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もて木みち子 オレンジニュースブログ版

今年のキーワードはゆっくりやさしく社会を変える

教育センターの移転予定の場所

2011-03-23 | つながる三木

市役所北側にあるこの場所、勤労青少年ホームとしてつかわれていました。今はホームとしての機能もなく、臨時的に使われているだけです。

1973年に立てられているので、もう38年ぐらいになるのでしょうか。もちろんエレベーターもありませんし、内部の壁や床もぼろぼろです。改修して女性センターとして使用していたのですが、建物が老朽化して危険、相談は連携が必要ということで、教育センターに移転した経緯があります。

写真のように敷地もぎりぎりの立地なので余裕がありません。ここに教育センターを移転させる計画のようです。

さまざまな相談業務が一緒に移るので、相談室の確保や、プライバシーの保護、安全の確保もしなければなりません。虐待やDVなどの加害者がたずねてきたら、どうしたらいいのかのシュミレーションもしておかなければなりません。(男女共同参画センターはここではなく、隣保館に移る計画のようですが、そうなればますます連携は失われます)

また適応教室には、子どもたちが参加しているので、広いスペースの確保が必要ですし今の階段は急で危ないので、階段もつくりなおさなければなりません。

事務所も狭いのでどう確保するのか、コンピューターの部屋などはどこへおくのか、と考えていくと、やっぱりこの計画無理がでてくるのではないかと思ってしまいます。

教育センターのための移転ではないのですから、どう考えても今より機能低下になります。

むしろ今より機能を高めて三木の教育のためのセンターとして充実させていただきたいと思うのです。


委員会傍聴

2011-03-23 | つながる三木

2回目のとしょかん活性化構想委員会が開かれました。傍聴は私を含め4人。

委員会は委員長、副委員長のほか委員5名、教育委員会3名、図書館2名

資料は見ていないので分かりませんが、教育センターに移転した場合の計画が出されたようです。それが、なんと4段の書棚を2階から4階に、並べた計画で11万冊。現在のとしょかんにある書庫の6万冊余りはそのままです。

え、それはどうなるの?現在の案だと今のとしょかんに書庫だけそのままおくという計画でしょうか?書庫を並べただけで、中央図書館機能が果たせるのか?

仮に教育センターに書庫をつけたら、そのための費用が割りますことになり、ますます1億7千万が節約などという根拠がなくなる。

やっぱり、この計画そもそも無理だとしか思えない。

基本的な図書館の図が描けずに活性化なんてありえない!

今ならまだ間に合います。もっとじっくり検討してください。次回は5月だそうです


仙台空港

2011-03-22 | つながる三木

 

甥が仙台の写真を送ってくれました。仙台空港付近。津波が広範囲で押し寄せたところです。その結果、空港付近はこのような状況です。


母情報

2011-03-22 | つながる三木

いろいろな方からブログを見て、よかったね、と励ましをいただきました。本当にありがとうございます。たくさんの方がテレビやネットの情報をみながら、被災地の様子を、見守っていただいているのだと思います。

その後母親は、発熱や肺に水がたまったとかで病院にいきCTをとりましたが、今のところ大丈夫なようでほっとしています。あれだけの惨事に遭遇したのですから、後でいろいろな症状が出ることは覚悟していましたが、大事でなくよかったです。最初のうちは何度も夜中にめがさめているようでしたが、このごろはよく眠れるようになったとか。しばらくはゆっくりとして体調を整える必要があるようです。

友人や同級生は、たぶんそれどころではないので、ぼちぼち連絡していますがなかなか通じません。

南三陸町は、昨年宿泊したホテルが無事で、おかみさんが宿泊者や避難者のお世話をしていると新聞やネットの記事で読みました。南三陸は、被害が甚大で以前の姿をまったくとどめていませんので、何をよりどころにとおもいましたが、元気に活動している人もいらっしゃということで、希望をつないで行きたいと思います。

南三陸町は、リアス式海岸沿いに、いくつもの集落があり、漁業と農業そして観光の町です。

都市部とは離れているので、仙台から、通常だと2時間以上石巻からも1時間かかります。こちらからだと日本海経由で、山形か秋田から入っていくのでしょうか。役場がやられて、人口17000人のうち行方不明者は8000人を越えるとも言われています。役場の機能も麻痺しているようで、戸籍のデータが消失とニュースでありました。これから、次々と変わるニーズで救援、支援が必要だと思います。必要な物資も変わっていくでしょう。長い目で支援できるような形をつくっていけたらと思います。


