フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

故郷 [143]

2006年08月01日 | 散歩の迷人

 

 

 

                     故郷 

 



 先週土曜、およそ三ヶ月ぶりの休暇にありついた。


 喉の渇きをこらえてサウナでしぼり切ったあとの生ジョッキみたいな一日が約束されているものと思いたい。
 朝のコーヒーもそこそこに、リュック担いで玄関を飛び出し、例のカマロン占いhttp://blog.goo.ne.jp/paseo1984/d/20060123で本日の散歩コースを決める。



      
     
[カマロン/カジェレアル]POLYGRAM1983


 結果はもろネガティブで、センチメンタル・ジャーニーがよろしかろう的なお告げに、ならば久々に還ってみるかと、上原から千代田線に乗り込む。



     ********** ********** **********



       東京都江戸川区小松川……。


        


 そう、小松川と云えば、あの“小松菜”の原産地として、また、パセオフラメンコ創業者の産出地として、広く一般にはまるで知られることのない東京東部にひっそり存在する無名のダウンタウンである。
 ま、早い話が私の生まれ故郷だ。

 その東西を荒川と中川に囲まれる、昔はよく大水にも見舞われたちっぽけな貧乏町。
 ずっと以前、灰色がかった「長屋とスモッグとドブ川」だらけだったこの下町は、徹底的な丸ごと再開発によって「中高層アパート群と緑と澄んだ川」とで構成される
本格的住宅エリアへと生まれ変わった。


 ただ臭いだけだったドブ川(中川)は、もののみごとに澄みきった水質に変貌を遂げ、ボートや釣り人たちでにぎわう。過去を知る人間には、まるで信じられない光景だよ。

                               


 子供心にも不気味だった化学工場は跡形もなく消え去り、とても東京下町とは思えぬ大草原が広がる。

       


 さて、町の東を滔々と流れる荒川は、荒川のまんまだが、

       

 味気ないコンクリ塗装だった荒川土手は、どこまでも歩いてゆきたくなるような遊歩道に大変身だ。
 そう云えば、都電25番線の終点駅(西荒川)があったこの辺りの土手下近くの長屋に稲葉という同級生が住んでたっけ。

 荒川の稲葉うわあ、と叫んだら大人げないだろうか?………ないだろうな。

       

 

 リニューアルではなく、まったく新たに作り直されたこの町全体を、つぶさに歩き回ったのは初めてのことだった。
 住宅スペース以外はほとんど緑地か公園だ。
 私が暮らした頃の環境に比べると、それらはまるでパラダイスのようである。

 だからこそ、ここは私の故郷とはまったくの別物だった。
 大げさな物言いをする私がさらに大げさに云うならば、この十数年、私は故郷をなくした喪失感とともに生きてきた。



     ********** ********** **********



 ところが、この日の感傷旅行は思わぬ収穫を生むことになる。


 私の生家は中川のすぐ東にあり、江戸川区と江東区を結んで中川をまたぐ逆井(さかさい)橋までは、ほんの目と鼻の先だった。
 “逆井”と云えば、『東海道五十三次』で名高い江戸の絵師、安藤広重描くところの『逆井の渡し』によって、マニアの間ではおなじみの地名である。

 私はその逆井橋を江東側に渡り、中川越しに小松川を眺めるべくゆっくり歩き始めた。
 と、その瞬間、はたと足が止まった。


 「こ、ここだったのかよっ……」


 歩みを止めたあたりから小松川方面を臨む光景が、私の記憶する広重の風景画とピタリ重なったのだ。

 教科書にも載っていたので、中学時分からその絵の存在は知っていた。
 だが、それが逆井・小松川のどこら辺りを描いた絵であるのかについてついぞ知ることがなかったのは、実は無理もない話だったのだ。

 なぜなら、当時のここらは工場排水などですっかり汚染され、見るも無残な有り様を呈していたからである。
 さらに、
川の汚れや臭みを隠すような高いコンクリート壁が川辺の風景を遮断していた。
 『あしたのジョー』に出てくる泪橋みたいな景観をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれない。

 広重の作品に生き活きと描かれる美しい面影の、そのほんのひとかけらも遺さぬ暗い川辺と化していたのである。
  

  そしていま、その“逆井の渡し”あたりは、江戸往時を偲ばせるような光景をもって、私の眼前に広がる。
 広重の視点を思い出そうとしながら、私はシャッターを切った。

 それは、実際には見たこともないのに、ふいに懐かしさがこみあげるような、それはそれはのどかで美しい情景だった。



 

     



 

 家に帰って広重画集を調べたら、実際にはこんなだった。
 視点も構図もズレズレである。

 画家やカメラマンになれなくてホントによかったと思う。



                  




 この風景画は1857年、およそ150年前に描かれた。
 
広重最後の傑作と評される『名所江戸百景』の中の不朽の名作『逆井の渡し』である。
 この辺り
は江戸名所のひとつに数えられていたのだ。

 
そしてそれから約100年後、この絵の左上にある林のちょい奥あたりに建ったボロ家で私は生まれ育った。


      ********** ********** **********



 「江戸後期の“逆井の渡し”をイメージする原状復元」

 こんなテーマを、小松川の再開発プロジェクトが意図したかどうかはわからないし、また調べるつもりもない。
 だが、この際私はこう思うことにした。

 「やみくもに壊して、ただ綺麗に作り直すのではない。古き佳きものは可能な限り再生しようじゃないか」

 こんなプロジェクト・リーダーの弾んだ声(プライド)を聴こうと思った。

 
 その刹那、私の喪失感は過去のものとなった。
 なんて都合よく単純な奴だろう。
 そう、この俺は三代目の江戸っ子、小松川の生まれよ。


 わだかまりは微笑みに変わった。

 

     ********** ********** **********



 ささやかな幸福をゲットした私は、この際もう一歩踏み込んでみることにした。
 目の当たりにするのが怖くて、これまでずっと突き止めずにいた、かつての生家が存在した場所が現在はどんな風になっているのか、そいつを見届けてやろうかい、とそう思った。

 今も残る小松川神社と高速7号小松川線という二つの定点からきっちり突き詰めれば、その在りかはかなり正確に割り出せるはずだ。

 

 

 

 

     


 

 たはっ。
 中層マンションの駐車場の植え込みあたり。
 どうやらこのあたりであることは間違いなさそうだ。
 ………ふ、ま、しょうがねえよな。


 ボロいながらも楽しい我が家の二階の南側が私の部屋で、つまりは35年前、この写真中央の木のてっぺんあたりで、高校生の私はパコ・デ・ルシアのレコードを毎日聴いていたことになる。

 

 

 

                    
            [パコ・デ・ルシア/魂] POLYGRAM/1972年


 









 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