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ぴろ姐の「日々是反省」

菊地裕子がお送りする、人生泣き笑いブログ

2016新人公演“私設”応援團員のつぶやき

2016年07月11日 | レポート(公演など)
 7月になってしまったが、とにかくお約束したので、日本フラメンコ協会主催の新人公演(6月17〜19日)で気になった出演者(バイレソロ)へのコメントをつらつらと綴ってみる。

 まずお断りせねばならぬのは、今回、私は奨励賞の選考委員ではなく、また、アクースティカの新人公演応援團も終了したということがあって、ステージをかなり気楽に見ていたということ。
 選考・評価という枷がないぶん、純粋に自分の楽しみのために見ようと思っていた。それが成功したかどうかはともかく、選考委員席に座っている時とはまた別の、というか、昔に戻ったような、新鮮な気持ちで見ることができた。ただ、そもそも評価しようと思って座っていたわけではないので、詳細なメモなどない。
 正直、原稿にするにはかなり気が引けるのだが、とりあえず暗闇で書いた、ミミズが這ったような字の短いメモを頼りに、記憶に刻まれた出演者についてだけ、少しだけ書いておきたい。

<バイレソロ>
 バイレに関しては、今回、様々な面白さを再発見した。乱暴だけど、フラメンコを志す人には、①好きなフラメンコに突き進む人、②フラメンコ的な雰囲気に包まれた舞台を目指す人、③フラメンコっぽいことに携わっていたい人、といった3つのタイプがあるような気がしていた。もちろん、複合的な人も稀にいるけれども、私自身は、年々、①のタイプに目がいくようになっていた。
 ところが今年、「新人公演を楽しむ」というコンセプトで臨んだせいか、どのタイプも面白かったのが意外だった。「フラメンコが面白い」というよりも、「フラメンコをやろうという人々が面白い」みたいな。新人公演は、やはりそういう場なのだと、あらためて思ったりして。それぞれの思いを尊重したいという気になった。不思議だなあ。選考とか評価ということになると、もっと心が狭くなるんだけど(笑)。
 あ、それとは別に、いただいたプログラムに「唄振り!」とのメモが多い。これは多くの方が唄振りになるとテンションが落ちたり、まったく唄と無関係に踊っているケースが多いという印象があったからだと思う。常日頃の稽古はギタリストとだけやっていることが多いからだろうとは思うけれども、唄振りの貧相さをどうにかするには、やっぱり基本的にカンテを聴くしかないのだろうと思います。ええ。それしかないですよ本当に。

 そんなわけで、私の記憶とメモに残った方々について、出演順に書きます。奨励賞やラス・ミナスの選考については触れませんので、悪しからずご了承のほど。

<6月17日>
1.長嶺晴香「ソレア・ポル・ブレリア」
 トップバッターの緊張を感じさせない、堂々とした踊り。体の使い方が上手いが、時々コンパスが乱れるのが惜しい。踊りがダンス的なのが気になる。あと、力配分が平板になりがち。頑張れ!

2.屋良有子「ソレア」
 誰のようでもない、オリジナリティの凄さを感じる踊り。胸がすくキレの良さ。私は大好きだけど、問題は、自らパターン化してしまうこと。自分で自分を超えていく頃合いか。しかし素晴らしい逸材!

8.久保田晴菜「アレグリアス」
 年々、力をつけてきていることを感じさせる。今回が一番良かった。体の使い方も素晴らしい。リズムも心地よい。あとは、あなたが感じる「フラメンコ的」なことを深めていってほしい。

9.本田恵美「アレグリアス」
 フラメンコにこんな色んな面白さが!というぐらい楽しい演目。これでもかというぐらい沢山のフラメンコならではの“技巧”があって、この人のチャレンジ精神は本当に凄い。堪能しました!

13.大塚歩「アレグリアス」
 全体的にとても好い雰囲気。けれども、小粒な印象を受ける。恐がり屋さん? もう少しはっちゃけると、ずっと魅力的な踊りになると思う。色んなアレグリアスを沢山聴いてみて。

16.加藤誠子「シギリージャ」
 厳しさがあって、私は好きだった。でも盛り上がりが今ひとつ。惜しいけど、そういう人は沢山いるのだよ。うんと勉強して、うんと踊って。稽古も勉強も鍛錬も、絶対にあなたに応えてくれるから!

