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さてもさても・・昨日の続きです。
医光寺に初めて行ったのはは中学一年時、遠足だったけど。
その時は雨が降っていて、歩くたびに畳が湿った感じがして、線香のにおいとカビのにおいがした記憶がある。
その後、結婚して少しの間 益田に住んでいたので、ちょくちょく行ったけど、しだれ桜の満開に出会ったことがなかった。
今回 お天気と満開と揃った、しだれ桜を満喫することができた。
雪舟庭園でも有名です。
設置看板によると・・
『医光寺の裏山を利用した西南向きの池泉鑑賞半回遊式の庭園。
雪舟が文明10年ごろ来山し、造園した鶴亀を主体とした武家様式で鶴をかたどった池の中に亀島を浮かべています。亀の背中には中心石と三尊石をおき、西側の丘にある須弥山石からは枯滝石組を作って、東の枝垂桜(しだれざくら)とバランスをとっています。』と書いてあった。
いつだか来た時より、綺麗に改築されていて手入れもいき届いている。
格式のある古いお寺は、そこに積りつもった「時」というか歴史があるのもで、そのせいか独特の空気が流れている。
襖絵も、彫刻も雪舟にちなんだものとか、なかなか興味深いものばかりだったけど、特にこのお釈迦様の涅槃像の絵が、観光ガイドのおじさんの説明つきで中々面白かったというか、私って、こんなに長く生きているのに、仏教文化のことなにも知らなかったんだと改めて恥じた日だった。そもそもお釈迦様のお母様がマーヤでゴータマ・シッダルタがお釈迦さまの本名だなんて、恥ずかしながら今初めて知ったのだ。
観光ガイドのおじさんが説明してくれたこの涅槃図は、釈迦の臨終を描いた絵。沙羅双樹の下で体を横たえ、周囲では森羅万象、十大弟子や菩薩、動物までが悲しみに慟哭している絵が丁寧に書いてある。
250年前この医光寺が焼けた、その時この絵も焼けたらしい。とても残念に思った住職が、岩国の(名前は忘れたけど)有名な画家が、お坊さんに聞いて復元したのがこの絵らしい。
でもこの動物の中に猫がいないんですと言っておられた。
お釈迦様は80歳の時食中毒(毒キノコ)で亡くなった。
お釈迦様が生まれて7日で亡くなったお母様がお釈迦さまの死を大層悲しまれ、天から雲に乗ってあらわれて、薬を投げたのが沙羅の枝に引っかかって飲むことができなかった。
お釈迦さまも私みたいに、いやしん坊だったのかなと思ったら、やはり俗人とは違いました。なんでもこれを食べると死ぬのがわかっていてお釈迦様は食された、そしてこの絵から北まくらという言葉が出来たと、お釈迦様の足のつぼを触っているのがスジャータと言って、お釈迦さまに自分のお乳のお粥を食べさせた弟子だと。
私が知ってるスジャータとは コーヒーの中に入れるミルクを作っている飲料メーカー、この弟子の名前から会社名をつけたのだと、観光ガイドのおじさんは熱く語っていた。
へぇ そうなんだ。なんだか少しえらくなりました。
←臨済宗東福寺派、医光寺ご本尊の薬師如来像です。
しっかり堪能して まだ時間があるので、ついでに津和野に向かう我々。
車中で「お釈迦様を拝んだ後、同じ日にお稲荷さんお参りしても いいんだろうか?いずれも崇める気持ちがあるからいいんじゃない。」無神論者の会話なり。
この後 津和野駅の山口線で、津和野―山口間をデゴイチ(蒸気機関車)が走るところに遭遇。
煙もくもく、懐かしい石炭の燃えるにおいがした。
この写真はまた明日・・
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雨 11℃
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医光寺に初めて行ったのはは中学一年時、遠足だったけど。
その時は雨が降っていて、歩くたびに畳が湿った感じがして、線香のにおいとカビのにおいがした記憶がある。
その後、結婚して少しの間 益田に住んでいたので、ちょくちょく行ったけど、しだれ桜の満開に出会ったことがなかった。
今回 お天気と満開と揃った、しだれ桜を満喫することができた。
雪舟庭園でも有名です。
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『医光寺の裏山を利用した西南向きの池泉鑑賞半回遊式の庭園。
雪舟が文明10年ごろ来山し、造園した鶴亀を主体とした武家様式で鶴をかたどった池の中に亀島を浮かべています。亀の背中には中心石と三尊石をおき、西側の丘にある須弥山石からは枯滝石組を作って、東の枝垂桜(しだれざくら)とバランスをとっています。』と書いてあった。
いつだか来た時より、綺麗に改築されていて手入れもいき届いている。
格式のある古いお寺は、そこに積りつもった「時」というか歴史があるのもで、そのせいか独特の空気が流れている。
襖絵も、彫刻も雪舟にちなんだものとか、なかなか興味深いものばかりだったけど、特にこのお釈迦様の涅槃像の絵が、観光ガイドのおじさんの説明つきで中々面白かったというか、私って、こんなに長く生きているのに、仏教文化のことなにも知らなかったんだと改めて恥じた日だった。そもそもお釈迦様のお母様がマーヤでゴータマ・シッダルタがお釈迦さまの本名だなんて、恥ずかしながら今初めて知ったのだ。
観光ガイドのおじさんが説明してくれたこの涅槃図は、釈迦の臨終を描いた絵。沙羅双樹の下で体を横たえ、周囲では森羅万象、十大弟子や菩薩、動物までが悲しみに慟哭している絵が丁寧に書いてある。
250年前この医光寺が焼けた、その時この絵も焼けたらしい。とても残念に思った住職が、岩国の(名前は忘れたけど)有名な画家が、お坊さんに聞いて復元したのがこの絵らしい。
でもこの動物の中に猫がいないんですと言っておられた。
お釈迦様は80歳の時食中毒(毒キノコ)で亡くなった。
お釈迦様が生まれて7日で亡くなったお母様がお釈迦さまの死を大層悲しまれ、天から雲に乗ってあらわれて、薬を投げたのが沙羅の枝に引っかかって飲むことができなかった。
お釈迦さまも私みたいに、いやしん坊だったのかなと思ったら、やはり俗人とは違いました。なんでもこれを食べると死ぬのがわかっていてお釈迦様は食された、そしてこの絵から北まくらという言葉が出来たと、お釈迦様の足のつぼを触っているのがスジャータと言って、お釈迦さまに自分のお乳のお粥を食べさせた弟子だと。
私が知ってるスジャータとは コーヒーの中に入れるミルクを作っている飲料メーカー、この弟子の名前から会社名をつけたのだと、観光ガイドのおじさんは熱く語っていた。
へぇ そうなんだ。なんだか少しえらくなりました。
←臨済宗東福寺派、医光寺ご本尊の薬師如来像です。
しっかり堪能して まだ時間があるので、ついでに津和野に向かう我々。
車中で「お釈迦様を拝んだ後、同じ日にお稲荷さんお参りしても いいんだろうか?いずれも崇める気持ちがあるからいいんじゃない。」無神論者の会話なり。
この後 津和野駅の山口線で、津和野―山口間をデゴイチ(蒸気機関車)が走るところに遭遇。
煙もくもく、懐かしい石炭の燃えるにおいがした。
この写真はまた明日・・
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