図書館活性化構想委員会

2011-03-21 | つながる三木

図書館を活性化するにはどうすればいいか、を検討する委員会が明日開かれます。

今回が2回目の委員会で、今回から公開で傍聴できます。

図書館は前回の活性化構想に比べ、蔵書数も貸し出し数も飛躍的に伸びました。

吉川、青山と地域の図書館が整備されたのがもっとも大きな要因ですが、今回は上の丸図書館の移転の話が出ています。交通アクセスが悪いというのがその理由です。確かに不便です。しかしそれは、建築当時から同じ条件です。そのなかで着々と貸し出し数を伸ばしてきた実績があります。

移転に反対ではありません。しかし、移転先としてあげられている教育センターが、ふさわしいかというと3つの点で疑問です。

ひとつには、積載荷重の問題。事務所仕様のこの建物に図書館の本が収納できる構造になっているのか、下に児童センターがあり、斜面に立っている立地ということもあって、安全性で疑問があります。

もうひとつには、2階から4階までを使った建物が、現在の図書館以上の機能を持つことができるのか。フラットな1階が理想といわれているとしょかんの建物を3階でまかなうことで、今の機能を損なうことにならないのか、という機能性の問題。

そして、3つ目に、移転を予定している教育センターが、そのためによそに移転しなければならず、それらの移転や改修の費用が、億単位でかかることです。

それらの問題が、委員会でどう話し合われるのか、明日傍聴に行くつもりです。どなたでもいけますのでどうぞ傍聴にお出かけください。

午後4時から、市役所会議室です。4階か5階と思いますので、市役所の案内表示を見てください。

図書館ではなく市役所ですのでお間違いなく。


事務所はあいています

2011-03-21 | つながる三木

東日本の震災で、街頭活動などは自粛しておりますが、事務所はあけています。

昨日も、防災公園へ支援物資を送り届けた帰りという家族が2家族立ち寄ってくださいました。

テレビを見ているだけではじっとしていられない心境がつたわってきました。何か自分たちにできることはないか、という思いだろうと思います。いろいろ話をしながら、こんな場所がいろいろなところにあればいいなと思いました。

大人たちが、震災のことや、三木の市政のことを話している隣で、子どもたちが、一緒に遊んでいたり、ビラを折るのを手伝ってくれたりしています。小さい子用のおもちゃの隣に、娘がつくっていってくれた、ねんどやビーズのコーナー、子どもが来れる事務所で、親たちが今の三木市を語れる場にしたいという思いが少しずつ実現しています。

政治は市民のおもいを形にするところです。どうぞお気軽においでください。

平日は2時からですが、休日は10時からからあいています。

 

 

 

 

 

 

 


刻々変わる被災地情報

2011-03-21 | つながる三木

母の救出で、安堵しましたが、弟のところに預かってもらい一段落し、今度は他の人の安否を確認をはじめました。

実家がある石巻は行方不明者が1万人とも言われています。多くの地域が甚大な被害を受けています。

電話番号の分かるところに電話してみましたがやはり通じませんでした。逆に県外にいる友人に電話してみたところ、同じように一人暮らしの母のいる友人も、息子が2階にいる祖母を3日目に救出、無事だったということでした。

しかし、石巻中学の同級生は、安否が分からない人が多く、津波で犠牲になった友人もあるということでした。昨年、還暦のお祝いに同級会をして、再会を喜び合ったばかりだけに、その姿がしのばれます。

社会全体の救援の動きに参加しながらも、こうした縁のある方々への支援の取り組みもなんとかしていかなければならないと思います。

状況を知るにつれて、母の生還を喜んでばかりはいられない厳しい現実を知ることとなりました。


被災地情報 個人的ですが

2011-03-20 | つながる三木

東北関東大震災の報道も、1週間をすぎて、少し落ち着いてきたように思います。しかし現地の状況は刻々変わるので、母の救出も一段落したので、被災地の情報を、お伝えしたいと思います。