20.松本千晶「ソレア・ポル・ブレリア」
 とてもキレがあって、足のメリハリがgood! 期待して見ていたが、後半、やや息切れの感。力配分がうまくいかなかったかな? 年々成長していると思います。伸びしろに期待!

21.牛田裕衣「ソレア」
 力の使い方がフラメンコ。ブラソ。としかメモがない。けれども、これは私がバイレに対する時に使う、最大級の褒めメモ言葉です。どうぞ自分の感覚を信じて、精進してください。

<6月18日>
10.小西みと「グアヒーラ」
 踊り手として非常にバランスが取れていて美しい。マリリン・モンローがバタ・デ・コーラにアバニコ持ってるような色気があるが、少し安っぽさを感じる。好みが分かれるところかな。私としては、ギリギリな危機感を持ってほしいのだけど。

11.古迫うらら「ソレア」
 大変にフラメンカ。小柄だけどエネルギー大。でも、決めの時にそのエネルギーが逃げていくのがもったいない。大きく見せようとして全部開放してはだめ。もっと深く、もっと重く。期待してます!

12.長本真由「ソレア・ポル・ブレリア」
 力強く、緩急のある踊り。この曲種としてはかなり好い線だった。けれども、惜しいかな、一杯いっぱいの感じになった。もう少し余裕がほしい。ほんと、あともう一歩!

14.黒須信江「ソレア・ポル・ブレリア」
 この方は本当に実力のある踊り手だと思う。メモがぐじゃぐじゃに重なってて読めないけど(汗)、読めるとこだけでも「すばらしい」「コンパス感」「すごい」とある。もう本当にそういうことです。Ole!

19.蜂須夕子「ソレア」
 今回、モイ・デ・モロンの唄で踊った人が沢山いたが、彼女はその唄に負けない踊りをした数少ないうちの一人。だが、まだ足りない。強さが。菊地的には、こんなにバイレに理想的な体型はないと思っている。もっとガスガスやって!我が儘と黒さと温かさと優しさは十分に共存できるのです。

21.漆畑志乃ぶ「アレグリアス」
 メモに「バタが美しい!」と。その言葉だけで思い出すほど、バタ・デ・コーラの美しさに感動した。バタの美しさは扱いの美しさだけでなく、その所作がコンパスに入っているかどうか。いや、彼女は本当に素晴らしかった!

22.藤本ゆかり「シギリージャ」
 非常に厳しさを感じる踊り。コンパス感が素敵。私、大好きなんだけど、惜しむらくは大舞台での見せ方が今ひとつ。もっと見せ方の工夫がほしい。
※そんなこと、フラメンコと何の関係が…と思われる向きもありましょうが、新人公演が大舞台で行われる以上、観客は大舞台でのものごととして見るので、やっぱりそれは舞台に立つ者として意識しなくてはならぬと思うのです。フラメンコであることと、舞台人であることは、決して一緒にはならない、個々人のなかで消化していかねばならぬ問題であろうと、菊地は思っています。かつて、アントニオ・カナーレスやサラ・バラスにも質問したことがあります。「あなたのフラメンコは自由だけど、オブラ(劇場作品)の場合は自由ではないですね?それはフラメンコと言えますか?」。答えがどうだったかは、ここには書きません。あなたが大きな舞台を目指すのであれば、ここは自ら考えるべきところだと思うから。でも、そうでなければ、もっと違うアプローチの仕方がある。あなたがいずれを選択するにせよ、それがあなた自身のうちから出た答えであれば、私はそれで良いと思います。

25.池田理恵「ソレア・ポル・ブレリア」
 コンパス感のある踊り。フラメンコらしさが感じられる。しかし、こういう曲種でこういう振付だと、かなり緩急をつかないと平板になる恐れが。シェネにキレがもう少し欲しかった。

26.黒木珠美「ソレア」
 成熟したフラメンコ舞踊の魅力。踊り巧者だけど、パンチがない。あなた自身を吐露するような瞬間が欲しい。ぐっと心に迫って来る瞬間が。だって、ソレアじゃないですか。怖がらないで。

30.津田可奈「ソレア」
 非常にコントロールの効いた踊り。色々、申し分なし。後は個性を磨くことでしょう。自分の得意なこと、やりたいこと、訴えたいこと、突き詰めたいこと……etc. ともあれ素敵でした!

