作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

歴史・エッセイ・小説・時事ニュース・・・なんでもござれのブログです。どうぞよろしく。

【 新田義貞とその一族(歴史エッセイ 95) 】

2010-12-17 18:51:11 | 05 歴史エッセイ


戦中の皇国史観の裏返しがサヨク主導による
反動で、特に南北朝時代の宮方の英雄たちが
忘れられている。

中でも新田義貞とその一族は、戦後足利尊氏
の名誉回復と対照的に、戦の下手な平凡な
武将の代表的な存在にされてしまった。

源氏が開いた鎌倉幕府を横取りした北条氏。
頼朝の妻政子の弟北条義時が源氏の開いた
幕府の実験を奪い取った。以後十五代高時
まで北条氏による執権政治が続く。

後醍醐天皇が幕府を倒し天皇親政の政治に
戻そうと企み、南北朝時代が始まるのである。

河内の金剛山で、楠木正成が兵を挙げる。
伯耆の名和長年、播磨の赤松則村などが
相次いで後醍醐天皇側に付いて挙兵。

しかし北条氏の本拠、鎌倉を攻めて高時以下
の自刃に追い込んで制圧したのは、新田一族。
本来最高の殊勲者であったが、後醍醐という
暗君は、北条氏と代々縁組を交わすなど世渡り
が巧かった、足利尊氏の方に高く褒章を与える。

足利は第二の北条と化し、天皇親政の夢は消
えて、吉野山に南朝を興す。

後醍醐の周りに蠢く公卿や僧侶が、北朝を立て
足利も賊軍の汚名が消えて、南北の天皇が争う
時代が南北朝だ。

新田氏と足利氏は共に源氏の血を引き、新田の
方が兄、足利が弟の関係だが、政治的な立回り
では断然足利が巧みである。

新田一族は、故郷の上野国新田庄を、鎌倉攻め
のために出発して以来、全員が二度と故郷の土
を踏むことなく、各地の戦場で命を経つのである。

後醍醐の我侭のなせる業と言い切ればそれまで
だが、足利幕府(室町幕府とも)十五代の盛衰の
陰に新田氏の鎌倉攻めの大功績まで葬り去られ
ている昨今の歴史観に、ひとこと言いたくて書いた。


ブログランキング・にほんブログ村へ Banner_04_3 ←クリックお願いします。

                       歴史エッセイ目次へ


 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