ぴよこの足跡

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その足取りを「いま」ここに綴ります

それから

2011-03-15 | Weblog
ただいま。
間が開きましたが、実家の名古屋市に居ます。

あれから…
12日に成田空港で1泊したかいがあって
(その夜は韓国人の集団とフレンドリーに)
13日の午前便セントレア行きのキャンセル待ちが出たことにより
お昼過ぎには名古屋に到着。
祖国の雰囲気は
地元の風はやっぱり馴染むなぁと思った。
でも
こうして私は帰る場所がある。
ダンボールを敷いて寝袋と毛布に包まった成田の夜を思い出すと
結果的に1晩だったから頑張れたと思う。
これがいつになったら自分の個のスペースで
ゆっくり眠れるのか?
十分な食事が取れるのか?
そんな過酷な状況下に居たら…
どれほどのストレスなんだろうか。
連日のテレビや新聞を読んで、
日に日にどうしてこんなに状況が悪化している?!
はやく、はやく良くなって!
被災地に雪なんて降らないで!!
ネットでボランティアを検索しても
今はまだ何も出来なくてひたすら祈る。
がんばって

Bonnieからの連絡や
世界各国からの支援情報を聞くたびに
嬉しくて涙がでる。
あのCANADAの人々も心配してくれて、そしてがんばれって。
それでもテレビも新聞も見るのも読むのも辛い。



11日に飛行機が成田ではなく新千歳に降り立つ連絡が入った時
機内では「地震」という一言は機長からも乗務員からも発せられなかった。
恐らくパニックを避ける為
その時は「何でわざわざ北海道へ降り立つ?」
すぐに治まると思っていた地震の混乱は
想像を絶する程
時間が経てば経つほど事の凄まじさを知ることになって
あの時思った軽はずみな思いを後悔してる。
17時過ぎに新千歳に離陸するものの
税関や乗客の宿泊をどうするか?を空港会社の人々が手配をしていたようで
結果的に飛行機を降りれたのは3時間後の20時。
その後説明やホテルへ移動などを経て解散になったのは
大よそ22時半過ぎ。
流石に時差を計算すると「何時間起きている?」ことになり
くたびれているものの寝ても目が覚めてしまう。
そして左耳が難聴気味で音がぼやけて聴こえる(今は治ってます)
体が疲労していることは分かっていた。
でも帰るまでどうしようもない。
”いつ帰れるのかな?”
そんな不安もある中で帰る家が存在するということが励みだった。


今も尚信じられない桁の人々が安否不明で無力な自分
私は一体何が出来るだろうか?

1 コメント

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おけりなさい! (kaho)
2011-03-18 10:12:17
さぁ、西日本は働く時だ。
待ってました、帰って来たからには、容赦しないよ!みたいな感じですね。。。笑

カナダでの経験がこれからますます生かされるべきタイミングだと思います。
本当にタイムリーなことじゃないかな。
滞在先だった彼らも、それを喜んでくれると思う。
まずはしっかり休んで、想いを整えて、そして出来ることを。東日本の分も背負っているつもりで頑張りましょう。

生きるって、本当にシビアですね。
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