31.阿部和子「アレグリアス」
 花丸をつけた。待ってました!素晴らしい「おばちゃんフラメンカ」!田舎くさい、でも味のある、好きなことを頑張ってやり続けたら、こんな風に純粋なフラメンコが踊れるという…ばんざーい!!阿部さんは私にとって日本のフラメンコの希望の星です!!

32.永田健「マルティネーテ」
 おお、進化してますね!かなり作り込んでいたけど、今回のマルティネーテはあなたに合っていた感じがしました。地道で非常に好感が持てます。佳き踊り手なり。

34.斎藤克己「タンゴ・デ・マラガ」
 とんでもないベテランが出てきた。こういうチャレンジ魂が見られるから協会の“新人公演”って面白い!私が克己さんの踊りを見たのは20年ぶりぐらいかな?今回はその頃よりもフラメンコ性を感じたけど、驚いたのは身体で作るラインの美しさ。最近の若い男子の踊りにはなかなかない、フラメンコのこだわり。見とれてしまう。大きな舞台での見せ方を心得た、お手本のような踊りでした。

<6月19日>
17.李成喜「ソレア」
 バランスが取れていて、とても良い感じ。ただ、足音がパルマで聞えないので、聞かせたくないのかと思ってしまう。パルマが悪いんじゃない。エスコビージャの時に集音マイクのところまで来れば、普通に足音は聞えるのです。お願いします。

20.末松三和「ソレア」
 大変抑制の効いた身体、その動き。よりフラメンカになって、ああ、とても良かった!成長しましたねえ。こういう、成長していく踊り手に出会うと、本当に新人公演って素晴らしいなと思うんだな。

23.西山依里「タラント」
 なんとユニークな!どなたの振付だろう、ご自分だとしたら、かなりのオリジナリティがあった。いやあ、こんな面白いタラント初めてでした。コンパスも悪くなかったし、やり過ぎの感はありましたが、私は好きでしたよ。ガンガン、自分の方向を突き詰めるといいと思います。

27.大野環「シギリージャ」
 もう小物は使うなと言ったのに、今年はパリージョかいっ!と心の中で突っ込んだ。ところがなんと、このパリージョが素敵すぎた。生きていた。踊りとのバランスも非常に良くて、ちょっと鳥肌が立ちました。もう小物使うなとは言いません。ごめん。

29.松彩果「タラント」
 あはははは!なんと見どころ満載なんじゃ!もう、彼女はサービス精神があり過ぎる!この、やりたいことは全部やります、見せたいものは全部見せますっていう芸風(?)は、踊り手としては損な面があると思うけど、とても愛らしいので放っておきます。あと10年したら、きっと変わると思うし。

30.渡辺なおみ「アレグリアス」
 身体がよく動いて、上手い踊り手の印象。だが、全体にたったひとつの色合いしか感じられない。感情が動いている感じがしないのです。アレグリアスはひとつの感情だけで踊るものと決めないで、もっとよく探ってみて。

31.柴崎沙里「ソレア」
 よく鍛えられた身体で、とても抑制が効いている。なんといっても、全体の流れが良かった。これだけ自分で支えて表現できるのは、質の高い踊り手だと思う。今後が楽しみ。

34.重盛薫子「タラント」
 おそらく相当、踊り込んでいるのだろう、手慣れた感じの踊りに見えた。そうなると驚きがない。舞台とはいえ、そこは生き物なのだから、ギリギリの挑戦を持ち込んで自分を追い込まないと、見ている人にライブの感動は与えられないと思います。踊り手としてはかなりの高得点なので、心の向きを変えてみて。

35.近藤綾香「タラント」
 ストリート系?みたいな?オリジナルな振付のフラメンコ。ひんしゅくものだったかもしれないが、私は面白かった。「めっちゃかっこええ!」とメモにある(笑)。わくらばのような衣装も新鮮でした。おそらく若い方だと思うが、どんどん挑戦を続けてください。Ole!









