久しぶりの休日の日曜日の事。
爽やか、春霞、(黄砂かもしれないけど・・)冬物全部しまった。もう寒くなっても知らん、衣装ケースの中にナフタリン入れて今年の冬物はおねんね。また秋にね・・・
この衣替えの半端な季節は諦めが肝心、というわけで半袖のセーターで仕事していたら、朝一に暇なトンボがやって来て、「寒いねぇ、なんで半袖なん?バカじゃない、あんたはもう年寄りなんだけ、季節の先取りは似合わん、年寄りの冷や水だよ。」
さて、冒頭の写真に戻ります。
昨日の午後から、新緑めぐりに 山菜とり、に行こうとサンコー一家のお誘いを受けて、出かけることに・・
この写真は、三隅町岡見の「原田庭園」です。(写真をクリックしてみてくださいね。)
オーナーの原田さんという方が、自分の畑や山を開墾して、四季を通じて楽しめるように花や ツツジや紅葉が植えられていた。
仄かにあたりに漂う甘ーい香りとともに、色とりどりの新芽が心を癒してくれる。
ポピー、ひなげし、チューリップ、山吹、こでまり、ハーブ等々。
花を楽しんだ後、山菜取りに行く途中、いとも哀れな包帯ぐるぐる巻きの 海老谷桜に出くわした。(写真をクリックして下さいね。)
この前新聞に出ていたけど、この山桜(樹齢350年)が開花を前にして折れたらしい、近所の方々の悲しみは相当なものだったらしくて、皆涙を流しいた。
しかし樹医さんの力で何とか残りの枝に花を咲かせたらしい。
このような事があるから、人々は暮しを持続できるのだ。
色々な雑事におわれて、人間関係や、仕事、家庭、様々なことに一喜一憂し、おろおろしながら時にすべてを投げ出したくなるような時、暮らしの中心にあるものではないけれど、ふと周りを見渡してみる。しっかりせねばと反対に励まされるのはこのような持続する力で頑張っている自然だと思う。
昨日の新聞になんと、樹齢一万年の針葉樹の写真が出ていた。(スェーデンの木)
私が自然の営みに引かれるのは そういった一過性で終わるものではなくて、このようにこの地球がある限り永遠に持続できるという力強さを感じるからで、その持続の励みになるような何かが 人には必要なのだと思う。
先日新聞の落合恵子さんのエッセイに池波正太郎の文章の一説を引っ張り出して生きがいについて書いていたが、私もこのエッセイ集を持っているので開けてみた。(今日は、引用文ばかりですいません。)
………………人間という生きものは、苦悩、悲嘆、絶望のさなかにあっても、そこへ熱い味噌汁が出てきて一口すすりこみ、「あ、うまい」と感じる時、我知らず微笑が浮かび、生きがいを覚えるように出来ている。大事なのは人間のからだに備わった、その感覚を存続させていく事だと思う。(日曜日の万年筆から・・)
この“味噌汁”にあたるものは、人それぞれ違うと思うが、私は自然の移り変わりや、宇宙の神秘、そのようなものに思いを馳せながら、大きく深呼吸する。
そうすると、今世の中に起こっている些細な争いごとが実にあほらしくなってくるから不思議だ。
かけがえのない地球、それを支える自然、大事にしなくちゃ・・・私の味噌汁だから。
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晴れ 20℃
春の休日自然に触れられてリフレッシュされて
良かったですね。
原田庭園個人でこんなに広い庭園を造られ開放されてるのって大変な事ですね。
原田庭園は 本当にすごいとおもいます。
自分の山や畑を自分で開墾して 花畑にしておられるんですよ。
ある意味羨ましいです。