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もんく [とある港街の住人]

8時間への不信感

自前プロジェクトが長引いている。なぜなら、考えるから。考えれば考えるほどに知りたい事が出てくるし、そしてもっと良いアイデアは無いかと探す。かなり出来てきたところで廃棄にし、2〜3世代前まで戻ってやり直す。コリャ時間かかるわ、と言うところ。でもまあ、どんどんスピード上げられるようになっているからどうにかなるだろう。

 

昨日、時間で管理される仕事の仕方についてちょっと書いたけれども、もっと本質的な事として思うのは、世界中の多くの人が昼間の明るい時間の大半を仕事に使っていると言うのはどうなんだろう?と思う。こう言う事は時々書いているが、本当にそう思うからまた書く。

仕事と言っても自分で食べるために野菜を育てていると言うのではなくて、そう言う直接的な仕事よりかなりズーーーっと遠回りしてやっとカッコつく感じの仕事を皆している。昼の良い時間を潰して。

これはね、2つの意味でどうかと思うのだ。

その1。勤務時間と言うのは基準が8時間程度と決まっている。だから、労働者の人口×8時間が世界中の仕事の工数となる。工場の労働ならまあわかる。でも、いろいろな仕事があるのにどの仕事でもその工数を埋められるほど仕事って本当にあるの? おかしいよね。8時間分×人数の仕事が本当にきっちりあるとは全く思えない。仕事の量に合わせて人口や子供の数を調整しているわけはないから、きっと仕事の密度で労働者が勝手に調整しているだろう。要は、仕事の中身ってスカスカな場合が多いだろうと言う事。

その2。1日の明るい時間の大半が仕事に持っていかれると言う事で、つまりはほとんどの人がやりたい事とか自分の得意な事をやらないで人生の時間を使ってしまうと言う事になる。さて、もし、多くの人がやりたい事か得意な事を今までより1時間でも余計にやれたら、世の中もっと良いようになっていたりしないかな?

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