作家 小林真一のブログ パパゲーノの華麗な生活

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【 佐竹の秋田藩だけが官軍に(歴史エッセイ129話) 】

2013-01-11 18:18:14 | 05 歴史エッセイ

NHKの大河ドラマが、平清盛の不人気で、
低視聴率の新記録を取る不名誉さ。

その後を受けて、幕末の会津藩を舞台に
新島八重の生涯を描く「八重の桜」が始まった。

会津は福島県である。福島の復興なくして、
日本の復興は無い、との民主党の掛け声は、
単なるスローガンで終わり、福島県の現状は
田畑も荒れ放題、ガレキの山が学校の近辺にも
といった惨状。

幕末の会津藩は、今回の天災以上の災禍であった。

最後の将軍、慶喜が大政を奉還し、大阪城からも
逃亡し、江戸も捨ててさっさと静岡に隠棲したが、
その身代わりにされたのが、会津藩だった。

同じ日本人が、あそこまで会津をイジメたかと想えば
明治の官軍の、思い上りに吐き気を催す。

新撰組を保護する京都守護職に、松平容保が就いたが
為の、特に長州藩の憎悪であった。

今日のエッセイの主題は、会津ではない。
そっちの方はNHKが大金を投じてやってくれる。

幕末に官軍が東へ、そして北に進路をかえて攻めて来る。
伊達と上杉が、奥羽列藩同盟を呼びかけて、諸藩が同盟
に参加したが、ひとり秋田藩だけが、官軍側に付くと表明。

外交オンチの南部藩が、秋田藩を攻めるが、伊達も上杉も
いち早く官軍に降伏した。

戊辰の役は、関ヶ原の復讐戦だったとは、司馬さんの文章
以前からの、ボクの信念だった。(小四以来だ)

秋田藩は、常陸から移された佐竹家の藩で、佐竹は上杉と
同盟して江戸を襲う密約があった。
それを察知した、徳川家康が上杉の禄を削ると共に、常陸の
大藩、佐竹家を日本海の寒い地に移動させたのだ。

流石は新羅三郎義光の流れをくむ、天下の源氏である。
西軍の主力、薩長と共に復讐戦に立ち上がったものと見る。

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