私に欠けていたのは、なんと、「歌詞」を歌うこと
盲点だった
私はご存知(?)歌詞派の人間、てっきりそっちは得意なんだと思い込んでた
なんてあほ
好きだから得意だってんなら即一流歌手になれるぜ
今回指摘されてほんとにうれしかった
彼女の歌は素敵だ
声楽的にも素晴らしいんだけど、そういうことじゃなくて、魂の歌なんだ
その理由がわかった気がしたんだ
盲点だった
私はご存知(?)歌詞派の人間、てっきりそっちは得意なんだと思い込んでた
なんてあほ
好きだから得意だってんなら即一流歌手になれるぜ
今回指摘されてほんとにうれしかった
彼女の歌は素敵だ
声楽的にも素晴らしいんだけど、そういうことじゃなくて、魂の歌なんだ
その理由がわかった気がしたんだ
私もOotaさんと同じ印象でした、、、。
でも、もうちょい深い話なんかなぁ。
自作曲ならまだしも、既成のメロディに日本語を当てはめた場合、
通常の言葉のイントネーションと著しく違うところが出てきます。
そこにあまりに無理があると、歌詞を歌うことよりも旋律をなぞるだけに
なってしまいがち(ま、そんな曲は世に沢山ありますが)。
歌う以前の、日本語をつける時のそのあたりのバランスも
大事かと思います。
メロディーにとらわれて、歌詞をとどける歌い方になってなかった。
最近とりあげたエモルドゥラーダなんかは、
本気で歌詞を届けたかったんで、
自然と出来てると思います。
でも、もともとそういう意識がなかったんです。
初期の頃に取り上げた、例えばコルコバードとかは、どう歌うかすらあまり固まってなかったりします。
サックスの場合、飲む音が頻繁にあったり、
出す音も、明るい音やらなにやらいろいろありますよね。
ジャズの場合、フレーズの形によって、歌い方はある程度決まってるように思います。
(そのジャズの歌い方を、ジャズシーンに登場したハナからやってたふじいさんはすごいです。)
でもポップスは、フレーズだけでは決まらなくて、歌詞とセットになってるんですよね。
だから、歌詞をとどける気持ちがないと、結局フレーズも届かないように思います。
ちょっと書きすぎかな。
アドバイス自体はそういうことやなくて、
英語にしろポル語にしろ日本語にしろ、
メロディーを歌うことにとらわれて歌詞を届けることを忘れたらいけないよ、て話なんですけど。
勉強になりました。
アドバイス自体は、日本語のことやなくて、ポル語にしろ日本語にしろ、・・・なんですけど、
その後いっぱいいろんなことを考えてた中で、
日本語のこともいろいろ考えました。
わりと気に入ってる「ジェット機のサンバ」、
出だしの、「ミニャ・アウマ・カンタ」
てとこ、
ミニャ、が上から下、
アウマ、は下から上、
カンタ、は再び上から下、
となりつつ、全体には下から上へと行きます。
ミニャとカンタは、同じように上から下なんだけど、でも、カンタのほうが、幅が長いです。
そういったことが、飛行機の上昇感を出してるんですよね、多分。
一方、僕の歌詞は、
「リオの町が見える」
音を増やしたため、もはや原詩のような3部わけはできません。
結局、上で分析したような効果は出ません。
難しいですね。
がんばります。
確かに「れー」のところをハズしやすいです。
歌詞を歌っていないからなんでしょうね。
頭で分かっていてもなかなか喉がちゃんと動いていない証拠。
私も頑張りま~す^^)
とはいえ、ウリボッサさんの「はずした」はあんまり外れてないんですけど(^^)
「まちこがれた」てとこ、
ああ、ジェット機のサンバだ、楽しみ、わくわく、
ていうリスナーの気分に見事に合致してて、好きです。