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もんく [とある南端港街の住人になった人]

怒鳴り声が木霊する

たまに近所の家から怒鳴る声が聞こえてくる。具体的にどんなことなのかまではわからないが、家族どうしの何かだ。別の家でもそういうことがあるらしい。言葉ばかりでなく物を投げることもあるとか。幸いなことに家の外までは持ち出してはいないようだがどこの家庭でも多少なりともあるのだ。

自分の育った家、つまり父と母の作った家庭のことだけれども、同じだった。子供だった自分と弟は毎日ビクビクしながら暮らしていた。子供だから他の家もそうなのか違うのかは考えることもなく、それが普通なのだと思っていた。けれど、自分が大人になっていろいろ知る中では全部の家庭がそうではないし、自分の親がそれしかできない人間だったということがわかった。

それで、今、どこかから聞こえてくる怒鳴り声らしきものを聞くとこう思う。人は人生の時間を経る中でいろいろ学ぶことができる。それによって得られるものはお金を得るための知識やスキル、資格のようなものもあるけど、一番はやはり自分自身をどう管理するかというそのやり方だったのじゃないだろうかと。外に働きかけたり相手にわかってもらうとか、何かを得るとか、そんなことよりも自分自身のあり方や自分自身が幸せでいられるためのことなのじゃないだろうかと考える。

けれども、そのやり方は体系的に学べるものではないし、全ての人に同じ方法が適用出来るものでもないのかもしれない。だから学ぶ機会はあったにしてもそれが上手くできたかどうかはわからない。どこかの時点で逃してしまったかもしれず、昨日書いたように脳の物理的な形態が作用して上手くいかなかったのもありそうに思う。世の中にはそうして好戦的な人がまだまだ多くいるけれど、凡そそんなところから来ているのだろうか?

残念だ。
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