楽園の微笑み ②
たくさんの文人・風流人たちにこよなく愛されたここ向島の百花園は、今も散歩の達人のパラダイスとして変わらぬ光彩を放ちつづけている。
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外出好きな母に連れられ、都電とトロリーバスを乗り継いで、はじめて私がここを訪れたのは45年も昔のことである。
5歳の私は「ふつーの庭じゃん」と思ったものだが、立派な老人の域に達しようとする昨今では「普通の庭じゃん」とやはり思う。
なのにどういう訳か、ついつい足が向いてしまう。
今年に入ってからすでに二度目である。もしかして、人はこれを徘徊と呼ぶのか。
[ふつーの庭じゃん]
ところで、こうした渋い名所にやってくる達人たちの平均年齢はものすごく高い。
その中での私はバリバリの若手ホープと云っていいだろう。社内やフラメンコ界の中では決して味わえない新鮮な開放感がある。
彼ら七十歳を越える達人たちの目には、私の姿はホアキン・グリロのごとくに映っているのかも知れない。あるいはまた、ニーニャ・パストーリのごとくに映っているのかも知れない。
『ニーニャ・パストーリ/ひかり』
(BMG/1998年)
この楽園の中であるならば、いつものように何か大失敗をやらかしたとしても、「若気の至り」として、やわらかな微笑みをもって許してもらえそうな気がする。
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