作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 徳川家康という男が嫌いだ(歴史エッセイ142話)】

2014-03-26 17:37:35 | 05 歴史エッセイ
この男の出自は何者かは分からない。
少なくも源氏の流れである筈はない。新田義貞の一族に得川と
いう名の男が居り、近衛前久という藤原北家の流れを継ぐ五家の
筆頭に頼んで、その得川の子孫だという出鱈目な家系図をでっち
上げて作ってもらった。

公家は位こそ高くても貧乏である。だから近衛前久に限らず、歴史書
を引っ張りだして家系図を作ってもらうことが、いわば流行りであった。

家康の家は、三河の山奥の田んぼなど全くない辺りに、他所から
流れてきた勧進坊主である。その流れ着いた場所の地名を用いて、
松平という姓を名乗っていた。
家康が信長に引き立ててもらう好運に恵まれて、四天王と呼ばれた家来
も持った。
その中の酒井家が、流れ者の勧進坊主の面倒を見てやったらしい。

勧進坊主とは、田舎の村で寺も無い場所で、村に葬式が出る場合、
死者を浄めて弔う仕事を引き受けることで、村に住むことを許された階層
を指していう言葉だ。

晩年の家康は、側近たちに自らの幼かった時代の話を聴かせたが、その中
で勧進坊主の出だと言ったと、幕臣の大久保彦左衛門が書き残した「三河
物語」にある。年老いてボケた家康が、正直に本当のことを言ったものと思う。

ともかく家康は源氏の流れの名門とは縁遠く、だから征夷大将軍となって
幕府を開く資格なぞ無かった男である。
思えば徳川幕府15代に、まともな者は一人として居ない。日本にとって不幸
な260年であった。


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