わたしの個人的な情報ではありますが、仙台市、塩釜市にきょうだいがおり、石巻に実家があります。

三木が支援しようとしている南三陸市には、現在直接のルートはありませんが、何度も行った場所です。去年は石巻中学の同級会をして、45年ぶりに出会った人もいました。

マスコミやネットだけではない、生の生活情報をお伝えして、こちらからの支援に何が必要かを

考える参考になればと思います。現地のイメージがなかなか描けないと思いますので、それをお伝えするのが、わたしの今の役目かなと思っています。

仙台は人口も多く、地理的にもいろいろな場所があるので、一様にかたるこおてゃできません。被害の多かった若林区の情報はまだつかめていませんが、母が身を寄せる弟のすむ青葉区では、地下鉄や市営バスも動くようになりました。

幸い避難所にも行かず自宅で暮らしていますが、スーパーも行列はあるけれど、モノも買える様になってきたということです。

しかし、ガスはまだ回復せず、全面回復には3ヶ月ぐらいかかる見通しとか。電気は一部を除いて通じたのでなんとか、調理や暖房はなんとかなりますが、風呂等は無理。

なんといっても今は、ガソリンや灯油が不足していて、ガソリンスタンドでは、殺気立つ光景もときにはあるとか。

しかし、よそではもっと被災している方が多いので、おおむね、平穏になんとか乗り切ろうということで、暮らしているようです。今は気が張っているし、テンションが高くなっているけれど、これから長期戦だと話していました。

 

 


生きてた!母の声が聞けました

2011-03-19 | つながる三木

震災後1週間、ようやく母の消息が分かり、母の声が聞けました。 ご心配をおかけした皆様、励ましの声を届けていただいたみなさま、ありがとうございました。

きのう妹のところへ見知らぬ方から電話がかかってきて、専修大学の避難所で無事にいるとの電話が入ったそうです。

きのうまでの情報ではどこかの病院にいるのではないかということで、さがしてたのですが行き当たらず、病院に直接いってさがさなければと思っていた矢先でした。

妹の話では

震災直後、首まで水につかり、必死で2階に避難。着替えて、あるものをとにかくみにまとい布団のなかでじっとしていた。

3日目、自衛隊の人が外でさがしていたので、手を振って救助をもとめ、救出され、病院へ。

ペースメーカーを入れており、薬も常に飲んでいる状態だったが、救急を要する病気やけががない人は、専修大学の避難所へ移動。そこで、避難所生活を続けていた。

そこで、一緒に避難していたあべさんというかたが、親切にお世話をしてくださり、避難所の電話が通じてからも何度も電話をしてくさり、ようやくきのうの朝、通じたようです。

ペースメーカーなので携帯を所持できず、もちろん何も持ってでていないので、なんとか覚えていたのが妹の電話番号だったらしく、それが通じました。妹のところもようやく電気が通じて電話が使えるようになったところでした。

妹がなんとか残ったガソリン出迎えに行き、仙台の病院に運んで、きのうたまたま通院の予約日に当たっていたので薬ももらうことができ、仙台の弟のところへ、落ち着くことができました。

そこから、電話をもらい、母の声をきくことができました。思ったより元気でしたが、耳が聞こえにくいらしく、直接はあまり話ができませんでした。

しかし、笑い声も聞こえてきましたので、本当に安心しました。

震災が起きたとき、一人暮らしの母は、「このまま死んでいられるか」と思ったそうです。そして、とりあえずじっとしていて助けを待っていたそうです。真っ暗な、余震の続く中で、一人で3日ももちこたえたのは、母の冷静な判断力と、生きることへの強い意志だったと思います。

そして避難所ではバナナと水しか口にしていなかったそうですが、救出してくださった皆様、病院や避難所の皆様のおかげで、なんとか生き延びることができました。

本当にありがとうございました。

また、今回は子どもたちや甥たち、母にとっては孫たちが、東京、滋賀、愛知と遠く離れているにもかかわらず、ネットなどで実に精力的に情報を集めてくれました。「おばあちゃんを救え!」と仕事の合間で、さがして情報を流してくれました。家にいるのではないかというのも、病院も、そして最後の避難所の場所も、きのうなんとか探し当てたところでした。

この1週間、何をしたらいいのか分からず、うろうろしていましたが、無事を確認しましたのでようやく、普通の生活に戻れます。

仙台もまだガスは通じずガソリン不足も解消されていませんし、塩釜は水道もまだ、石巻に至っては、部分的に電気や電話が通じたところです。まだまだ安否確認をしている大勢の方がいます。回復には長い時間がかかると思います。今は、こちらからでかけていく手段もありません。

しばらくは現地にいる弟や妹に世話をお願いしながら、今後のことを考えたいと思います。

 


母の消息 つながった!

