ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

あの日。

2009年08月16日 | 四方山話
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 なんともはっきりしない 不気味な雲。
64回目の終戦記念日、8月15日の嘉久志海岸通りです。
梅雨明け宣言がなされてから、綺麗に晴れて、青空が見えたのは昨日だけ、また今日も雨で風もまるで秋のように涼しい。
 
さてあの日はどうだったのかといえば・・。

昭和20年 8月15日 水曜日 炎天
帝国ツイニ敵ニ屈ス。


これは山田風太郎の「戦中派不戦日記」から、まさにその日の日記なのです。

戦争を知らない。我々団塊の世代は・・
運が良ければ、生涯、戦争を経験せずに済むだろう。
それは日本が近代国家になってから初めての、文字通り有り難い世代といえるのではないだろうか。
「戦争を知らない子供たち」という歌が大ヒットしたとき(1971年) 我々は20代前半だった。
「そうよ、私たちは戦後生まれなんよ」声高に叫んだ。
これから日本は良くなるばかり、貧しくても、夢と希望に満ち溢れた時代だった。
けど、ふと気がつくと「戦争を知らない大人たち」になっていて、いまや「戦争を知らない老人たち」になりつつある。
つまり、団塊の世代まではその父母も、祖父母も、戦争を知っていた。(経験していた。)
そして戦争は嫌だ、絶対にもう嫌だ、戦争は国を滅ぼす、そう教えられて育った。
けれどこれからは、祖父母(つまり私達)父母、子供の三代とも、まったく戦争を知らないという構造になっていく。といっても現実には、当然そうならないと困るわけだけど、下手をすると戦争というイメージや考え方がどんどん具体性を欠くものになっていくのではないか、そういう恐れが頭をよぎるのだ。
少し乱暴な考え方だけど、戦争というものがゲーム的に考えられるのではないかというような・・

 たまたま先日広島の原爆ドームに行った。
そこで、人類史上、それまでの兵器とは比べようもない程の、すざまじい威力をもつ原爆を投下され、広島ばかりでなく、長崎も、アッという間に数十万人の一般市民の命が奪われた。いわるゆ丸腰の人々の命がまるで虫けらのように奪われたという事実を改めて知ることになったのだ。
遺留品とか残骸を見ると、それまでの戦争では考えられない、まったくもって「人間の尊厳」を打ち砕くような殺されようだった。

「戦争を知らない子供たち」に育てられた子供たちは、戦争というものが抽象の世界にとどまっていて、それで戦争が終わったのは原爆のおかげ、なんて言う考え方で収まってしまうことがないように 風化しないようにしなければならないし、それは最後の「戦争を体験した親」に育てられた我々の責任だと痛切に思うのだ。

話は少し飛ぶけど、「原爆は仕方なかった」といってた元防衛大臣のおじさん、どうして議員辞めないんでしょうね。
綸言汗の如し、という言葉を知らないのでしょうか。

 話はぜんぜん変わるのだけど、きのう 「そのさんですか?、”ブレンド日記”毎日読んでます。」といってくださった女性のお客さん。
「え??・・」といったら「てつの友達です。」
その時はわからなかったのですが、よくよく考えると、もしかして 黒松出身のnanahathiさんでしょうか?

それにしても何時まで続けられるかわからないこの場末の木馬に、帰省中の忙しい中わざわざ時間を割いて 足を運んでくださり、本当にありがとうございます。
とてもうれしいです。

曇り 30℃

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5 コメント

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Unknown ()
2009-08-16 14:18:04
本当に日本の舵取りをしなきゃいけない赤い絨毯の連中!
恥もなければなんにもないね
頭の中もきっとスカスカかも

だからもう少しそのねぇも慧も
嫌がられてもうるさがられても 戦争がないのはありがたいことだって
言い続けなくっちゃね

そして これからの人生の帰り道を健やかに下って行こうね

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慧さん (その)
2009-08-16 18:10:34
月日のたつのは早いよね。
もうあれから64年。

>赤い絨毯の連中!
この方たちは世の中良くしてやろうじゃなくて、我が身の保身のみ、考えてる。
全く情けないよね。

本当に戦争がないのはありがたいっていうことを伝えなっくちゃ まだまだくたばれない。

>そして これからの人生の帰り道を健やかに下って行こうね
いらいらしないでそうしたいよね。
健康にも気をつけて頑張ろうね。
返信する
Unknown (nanahachi)
2009-08-20 23:16:35
先日は突然おじゃましました。帰省の予定はなかったのですが母親がわりにかわいがってくれていた叔母が急に入院して、もう・・・といわれ、話ができるうちに会いたいと思い一人で広島空港からレンタカーを一週間借りて帰りました。叔母は88歳ですが言葉もしっかりしてて
今は一時帰宅しています。5年ぶりの帰郷ですが済生会もりっぱになりましたね。まわりには老人施設や悔悟施設もたくさんあって、田舎の現状を垣間見るようです。江津の駅前はますます閑散としてホントに寂しいですね。
一週間はけっこうハードスケジュールで友達と会ったり、温泉行ったりとすごし、15日は最後の友達と会うのを木馬にさせていただいたんです。彼女は都野津にすんでるので・・・
そのさん、実物(?)すっごくきれい。びっくりです。お世辞じゃないですよ。
いつまでも木馬と一緒にお元気で。
長々とごめんなさい。帰郷したときはまたおじゃまさせてくださいね。
そうそう、帰りの飛行機で、山本モナと若いイケメンの男性のすぐ後ろのシートでした。彼氏かなァすごく素敵な男性だったけど・・
あ、関係ない話ですみません。野次馬なんで。
              
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Unknown (nanahachi)
2009-08-20 23:40:41
介護施設といいたかったのですが、
そのさんなら理解してくださったと思います。
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nanahachiさん (その)
2009-08-21 10:52:19
やっぱり、nanahachiさんだったのですね。
ピーンとこないでごめんなさいね。
私は方向は音痴なのですが、こういう人に関しては感がいい方だと思っていたのに、やはり年ですね。

その節はありがとうございました。
貴重な帰省の時間を割いてくださり感謝です。

>江津の駅前はますます閑散としてホントに寂しいですね。
これ以上変わりようのない田舎ですが、変ったことといえば、シャッター店舗が 毎月増えることぐらいです。

先日も「松江松下江津工場」の閉鎖のニュースでますます暗くなりました。

でも自然はそのままです。日本海も、江の川も、懐かしいご故郷にまたいつでも帰ってきてくださいね。そしてまだ木馬があればどうぞお顔を見せてください。

>山本モナと若いイケメンの男性のすぐ後ろのシートでした。彼氏かなァすごく素敵な男性だったけど・・

え?相手は二岡ではなかったんですね。

私も何年か前 出雲から東京に行く飛行機で江角マキコと一緒でした。お正月だったのですが。
その時はマネージャーさんと一緒だったような。
私も野次馬でミーハーです。

でも本当にありがとうございました。
とてもその日は嬉しくて気分が高揚していました。
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