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美しいコンパスが快感を呼ぶ

2015年06月18日 | レポート(公演など)
 なんという感動だっただろう。
 6月14日の日曜日、北千住のシアター1010でのラファエル・カンパージョ公演「Tres tiempos」。フラメンコ舞踊の劇場公演にこれほど心動かされたのは、本当に久しぶりだった。



 舞台装置も何もないステージに、出演者は踊り手=ラファエル・カンパージョ、ギタリスト=フアン・カンパージョ、歌い手=ヘロモ・セグラの3人だけ。派手な衣装もパーカッションもバイオリンもない。
 しかし、シンプル極まりない編成の彼らが共鳴し合って醸し出すフラメンコの空気の濃密さと気高さは比類なく、静かな幕開きから最後のフィン・デ・フィエスタまで、私は圧倒されっぱなしだった。

 東京公演のプログラムは以下のとおり。

1)ラファエルyヘロモ「マルティネーテyシギリージャ」
2)フアン「ロンデーニャ」
3)ラファエル、フアンyヘロモ「ファルーカ」
4)ヘロモyフアン「マラゲーニャyブレリア」
5)ラファエル、フアンyヘロモ「ベルディアーレスyタンゴス」
6)ラファエル、フアンyヘロモ「ソレア」
フィン・デ・フィエスタ・ポル・ブレリアス

 通常の公演なら、ハイライトはこの曲だと目星がつくものだが、この公演に関しては、特にラファの踊りは全てがハイライト、全てが見どころだったと言ってもいい。
 たとえば幕開き。暗い舞台にラファとヘロモが客席を向いて立っている。ヘロモが静かに歌い出すと、やがてラファの両腕が静かに上がってくる。劇場の空気が徐々に凝縮され、フラメンコに染まっていくのが感じられる。ラファの足音は時に繊細に、時に大胆に、時に巧妙に、しかし何時の時も確実に美しいコンパスを刻みながら、ヘロモの唄に呼応してラファ自身のフラメンコを表現する。
 ここで断っておかなくてはならないのは、「確実に美しいコンパスを刻む」というのは、何もメトロノームのような機械的正確さを言っているわけではない。コンパスには体温が、人の息遣いが必要だ。
 けれどもラファの足音を聞いていると、美しいコンパスであるためには、まず、足音を入れるべき厳密なポイントを寸分たがわず押さえ、なおかつ名人の唄のように自然な息遣いで表現豊かに打たねばならぬのだと思えてくる。一流のフラメンコ舞踊手というものは、かくも肉体をコントロールし、感性の扉を開け放っているものか。そして確実に美しいコンパスが刻まれると、人はこんなにも快感に酔いしれるものか。
 ラファの踊りは私の信じるフラメンコ舞踊そのもので、私は心のうちで「やっぱり、真のフラメンコ舞踊はこんなにも素晴らしい芸術だった!」と何度も叫んだ。
 彼の踊りの振付は非常にシンプルに見える。実は随所に超絶技巧がちりばめられているのだが、ストイックなまでに抑制が効いているため、これ見よがしな風情がない。見るだけの舞踊ではなく、感じるもの、体験するものとしての舞踊がここにある。

 ラファの踊りは全てがハイライトだったと書いたが、いま最も印象に残っている踊りはというと、彼のタンゴだ。
 もう10数年前だと思うが、野村真理子さん主催の公演にラファと妹のアデラが出演した時、インタビューをしたことがあった。その時ラファに、自分が踊るとしたらどの曲が好きかと尋ねたら、最初に「タンゴかな」と答え、その後あわてて他のいくつかの曲種をあげて「どの曲も好きだよ」と言ったので、ははん、おそらく本当はタンゴが一番好きなんだなと思ったのだった。
 今回、そのタンゴを観ることができたわけだが、これが予想を遥かに超えて面白かった。シギリージャの厳しさ、ファルーカの男っぽさとは打って変わり、滑稽味のある振付、楽しげな表情。
 それはまるで、小さい頃から年配者の踊りを見よう見まねで踊ってきたオジサンのようでもあり、彼のフラメンコへの深い思いが感じられる踊りで、私は思わず声に出して笑ったりしながらも、胸の中に熱いものがこみ上げてきて困った。フラメンコは愛と精進だよ、うん。
 この1曲が観られただけでも、この公演に行った甲斐があったとしみじみ思ったが、その後に深いソレアを踊るとは、いったいどれだけ体力があるのだ!