2011-03-18 | つながる三木

この1週間、情報のまったくなかった母の情報がようやくすこし見えてきました。

きのう17日昼、塩釜の妹の家電気が通じて電話がかかる。家が高台にあったため無事。坂を下りたところは全滅とか。じっと家にいて、備蓄していた食糧でしのぐ。

義弟が残り少ないガソリンの入った自動車で、石巻の母のすむ実家へ行ってみてくれるという。ありがたい。

塩釜と石巻をなんとか往復できるくらいのガソリンしかない。無事たどり着けるといいが。

14時 石巻についての報告。一階はヘドロのようなどろやがれきでぐちゃぐちゃ。

    2階は無事で、布団がしかれたままだが、母はいないという。

    近所も被害にやられて人も避難しているので母の消息がつかめない。

   あきらめてかえろうとしたら、近所の人にたまたま出くわす。

   自衛隊の人に救出されて、病院に運ばれたという。しかしいつ、どこの病院かというのは

   分からない。

   義弟の話ではニュースで自衛隊の入ったのは15日ということだった。ということは5日も

   水も食料も、電気もガスもないところでじっとしていたのだろうか。

   心当たりの病院に電話してみたが分からない。近隣の病院に電話してもつながらない。

   現在もそのまま。

   最初は避難したと思っていたが、避難できる状況ではなく、自宅でじっとしているのでは

   という予感があった。しかしきのうの冷え込みと雪ではもう限界だろうと思っていた。

   無事であるかの確認はまだとれていないが、病院にいるのなら、なんとか生きているのではないかという希望がみえてきた。

ようやくつながった!       

 

 

 


Fw:Re:宮城の情報

2011-03-17 | つながる三木
自宅の可能性もたかいな。!ーーー息子やむすめからいろいろ情報がきます。さきほど、無事と連絡はいったきり途絶えていた妹から連絡がありようやく電気が通じて、電話が通じるようになりました。なんとか石巻にいけるだけのガソリンあるので行ってくれるそうです。今日にも消息わかるかもしれません。

図書館の床1㎡あたり300kgは安全といえるのか 

2011-03-17 | つながる三木

教育センターの移転をめぐっての論議がでていますが、一般の市民の方には、何のことかさっぱりわからん、というご意見もいただきましたので、解説します。

総務文教委員会の予算審議ににおいて、教育センターを勤労青少年ホームに移転するという案が出されています。移転の理由として、図書館を教育センターに移転するという案が教育センターから出されました。交通アクセスの悪さ解消するためがその理由ですが、「みんなのぎかい」ではおもに2つの理由からこれに反対しています。

ひとつには、三木の教育の拠点である教育センターの機能低下が懸念されるので、

教育センターは現在の建物にそのまま残すべき

考えること

2つ目に教育センター移転の理由である図書館の移転について

図書館という公共施設の安全性について疑問があることなどです。

安全性という理由は、この未曾有の大震災の中で、さらにいっそう建物の安全性については考慮されなければならないということです。

一つ目の勤労青少年ホームは耐震の基準前に立てられており、基準を満たすには大規模な改修を行わなければならないのは必至です。さらにエレベーターなどの施設もなく、不登校の子どもたちのための適応教室相談室など用途が大きく変更されるので、その安全性が大きく問われます。十分な安全性を確保するにはかなり大幅な改修が必要と思われます。

さらに教育センターは、1階部分の児童センターはそのまま残すということですので、2階から4階の3階部分にとしょかんの書架を置くことになり、その積載荷重が問題になります。

教育委員会の説明では、㎡300キロの基準を満たしているので安全ということでした。

この基準は何から出ているかというと建築基準法の積載荷重(表では単位が違うので、丸がひとつ多い)からです。建物の主な基準が出ています。これを見ると、書庫が多くあると思われる図書館は、300キロでは、十分ではなく、最低法務書庫600キロに耐えられる床構造が必要だと思われますし、可動書架にいたっては1180キロの基準になっています。

しかしこの荷重の部屋の種類には図書館の基準はなく、他の部屋で類推するということになります。

教育委員会では、300キロの荷重内に書架を配置するから大丈夫といっています。

しかし、ご存知のように図書館には書庫は絶対に必要です。まして、これからどんどん本が増えていく中で、書庫を置けないような積載荷重に基準しか持っていないところに図書館を移転させるのは、危険であると思います。

