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暇だけど一応経営者だということを(場末の小商いの癖に)いいことに、仕事をさぼりまくり、北京オリンピックにたっぷり浸かっている。
しかしナンですね。
どうしてオリンピックで精一杯闘った選手の顔ってあんなに爽やかなのでしょう。満足感や、優越感があのような顔にしてしまうのか?

しかし オリンピックオバサンとしてはお客より 北島の決勝でしょう。
見ました、かぶりつきで・・・やってくれました。北島は入魂の泳ぎで 平泳ぎ100に次いで200も、2分7秒64の五輪新で大会2連覇を果たした二冠。
200平は 最大のライバルアメリカのハンセンが国内の選考レースで4位になり、選ばれなかったこともあり、金メダルの期待がフツフツとわいていたが、でも何が起きるかわからない。
ドキドキしながら応援した。
因みに 江津の北島(自分で言ってるだけですけど・・)ことトンボさんは、この前出した200平の記録が3分14秒26だったとか・・
これが早いのか遅いのか私にはよくわかりませーん。
しかし 昨日の女子柔道70キロ級の上野選手にしても、金メダルの重圧もあったろうが、淡々とインタビューに答えていた姿に「今時の若者もたいしたものだ。」という思いがした。前回からの4年間を、茨の道だったことを強調するマスコミの問いにも「今まで支えてくれた方々のお陰で、自分ひとりの努力ではない。」というようなことを言ってる選手が多いからもある。
選手はコーチやスタッフの作品だと思う。それが最高の舞台で花開き一番高いところに上ってくれるのが完成と言うものだと思う
人間シーラカンスといわれて久しい私は、古い話でなんですが、東京オリンピックの円谷選手は「日の丸の為に日本の為に」頑張ったといってたような気がする。
でもそこまで重圧をかける必要もなく、最近は「自分の為に」を強調し、「楽しみたい」というようになった。
私は「楽しみたい」も、「自分の為に」も本心だろうが、でも本心のすべてではないような気がする。
このように代表でオリンピックで活躍すると言うことは「自分」と言う個人を越えた何かもっと大きなものを体のどこかに感じているのではないだろうか。
それは「国家」とか「家族」とか「郷土」とか「スタッフ」とかの一言では置き換えられないなにか、とにかく国家の代表と言う、個人主義では治まりきれない何か。
そうしたものが 選手達のプレイや勝敗の中で炸裂した時、私たちは興奮し感動になる。
本気で楽しんだり自分の為に遊び感覚で と思っている選手ばかりなら、「感動」はくれるかもしれないけど、魂を揺さぶられるような興奮や感動は難しいんじゃないかと思うのです。
そういう意味で 星野ジャパン、頑張ってください。
星野野球の真髄をみせてくれ!
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