 カーテンコールではほぼ全員の観客が彼らをスタンディングオベーションで称えた。フラメンコ以外の何も混じっていない、息の合った3人の素晴らしいステージ。ああ、夢のようだった!
 皆様、ラファエル・カンパージョは今、本当に本当に凄いことになっていますぞ。観られた我々は幸運だった。見逃した方も多々いらっしゃるだろうが、次の機会があれば、ぜひぜひご覧いただきたいと切に思う。どうぞ皆様、常々ネットでフラメンコ情報をご確認くださいまし。

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踊り手必見のフラメンコ・フェスティバル

2013年09月29日 | その他

 昨日、日本フラメンコ協会から、新人公演の講評が載った会員向けの冊子『LAZO(きずな)』が送られてきた。同封されていた諸々の公演チラシの中に、新宿文化センター大ホールで開催される『フラメンコ・フィスティバル・イン・東京~flamenco flamenco』のものを見つけ、思うところあって、踊りをやっている方に向けて久しぶりに書くかなと当ブログを開いたら、あら、びっくり!本文を1年半ほど更新していないのは自覚していたものの、その代わりTwitterのつぶやきを表示させていたはずなのに、リンクが切れているではないの!
 考えるに、昨年の秋にブログのデザインを変更した際、リンクを再設定しなければならなかったのを、私が気づかずにいたのだろう。てことは、おそらくこの1年、このブログは何の変化もなかったってことだ。それなのに、今でもアクセスしてくださる方々が結構いるようで、申し訳ないやらかたじけないやら。わーん、間抜けでごめんなさい。これからは、もうちょっと本文の更新に努めます!

 ということで、気を取り直して今秋の『フラメンコ・フェスティバル』である。今秋といっても10月12日から3日間なので、もう間近だ。舞踊が中心の公演で、出演は12日がベレン・マジャ&マヌエル・リニャン、13日がイスラエル・ガルバン、14日がロシオ・モリーナ舞踊団という、現代スペインのモダンなフラメンコ舞踊を牽引しているトップスターたちばかり(エバ・ジェルバブエナのみ来年3月)。送られてきたチラシによると今秋の概要は次の通り。


フラメンコ・フェスティバル
flamenco festival in Tokyo
flamenco flamenco

【公演概要】

■10月12日(土) 14:00~
ベレン・マジャ&マヌエル・リニャン
“Trasmiín (トラスミン) ”
天才舞踊家を父に持つサラブレッドにしてトレンドセッター 8年ぶりの来日

■10月13日(日) 14:00~
イスラエル・ガルバン
“La Edad De Oro (黄金時代) ”
新境地を切り開く真正フラメンコ

■10月14日(月・祝) 14:00~
ロシオ・モリーナ舞踊団
“Danzaora (ダンサオーラ) ”
天才的な音感、驚異的な身体能力、そして天性の踊り手としての感性

●公演日程
2013年10月12日(土)~14日(月・祝)14:00開演 (13:30開場)

●会 場
新宿文化センター 大ホール

●入場料金
S席:10,000円
A席:8,500円
3演目セット券(S席):28,000円
※全席指定・税込)
※3演目セット券は、チケットスぺースにて電話予約のみ取扱い

フェスティバル特設サイト
http://www.parco‐play.com/web/play/flamencofestival/
公式ブログ
http://flamencofestivalintokyo.tumblr.com/

●ご予約・お問い合わせ
チケットスぺース 03‐3234‐9999

●チケット取り扱い
・チケットぴあ
0570‐02‐9999(Pコード 429‐103)
http://pia.jp/t/flamenco/
・ローソンチケット
0570‐08‐4003(Lコード33391)
0570‐00‐0407(オペレーター対応10:00~20:00)
http://l‐tike.com/flamenco/
・e+(イープラス)
http://eplus.jp/flamenco/
・新宿文化センター
窓口販売のみ(9~19時 休館日を除く)


 これら一連の公演は、フラメンコ・フェスティバルといっても、ただフラメンコ舞踊を踊るのではなく、それぞれが劇場用の舞踊作品として上演される。その作品の解説に私は興奮しているのである。以下、作品についての記述のみチラシから書き出してみる(原文は志風恭子氏/色字は筆者による)。


◆ベレン&マヌエルの『トラスミン』
 1966年父(巨匠マリオ・マジャ)の公演先のニューヨークで生まれたベレンは、父からフラメンコ舞踊の伝統と類いまれな創造性を受け継いだ。彼女は、90年代の半ば、それまで思いもよらなかった斬新な動きで、若手ニューウェーブの火付け役となる。そして21世紀に入ると、歌い手マイテ・マルティンとの共演を機に、伝統を蘇らせるネオ・クラシックを打ち出し、またもや時流を変えた。(中略)『トラスミン』では、ギターとカンテだけのシンプルな構成で伝統的なフラメンコに徹するが、もちろん独自のひねりは忘れない。

