作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 ウイーンの「作家通り」の家(いつも珈琲があった22話)】

2014-03-26 19:08:38 | 03 いつも珈琲があった
ボクがウイーンで最初に住んだ家については「くるみ村」の
項ですでに書いた。

二回目に住んだ家は、物語になるような偶然から住むことになった。

ボクが赴任してから、東欧各国の外国貿易省へのコンタクトを部下に
説き、自らもハンガリーを直接担当して、関係貿易公団との折衝機会
も増えて、それまで気配も無かった、大口プラントの商談が次々と
始まって来ていた。

関係する機械メーカーの技術者が、東欧の各事務所に、多い時は
20名ぐらいも、長期滞在するようになり、いくら広いと言ったところで、
ワンルームマンションでは接待に困る事態が起きていた。

「くるみ村」ことヌスドルフの更にウイーンの森に入った所をグリンチン
と言った。ええ、新酒を飲ませるブドウ農家がホイリゲを開いている
場所です。

市電の「38番」で、30分足らずで市内中心部から行くことが出来る。
その市電の終点がある場所から。正面の右手に階段が有ることには
気が付いていた。
ある日その階段を上ってみた。下の喧騒がウソのような、静かな邸宅が
立ち並ぶ通りがそこに有った。
通りの名前を書いた標識があり、シュライバーシュトラッセと書いてある。

ドイツ語でシュライベンとは「書く」という意味で、シュライバーは「書く人」
すなわち作家を意味します。

その通りの北側に、森により近くなるところに、ウンターシュライバー通りが。
ウンターは「裏手」の意味。そにまま歩いて行けばレオポルドベルグにも
行けそうな地点に、まだウイーンの市街があったのです。

良いところがあるなと思いつつ歩いていた。
と、一軒の棟割り長屋というには、余りにも立派な建物ですが、そこに夫婦
が人待ち顔で立っていた。眼が合ったから目礼した。

「貴方ですか。ここを借りたい方は」
えっと思いました。ボクは本当は、この付近に住みたいものと思っていた。
後で知ったが、この夫婦は共に有名人で、ご主人はスポーツドクターとして
またボクシングのWBCの会長として、きわめて有名。
奥さんの方はテレビ局の人気のアナウンサーでした。

家の中に招き入れられて、その内装の見事さにウットリしていた。
「ここをお貸しになるんですか」
「ええ、だから新聞に広告を出した。それで誰か来ないかと外へ出て待っていた」

家賃も意外と高くはなかった。その場で仮契約をしました。
有名女子アナの奥さんが珈琲を入れて下さった。それは香り高い珈琲だった。


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