の断片を演奏するピアニスト: Michel Runtz (フランスで教育を受けた後スイスに在住。おっとりした感じに見えた)

ピアニストが少し若いくらいで、Farré は50代後半、Dhéran は優に60歳を越えているだろう。語彙が豊富なので、芝居にはなかなかついていけない。まわりではくすくす含み笑いをしたりしているのだが。一番耳に残っているのが、ア(à:手紙のあて先を言うため)、ウー・エス(ES:手紙の最後の署名なので頻繁に出てくる)。その他、ironique、méchant、miséricorde、misanthrope、それから同時代の芸術家の名前が次から次に、Debussy (1862-1918)、Francis Poulenc (1899-1963)、Darius Milhaud (1892-1974)、Vincent d'Indy (1851-1931)、さらにサティーのバレー音楽 「Parade」 の話になり、Picasso、Sergei Diaghilev (1872-1929)と Ballet russe、Jean Cocteau (1889-1963)の名前が出てくるが、その時かその後なのか、コクトーとは余りうまくいかなかったようで、Cocteau et autres salauds (コクトーと他の馬鹿ども)、anti-Cocteau などの言葉が飛び交っていた。最後は亡くなった後に見つかった、若き日に思いを寄せていた女性に宛てた手紙が読まれた(恐らく)後、ピアノ作品、33ème Gymnopédie, pour piano à 4 mains (4手のピアノのためのジムノペディー第33番)が、余暇にはピアノを弾くという Farré 氏も加わってユーモラスに演奏されて終わった。小さな劇場なので役者との距離も近く、フランス語の音を充分に楽しむことができた。

彼自身は、自分のことをこのように捉えていたようだ。
 Né si jeune dans un monde si vieux
 [ 余りにも古い世界に余りにも早く生まれ(てしまっ)た。]

誤解もされていただろう、愛すべき男だったのではないだろうか。

演劇評の中に次の記述がある。
Erik Satie fut le plus sociable des misanthropes, le plus cocasse des dépressifs et le plus épistolaire des musiciens.
[ エリク・サティーは人間嫌いの中で最も社交的で、鬱の中では最も滑稽で、音楽家の中では最も文学的(手紙による)だった。]

Erik Satie qui mord à belles dents dans son époque
[彼の時代に手厳しい批評の手を加えたサティー]

C'est drôle et pathétique, brillant et sombre, cocasse et délirant. Un moment exceptionnel !
[ この劇は面白いと同時に悲愴で、才気煥発かと思えば陰鬱で、滑稽でしかも妄想的。素晴らしいひと時だった。]

そう思えるのはいつの日だろうか。

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2 コメント

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モンパルナスの劇場ですか (夢のもつれ)
2005-07-20 09:31:57
なかなかおもしろそうなお芝居のようですね。

サティはものが捨てられない性格だったそうで、没後に部屋を整理するのが大変だったとか。そのくせ人との付き合いは使い捨てといっては言いすぎですが、仲違いすることが多かったようです。

その代表格のドビュッシーはサティを評して、居心地の悪い現代に現れた心優しき中世の音楽家というようなことを言ったそうですね。

潔癖症で、たぶん音楽以上に文学的才能があったんだろうと思います。

多くの芸術家が集合したパラードは、サティの音楽としても集大成のような気がします。そういう言葉は嫌悪したでしょうけど。
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面白い人だったようです (paul-ailleurs)
2005-07-22 05:36:50
いつもコメントありがとうございます。どこかで(おそらくテレビかラジオのテーマ曲)聞いたことのあるTrois Gymnopedies: No.1. Lent et Douloureux で始まった芝居は面白そう(!)でしたが、それは彼自身の人間臭さから来ているのだと思いました。あれだけの手紙が残っていたのは、彼のそういう性格からだったのですか。没後の手紙と作品が紹介される部分も印象に残っています。彼自身時代に合わないと思っていたようですが、ドビュッシーがそう評しているのは興味深く読みました。そのせいでしょうか、相当に辛辣な皮肉家でもあったようで、共感する部分も少なからずありました。



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