アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

聖地は汗だくでひたすら歩くところ…

2016年02月19日 | Weblog
 「熊野を語る―ひとは熊野に何を求めるか」…和歌山県田辺市が東京で開いたシンポジュウム。出席したのかって?天気予報を見て、欠席しました。東京23区に、積雪の予報だった日ですから。行けたとしても帰ってこられないのではないかと。
 それはともかく、田辺市は偉いなあと思ったのは、「田辺市の宣伝」ではなく、「熊野」という広い地域を取り上げたこと。なかなか出来ることではない。

 参加していないので、シンポジュウムで、「ひとは熊野に何を求めるか」についてどのような結論めいたモノが出されたか知るよしもないんですがね。
 熊野は室町時代から江戸時代にかけて「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほど多くの人を引き付けた所です。なぜそれほど多くの人を惹きつけたか?現代風の言い方をすれは、「観光地として整備されていたから」ってことじゃないかなあ。

 聖地であるということを、強く印象づけることに成功した…
 1 聖地を確かなものにするために、聖地にまつわる様々な奇跡(創作が大半でしょうけどね)を伝承した。
 2 「おもてなし」の徹底。道中のおもてなしはホント、嬉しいですよ。私など、「無料(タダ)のモノ」が大好きですからぁ室町時代の人も江戸時代の人も、「おもてなし」にコロリと…。
 3 「巡礼を受け入れるツアーシステムの整備」。お遍路を根付かせている地域は、システムがしっかりしています。

 で、真っ先に言わなければならなかった事ですが、とっておきました!「巡礼道」…熊野古道ですよぉ。これは…歩いた者だけが知る。

 3か月前にすでに自慢しましたが、熊野古道を歩きました。熊野なのに、「熊」は出てきませんで…「猪出没」と、注意を喚起する看板はありましたけどね。「熊」ではなく、都から遠く離れた場所、つまり隅っこを表す「隅(くま)」から、「熊野」になったという。これにも、お約束通り諸説あるようですがね。
 それはともかく…淡い期待を抱いた、「おもてなし」が…皆無でした。ずーっと山の中でしたから民家などあるはずもなく。そんなルートに、いきなり「おもてなし」が出てきたら、むしろ怖い。(「注文の多い料理てん」じゃないんだから!)
 ツアーシステムは…私が歩いた熊野古道のルートには…なかったです。勝手に行って、勝手に歩く…システムもヘチマもあったもんじゃない。

 おもてなしがなくてもツアーシステムがなくても、いや、むしろそのようなものはない方がいい。室町時代の人がたくさん歩いた熊野古道を、道中、誰にも会わずにひたすら汗だくで歩く…。聖地に居るなあと感じましたよ。

 世界遺産は数多ある。あちこち行ったけど、「熊野古道」は別物。だって、両手に杖を持って山道を汗だく、ヘロヘロになって歩く…体を張っても、熊野古道全体のほんの一部しか歩けない…こんな世界遺産は…ないね。

 田辺市、いいことするよなあ!熊野市も何かやってよ!伊勢市だって熊野古道の宣伝してもいいんだけどね。
 田辺市のおかげで…また、熊野古道を歩いた自慢しちゃったなあ。