300キロに見合うようにレイアウトしなければ重さが持たないところに、今後もその数が増えることは明らかな図書館の本をおくということで安全が守られるのでしょうか。

図書館は一時的な場所ではありません。長期にわたって使用するものです。来館者も不特定なので、人の重さもかかります。

それらを総合的に判断にして他の図書館では、600キロをおおよその基準にしているようです。それに満たない場合は、ほんの数を大幅に減らして、半分くらいに市、書棚も4段にするなどの形で対応しています。つまり、半分の重さにするということです。

三木の場合、床面積はほぼ同じということですので、教育委員会としては、それをうまく配置すれば大丈夫ということらしいですが、事務所とは用途があきらかに違う図書館の機能を、事務所会議室の基準にしようとするのは無理があるように思います。

 委員会では計画を進めながら考えたらいいというような意見もありましたが、それではいけないと私は思います。この未曾有の震災のさなか、人の安全をしっかり担保できる計画でなければ進めるべきではないと私は思います。

まして、歴史美術の杜構想は人の命や暮らしに直結した、急がなければならないプロジェクトであるとは思えません。


Fw:大街道小学校

2011-03-17 | つながる三木

名簿UPされました。ざっと見たけど名前がありません。もう一度確認します。
 

避難所ごとに手書きの名簿が公表され始めています。しかしまだ一部のようで名前はありませんでしたし、知っている人の名前もありませんでした。

送られてきた画像は転送できませんでした。


震災のニュースは続々。今、何をやるべきか 

2011-03-17 | つながる三木

東北関東で起きた大震災は、日を追うごとにその被害の甚大さを思い知ることになりました。

いろいろな方法で、情報を得ながらさがしている母の安否はまだ確認されていません。たくさんの方にご心配おかけしていますが、残念ながらまだいいニュースはお伝えできずにいます。どこかで、辛抱強く生きていることを祈るのみです。

そんなわけでわたしも、何をすべきか、を迷いながらいたずらに日が過ぎていくという気がしてあせっています。現地に行くことも考えましたが、近隣市に住む弟や妹でさえ、行けずにいるのに交通手段のないわたしが行ってもおそらく現地にはたどりつけないし、かえって迷惑をかけてしまうでしょう。

ここ三木でわたしができることは何だろうと考えてみました。

阪神淡路のときは、みきは救援物資の集積と仕分けの場所でした。各地から送られてくる物資を仕分けするボランティアに通ったのを思い出します。

その後は、被災地に近いということで炊き出しを持って被災地に向かいました。そしてあまりテレビにうつらないような避難所を回って御用聞きを市、必要なものをききとって届けました。

その後は、全国のネットを使ってこちらの情報をお伝えしたり、子どもの本を送ったり送られた理の橋渡しをしました。

又三木に避難してきて、転校してきている子どもたちを招待して、一緒にたのしむイベントなどもやりました。

その後は、県で立ち上げた、災害救援専門ボランティアの事務局となり、ボランティアの方々との橋渡しの仕事をしていました。そのなかで研修やイベントもしてきました。

また市民活動では、災害時におこる女性特有の支援もしてきました。災害時やその後の復興時におこるさまざまな課題、たとえば女性に必要な、医療や生活用品の対応、プライバシーを守れないことから来るトラブルや性的な被害予防への対処など、今後に活かしたい教訓もたくさんありました。

その中で今、わたしができることは何だろうと考え始めました。

社協では災害支援の募金活動が始まっています。

そして今朝のrfuruyaさんからの情報。さすが武雄ははやい!

自治体としてできることをすぐに打ち出しています。きのうわたしも民生の委員会(消防や病院)で質問しましたが、消防では実際に救急援助隊として派遣したりしているそうです。

しかし武雄のような自治体としての取り組みは、三木市はこれからだと思われます。

これは、他人事といってる場合ではない。日本国中がいや世界中が皆で取りくまなければならいおおきな問題です。

私たちが何ができるかを考え行動しなければならないと思います。私は何ができるのか

今わたしの知りうる情報を、テレビとは違う小さな情報を、できるだけ間近におつたえすることかな、と思います。

そして三木でできることをそのなかから見つけ出したいと思います。限られた情報ではありますが、すぐにでも必要な支援が何かをまずは見つけたい。