◆イスラエルの『黄金時代』
 早くから正統派舞踊手として頭角を現すが、20代半ばから発表を始めた前衛的な作品群で、才能を開花する。(中略)『ラ・エダー・デ・オロ(黄金時代)』も2005年より上演される彼の代表作の一つ。カンテとギターだけのシンプルな音と共に、19世紀末から20世紀前半にかけての「フラメンコ黄金時代」が生み出した伝統のフラメンコを、彼独特の斬新なタッチで今に蘇らせる。伝統の中に未来を見る珠玉の名作だ。

◆ロシオ・モリーナ舞踊団の『ダンサオーラ』
 天才的な音感、驚異的な身体能力、そして天性の踊り手としての感性。(中略)その巨大な世界がぎゅっと濃縮されたのが今回の公演(略)だ。ダンサオーラとはダンサーとバイラオーラ(フラメンコ舞踊家)を掛けた造語。そのタイトル通り、ロシオはここで、フラメンコであると同時に、それを超えた舞踊家としての可能性を存分に探求する。また、この作品では初めて即興の部分を入れ、毎回、新しいことに挑戦するという。

(引用終わり)


 私はベレンとイスラエルは、何度か生のステージを観ている。ベレンの踊りはモダンな動きにも伝統的な根っこが感じられたことが嬉しかった。イスラエルは予測不可能な動きの中にフラメンコのコンパスが息づいていて、心から楽しめた。ロシオは映画『フラメンコ・フラメンコ』で観ただけだが、モダンなスタイルを身体性の強化で推し進めた美学のありように驚嘆した。若手のマヌエル(ロシオだって若手だけどね)は未見。
 そんな私が、解説の何に興奮したかといえば、ベレンとイスラエルの作品に「伝統」という言葉がジャジャーン!と踊っていたからだ。バックもギターとカンテのみときた。もう、やったね!そうこなくっちゃ!!という感じである。そしてロシオの、飽くまで舞踊性の洗練を目指していると思わせる作品の解説にあった「即興」の2文字!舞台作品で、しかも舞踊団で、即興なんてマジですかっ???もうもう、どれもこれも、なんて楽しみなんだろう!

 けれども、私が踊りをやっている人にこの公演をオススメしたい理由は、それだけではないのだ。
 この夏も恒例の新人公演、怒濤の3日間があった。例年通り、私はバイレソロとバイレ群舞の選考委員を務めて講評を書き、それとは別に、アクースティカの『新人公演応援團』に舞踊出場者全員についてのコメントを書いた。毎年、出場者が舞台から発するエネルギーには圧倒されるが、今年は例年より残念な思いをした人が少なからずいた。目指している方向は間違っていないのに、大劇場での見せ方が上手くないのだ。先生からどれほど学び、スペイン人のクルシージョを沢山受け、スタジオで死ぬほど自主練習したとしても、この劇場での見せ方ばかりは実際の舞台を観て感動したり、実際の舞台を経験して苦労したことがなければ、身に付かないだろう。
 何も大劇場だから派手なことをやれと言っているのではない。その空間をどう使うか、広くか狭くか、濃密にするか軽やかにするか、そんなことは個人の感性や美学の問題だ。肝要なのは、大劇場の空間を肌で感じて自分のものとしてコントロールすることだと私は思う。
 10月に来日する3組は、おそらくそれぞれが全く違う印象を私たちに与えるだろう。それはどれが正解というのではなく、個々が追求しているフラメンコの世界の、現時点でのひとつの到達点なのだと思う。その舞踊はもちろん、彼らの空間の使い方にも、ぜひ着目してほしい。ソロであれ、パレハ(ペア)であれ、群舞であれ、大劇場で感動をもたらすものには、考え抜かれた工夫がある。素晴らしい才能を持った大物スターたちの舞台を、自分の目で観て、体感することは、フラメンコにたずさわる人には特に、得難いものを与えてくれるに違いない。生のステージがもたらすものを感じに、いざ劇場へ!

