ぴよこの足跡

「いま」在ることに感謝

「いま」の一歩を明日へ繋げる

その足取りを「いま」ここに綴ります

年度末

2009-03-31 | Weblog
今日で3月も終わる。
明日から4月
新入社員は昨日入社式を経て入ってきた。
まだ所属は決まっておらず
私の下に後輩が入るかどうか…?
きっと入ってこないだろうなぁ。

今日の月末と棚卸しの膨大なまとめを終えたら、4月
何時に帰れるかなーーーーー?

湯船に浸かって

2009-03-26 | Weblog
お風呂から上がったらなんと1時間以上経っていた。
22時半前に入ったのに
時計は23時45分過ぎを示していた。
珍しく「長湯した」という自覚のないお風呂タイムだった。

月末事務処理のため着付け教室へは間に合わず
教室の終了時間ぎりぎりに
来月から始まる着付師講座の手続きをするためだけに行った。
いつも通り
先生とおしゃべりをして元気と笑いをもらってきた。
とても面倒見がいい先生だ。
市の講座で受けていたときは“結構あっさりした先生だなぁ”
私の中であまりいい評価ではなかったんだけど
ここの教室へ通うようになってから
違う部分の顔をいっぱい知るようになった。
私もあの時よりも遥かに自分のことを話すようになっているのはある。
コミュニケーションって大切ね。
そんなことや
「もし貴女が今の彼氏と別れたら、
(先生の)息子と結婚したらどうよ?」と、
先生に「別れたら教えてね(笑)」とも。
どこまで本気で冗談で、
目がそんなに笑っていなかったのがちょっと怖い(苦笑)

そういえば随分ぬるくなったような気がする。
明日から久しぶりの1人旅だし
ちょっと丁寧に身体を洗っておこうかな

手紙

2009-03-25 | Weblog
毎日、毎日ポストを開ける。
「今日は何か来てるかな~?」
ポストの隙間から紙の形が見えるとドキドキする。
でもそれが
パチンコ新装開店のお知らせだったり
変な勧誘だったりすると
裏切られた気分でがっかりする。

そんな今日もいつもどおりポストを覗いた。
あっ!!!
千葉に引っ越した大学の友人から1通の手紙が入っていた。
“やっとポストの番号を調べて、
やっとあけたら、ぴよすけからのお手紙が届いていて
幸せな気持ちになりました♪”
そういう書き下し分から始まった。
他愛もないささやかな内容が
元気そうな彼女の姿を思い出させる。
思わずにっこりと手紙に向かって微笑む私がいる。

手紙のぬくもりってじんわりとポカポカするね。

ちゃんと覚えてる

2009-03-24 | Weblog
友人のブログを、ふと、思い立ったように覗いてみた。
最後の更新が2007年だからもう2年前になるのね。
その頃はまだ不思議な関係の友人だったよね。
そっか、もうそんなに経つのね。
そして昔も相変わらずというか、なんていうのか、ナマケモのねぇ(苦笑)
彼のブログを読むと共に
自分の昔のブログも引っ張ってきて読んだ。

素直に気持ちを伝えられたら
手を伸ばしたら手に触れられる距離なのに
はにかむ表情
でも
「すき」というたった2文字の単語を言えなくて
一挙一動胸が高鳴る
耳も目も鼻も使って隣に居られる心地よさを掴み取ろうとしてた。

そんなやりもりも
ちゃんと残っている。
ブログにも写真にも、それをきっかけに思い出した気持ちにも。
それでも近くに居れる様になると
日々にかまけたり
思いになまけたり
そして
“わたしはここにいるよ”ってアピールしなくても見つけてくれる安心感
ドキドキしながら手を伸ばした先にある手をつなげること
当たり前の嬉しさも増えていく。

この先もどんなふうにひとり、と、1人、変わっていくんだろうねぇ?
どんな私と君を思い描いていますか、恵ちゃん?

