この1週間ほど待つ身を託っていたが、本日遂に解放され、のんびりとした週末となった。しかし後半には、tanguilhem様からの貴重なコメントからフランス語の勉強をすることになった。それは以下のようなことである。
私の記事に、「パスカルに自分を見る」 というのがあり、それに "Trouver moi dans Pascal" という仏訳を付けていたが、それについてのやり取りである (詳細はこちらです)。
私の頭では、moi を名詞として使っていた。その場合は冠詞が抜けているようであり、"Le moi" とした場合はより一般的な自己というニュアンスが強くなると感じられたが、「えいやーっ」といういつものクセでそのまま敢行した。これについてコメントを求めたところ、先月のパリ滞在でお会いしたR様から早速示唆に富むサジェスチョンをいただいた。やはり、"Le moi" の場合には普遍的な自分というものというニュアンスが強いので、私の言いたいところを考えると変えた方が誤解がないのではないか、とのことであった。そしてそこには次のような提案がされていた。
"Je me découvre chez Pascal"
"Je m'aperçois chez Pascal"
こうすれば、一般的な自己というより自分の特有のmoiを見つけたという意味になるだろう。さらに、
"S'entrevoir chez Pascal"
とすれば、自分の中のある要素をパスカルの思想に見つけたという意味と、より普遍的な自己をパスカルの中に見たという意味も込められ、文体としてはこれが一番良いのではないかとの結論になっていた。
一つのコメントから大いに勉強させられた週末の夜となった。
こんばんは。ご無沙汰しておりますがお元気でしたか。随分と暖かくなって来ましたね。さて、今日の記事、僕はパスカルは全く門外漢……。ですが、訳あって毎回パリを訪れるとポール・ロワイヤル・デ・シャンを訪れます。入り口近く、カーブの所にある「小鳥達のさえずリ」と言うレストランで昼食を摂り、季節が良ければラシーヌの道を散策です。それからもう一つ、今日のお写真、僕が昨秋にルーヴルで撮って来たものと一緒です(笑)トラックバックさせて戴きましたので、お時間がありましたら見て戴けますでしょうか。彫刻のタイトルをメモして来るのを失念しましたが、これはパスカルの像でしょうか?お教え戴けると嬉しいです。何だかチョッと親近感を覚えてしまいました……。
今日の写真はご指摘のようにパスカルの像です。貴ブログの写真を見させていただきましたが、私が訪れた時には暗い部屋に置かれていた印象がありますので、雰囲気がかなり違うように感じました。説明文の写真を見ますと以下のようにありますので、タイトルはブーレーズ・パスカルということになるのでしょうか。
Augustin Pajou
(Paris, 1730 – Paris, 1809)
Blaise Pascal (1623-1662)
Marbre, Salon de 1785
40才を前に亡くなっていますが、その目には老成の色が漂っているようです。