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渡辺亨が撮る!鎮魂の3.11

2012年03月09日 | その他
※下記の写真展は終了しました。
  ↓↓↓↓↓↓

皆様にお知らせです。

フラメンコの舞台写真でも有名な写真家の渡辺亨さんが、
ネット上(データネット)で5月いっぱい、写真展を開催しています。

宮城発、東北大震災、あれから1年!!
      鎮魂の3.11、宮城出身 渡辺亨が撮る


宮城県登米郡(今は登米市)出身の渡辺さんが、
震災から9ヶ月後の昨年12月、宮城県沿岸部を訪れて撮ったものだそうです。
この大津波の爪痕の記録を、ぜひ、多くの方に見ていただきたいと思います。
PCでは画面下方にコンテンツが並んでいますので、
そちらからご覧ください。

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恒例・新人公演応援團合評に思う(1)

2011年09月10日 | レポート(公演など)

さて、アクースティカのHPに掲載された、新人公演応援團合評の件だ。
(トップページ下方の最新情報から入れます)
ギター、カンテ、バイレ群舞、バイレソロの各部門について、
それぞれ数人ずつの応援團による原稿がすべてアップされている。

私は例によって、バイレ群舞とソロについて書いた。
いつものことながら、バイレは出場者が多く(群舞3組、ソロ65名)、
全員について書くのは、なかなかに骨の折れる作業だった。

しんどいのが分かっていながら、何故、毎年これを引き受けるのか。
それは、ここの「応援團」という姿勢と「合評」というシステムが、
新人公演の出場者に対する自分の思いを吐露するのに、
とてもしっくりくるからだ。


日本のフラメンコ舞踊について、また、それをやろうという人々に対して、
私には個人的な思い入れがある。
フラメンコそのものに対しても、ある。

個人的な思い入れを客観的なレポートの中に入れ込んでしまうと、
これはいかにも鬱陶しいが、
「応援團」という姿勢であれば、多少は許される(と思う)。
また、「合評」というシステムによって、
私の思い入れが他の誰彼の思い入れと並ぶことで、
それぞれの偏りが多少は中和される(と思う)。


私自身、書いている時は他の方々の原稿は目にしていないので、
アップされた合評を読んで、
「へえ、こんな感じ方があるのか」と思ったりする。
感心したり、驚いたりはするけれど、
結局、「でも私はやっぱりこうだな」と思う。
当たり前だ、自分が心底思ったことを書いているのだから。
それに、感じ方や意見が異なる人が書くからこそ、合評の意義がある。

だから、読む方も書かれた方も、
いろんな感じ方や意見があるんだなァぐらいの気持ちで、
斜めにお読みになればよいと思う。
「厳しい」という感想を時々いただくけれども、
この合評は決定的な評価ではなく、ただの讀物なのだ。


とは言いながら、書いた私は「しんけん」である。
いつも、まるっきり「しんけん」に書いている。
吐きそうになったり、胃痛やら頭痛やらを起したりしながら書いている。

こんなことを書いたら、書かれた方が傷つくんじゃないか、
自分の無知がさらけ出されるんじゃないか、
あれを観たすべての人とまったく違う意見なんじゃないか…。
そんな不安がいつも拭えない。

けれども、どうしても書かねばならぬと思ってしまう。
やむにやまれぬ思いが湧いて止まらなくなる。
加部さん(アクースティカの社長)に頼まれたからではなく、
舞台に立つ人々それぞれが、皆、「しんけん」であるからだ。

「私の感じるフラメンコはこれです!」
「私の考えるフラメンコはこれです!」
「私の理想のフラメンコはこれです!」
「私の想像するフラメンコはこれです!」
「これが私です!」

どうであろうと、皆、「しんけん」なのには間違いない。
その「しんけん」さに向かい合った時、適当なことなど書けるわけがない。
だから、あれが愚にもつかぬ文章に見えたとしても、
ひとえに私の「しんけん」さの不器用な表れだとご理解いただきたい。


そういう自分の文章を、しかし、私は恥とは思っていない。
フラメンコについて書く時にはこれしかない、いたしかたない。
そのいたしかたなさをさらけ出す勇気を教えてくれたのは、
ほかならぬフラメンコだったのだから。


続く(2)では、新人公演における評価の基準について書いてみたい。

今日はこれから、セルバンテス文化センター。
“唄うげーじつか”の個展で松丸百合さんのソロを観る予定。
いってきまーす!

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