菊次郎の夏

2009-03-23 | Weblog
2年位前に成分献血をしながら
途中まで観たことがあった映画[菊次郎の夏]
これまた図書館で発見し借りることにした~♪

昔見たからその続きから見ようと思っていたのに
いざ始まったら覚えていなくて結局初めからスタートさせました。

登場人物の表情やせりふを結構淡々とさせ
その代わりに余韻や澪をひいたようなカメラワークが多かった。
北野監督自身もキャストとして出演していて
素の照れなのか、役としての照れなのか、
もどかしい感じが伝わってきた。
芸人魂というような?「これでもかっ」というネタに笑いつつ
カメラアングルに懲りたかったのかな?
何を伝えようとしているのかしら?
どうして母へ会いに行く少年とその付き添いの菊次郎(北野監督)なのに、
付き添いなのに題名が[菊次郎の夏]何だろう?
そんなことを見終わってぐるると考える。

また確かロケが愛知県の岡崎?田原市?三河の方で
大自然いっぱい残っているんだなぁ。
のどかな風景がいいなぁ。
自転車で走り抜けたら気持ち良いだろうなぁ。
飾らないのどかさを感じながらも、
シーンの所々に出てくる
“どうしてそんな発想が出来るんだろう!”
そんな気持ちも巻き起こって、
天才肌…か?と思った。

色んな映画があるもんだ~

やかん

2009-03-22 | Weblog
新しいやかんを買った。
水漏れがするようになって
「買わなきゃなぁ」と思っていたところだった。
新しい子はずんぐりむっくり?タイプで
どでん、と横に広い2.3Lです。
なかなか可愛いフォルムでお店で見たときよりも
実際に机の上に鍋敷とそのやかんを置いたときにしっくり!
どうぞ今後ともよろしゅう♪

愛される

2009-03-21 | Weblog
先生の都合で先週の着付け教室木曜日分が
今日の午前中に振り替えられた。
いつも通り(着付け教室では私は真面目)機敏にあせくせ着て帯を締めていたら、
先生のお孫さん(次男の子供)が先生の旦那さん(おじいちゃん)
に抱きかかえられてやってきた。
ひょこひょこ。
まこちゃんと言って1歳ちょっとくらいかな?
すんごく…かわいい♪
のもあるけれど、
先生の可愛がり方も“親ばか”ではなく“孫ばか”と(笑)
踊のお稽古で使用する高そうな扇子を持たせて遊ばせたり
鏡の前で行ったり来たり、
抱っこして抱っこして、一緒に歩き回って
子供ってこんな些細なことが楽しいんだなぁ~。
そして、
人はこうして愛され育てられているんだなぁ。

卒団

2009-03-20 | Weblog
オケを卒業すること=通称:卒団

直接の後輩が卒業する、今日は市大オケ部の追コンでした。
知ってる顔
知らない顔
知ってる名前
知らない名前
自分自身が卒団した日からもう2年も経つのか。
知らない、が増えるはずね。
卒団する彼ら彼女らには
各々これまでに演奏した思い出の曲をかけて、
一人ずつが好きなだけ皆の前で話をする。
夜のコンパで行われる恒例のこと。


そういえば…じゃない。
今でもこの恒例の場を借りて
あの時、話せば、言えばよかったと悔やんでいる。
あの時
思い出の曲:フィンランディア
そして話した内容がSB先輩と遥先輩との缶詰のことだった。
もし、今、あの時に戻れるなら
「ごめんなさい」と「ありがとうございました」を言いたかった…
弦楽器の練習トレーナーをしていた3年生の夏合宿の最終日に
[振り逃げ]という合宿〆のTuttiで
私は途中で振り間違えた。そしてそのまま、最後まで振れなかった。
「何故、振れなかった?」と合宿から部室に戻るや否や
先輩トレーナーを交えて話し合いがあった。
それがきっかけで
それから指揮を振るのが苦しくて
皆の前に立つのが怖くて
一ヶ月もしないうちにトレーナーを辞めた。
正直、楽器を弾くことさえいやで
オケに来ることが一番の苦痛だった。
ただ逃げていた。
周りから「振れなかった」レッテルを張られているみたいで
さらに私がトレーナーを辞めた事で元トレーナーの先輩が振ることになって
「何であんた悠々と弾けるわけ?」と思われている気がして
(トレーナーは毎回の練習で振るために楽譜を読む下準備をしたりする)
先輩に申し訳なくて
自分がここに来ていいのか?と思っていた。
実際まだ就職が決まっていない不安さと
それを口実に練習へ来るのを控えたりしたこともあった。
でも、今回で最後の演奏会だから…
そういう気持ちが上下に揺れて
スーツ着たまま居残って
人がいない間を見計らって練習へ行った。
ヴァイオリンを弾きつづけた。
何とか最後の定演を周りの励ましで終えることが出来た。

