アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

ゲバゲバはおもしろかったが、ゲバルトは恐怖だった…

2011年08月07日 | Weblog
前田武彦さんが亡くなった…「ゲバゲバ」の時代が消えました。
 ゲバゲバの時代に生きていたものですから、感慨があります。「ゲバゲバ90分」の「ゲバゲバ」は、「ゲバルト(暴力)」からきたもの。
 ゲバルト、内部ゲバルト(内ゲバ)は、怖かったですよ。怖いなんてもんじゃないかな。殺されるかも知れなかったのですから。

 1963年の、「革マルVS中核・社学同等の連合」が、一番大きな戦いだったかと。500人以上が、角材で大乱闘でしたから。
 死者は出なかったのかって?出ましたよ。命は助かっても、再起不能となった人も。一期後輩で、頭蓋骨をひっくり返した人も。どういうことかと言いますと、内ゲバで頭蓋骨が陥没。その頭蓋骨を円く切り取って、ひっくり返して元の円にはめる。陥没箇所が元にもどるわけ。嘘だろうって?事実です。

 何人ぐらい亡くなったか…これは、正確な数字など出てきませんが、あるセクトが公表している数字は…
 中核派が革マル派を襲撃して、48人が亡くなった。解放派が革マル派を襲撃して、23人。革マル派が、中核派・解放派に報復して、15人。あの民青が革マル派を襲って、1人を…。この数字、ねつ造されたものではないでしょう。セクト色を出してしまうと、いつ襲撃されるか分からない。誤認襲撃も。

 内々ゲバ、つまり味方同士で殺し合うというのもありました。
 有名なのは、連合赤軍で、12人が犠牲になっている。解放派も9人が…。「どうして仲間内で殺し合うの?」と、疑問に思う人も少なくないでしょう。内々ゲバは、2人以上いる集団では、いつでも起こりうること。つまり、「いじめ」と全く同じものです。同級生にならなければ、学級内いじめに遭わなくてもよかったわけです。つまり、ブントに属さなければ、ブント内で殺されなくても済んだ(ブントは大所帯だったので、ブント内ゲバの犠牲者も多いかと思うでしょうが、1名です)。

 やれやれ、実は、成田空港反対派「団結小屋」の強制撤去が始まったことから、三里塚闘争の思い出を書こうとパソコンに向かったら、前田武彦さんが逝ったというニュースが入ったものですから、ゲバルトの概略説明になってしまいました。
 三里塚闘争も、死者が出ました。野球場に追い込まれ、逃げ場を失った全共闘が、機動隊の皆さんにさんざんに叩きのめされたことも…。これじゃあ、死者が出るのも道理ですよ。そして…反対派のシンボル「団結小屋」もなくなった…。

 なんだったんでしょうか?あの、若者が生き生きしていた頃は…。