そして私のオケ生活は終わった。

トレーナーを辞めて
定演まで丁度3ヵ月後までの期間、そういう心境だった。

今思い出すと
物凄く自分勝手で、視野が狭くて狭くて
どれだけ周りに助けてもらって
わがままを聞いてもらっていたんだろう。
定演から2ヵ月後の追コンの日に
そういう「ごめんなさい」と「ありがとうございました」も言えたら
その後もオケを続けるたびに
ヴァイオリンを弾く度に罪悪感の意識が少しは薄まっただろうか?
自分が楽になりたいがためにって理由があるだろうけれど
けじめをつけたかった。


今日、後輩達の話を聞いていて
自分の中でどうやっても無かったことには出来ないけれど
時効にしてもいいのかな?ふと、思った。
苦くて苦くて
でもどうあがいても過去には戻れなくて
あの時の状況は家庭のゴタゴタも重なっていて
自分の弁解をすると「自分に甘い」という思いと
「なんとなく分かる気がする」という思いがある。
あれがあの時の私の最善だったかな?
あれしか方法がなかったのかな?

誰かに許して欲しくて「ごめんなさい」
私を支えてくれて「ありがとう」
今ならそう、言えるのに。


留まるために音楽があるのではなく
進むために音楽がある。

一緒に弾く誰かのために
そう思って弾くのもいいんじゃない。

弦楽器だけで弾きたければ弦楽、
管楽器だけで吹きたければ吹奏楽、
じゃなくて、弦楽器と管楽器が一緒になってオーケストラ


今日、私も気持ちは一緒に卒団させてもらおう。
言えなかった言葉を祈り
彼らの満ちた表情を見て
留まっている気持ちを、こっそり卒業させてしまおう。

デスクワークミス

2009-03-18 | Weblog
「お客さんの了解を得ないまま
名義変更(反物の持ち主を変えること)をしてしまった」という事が発覚した。
しかもどうやら今年の1月のことだったみたい。
珍しく?私の失敗ではなく隣の男の子が。

今回一番痛手なことは名義変更というお客からお客への売り渡しによる
請求が関わっており、経理やシステム課がごたごた。
課長に呼び出され、勿論お客さんからも電話が…


夕方にぼそっと
「名義変更処理をするのが少し怖い」とつぶやいていた彼。
彼にとって大きなミスはこれで2回目だが(人のミスは皮肉にも見えてしまう)
自分のミスを振り返ると、
常日頃何かと小さなミスをしてそれを修正し、
大きなミスは目の前の先輩やシステム課に相談して、
「もうこの仕事嫌だ」とか「この事務処理が怖い」とか
何度もそんなことを思い、そう日々が過ぎている。
思い悩む自分が本当にバカだっとか
何でこんな些細な失敗が多い自分を呪いたいとか
そう思う反面
こんなにミスばかりなのに事務員クビにならず
「もうだめだっ」と絶望感を感じたときもあったのに
困ったことなんだけれども、本当に困ったことって無いのかもしれない。
見えない力がどんなふうに作用されているのかな?と考える
隠してもバレて(苦笑)
笑われて呆れられて
そして助けられて
手伝ってもらって
前代未聞の事務処理ミスといわれたこともあったけれど
結局直してもらえて、
どうにもならないことにも
どうにかなるようにバランスが取れているのかなぁ?と感じる。
けなげに頑張っていれば
そんな作用がどこかで働いているみたいで、すこし、救われる。

失敗したときの反省や
周りを巻き込んでしまったときの申し訳ないという気持ち
全て時間が解決してくれるわけではないけれど
失敗することで学び
すこしずつそれが確かなミス防止や次への力になるならば
よくは無いが悪くないと思う。

元気出してね。