温泉クンの旅日記

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祖谷温泉 徳島・三好市

2006-05-07 | 温泉エッセイ
< 断崖温泉 >


「イヤァー、なにこれ~、怖い!そこらへんの普通の温泉でよかったのにい。
やだやだ落ちるぅコワーイ、キャァーッイヤァーッ!」



 ケーブルカーが自動運転でガガガガッと動き出すとすぐ、お婆さんと娘さんが
大きな悲鳴をあげた。もうひとり、小学校前だろう、孫のお嬢さんは悲鳴を上げ
そこなったようで、母親とお婆ちゃんの顔をオロオロと心配げにみつめている。
それほど怖がっていない。子連れのグループの悲しい習性で、迷わず一番前の席に
座ったのだ。

 四国は徳島、祖谷(イヤ)温泉。はるか足の下、谷底にある露天風呂に向かい
「42度」の日本一の傾斜角でケーブルカーはゆるゆると降りていく。恐ろしい
傾斜だ。
 降りるというより垂直に落下していくと言ったほうがより正確だ。およそ43階
建てのビルの外壁にぽこっと取り付けられた、床が一部ガラスのエレベーターで、
最上階から垂直落下するイメージである。所要時間は5分と、悲鳴をあげる人間に
とってはすこぶる長い。

「だってオマエ、あたしもこんなだとは思ってなかったんだよ。ヒトリ大枚千五百
円ずつ払っちゃたんだし、モッタイナイ。ここで引き返せそうも無いし・・・。
シタを見るのをやめて、ヨコ見てれば怖くないよ。ナンマンダブ」
「お婆ちゃん、よしてよ!縁起悪い」

(お婆さん、横を見ててもタップリ怖いぜ、シカシ。ハハハ)

 高所恐怖症のわたしはと言えば、とっくの昔に、横の窓外に視線を釘づけにして
いた。景観を楽しむどころではない。横窓の渓谷の深さが、つながる真下の奈落を
裏付け、背筋にヒンヤリゾクッと思い出させるのである。

 動き始めてチラッとはるか下の谷底をみた瞬間から、そのあまりの恐ろしさに
脚だけでなく全身がすくみあがってしまい、脂汗かいた引きつる顔で、くり返し
喉もとにせりあがる悲鳴をどうにかばくばく呑みこんでいた。なにしろ、ただひと
りのおとなの男の乗客なのだから、ひえぇ助けてくれえなどと叫べないのだ。

 失敗した、上の内湯だけで満足しときゃよかった。激しく後悔する。この女衆
が、ためらわずルンルンと露天に向かったものだから、ついつい対抗意識を燃やし
て追いかけケーブルカーに乗ってしまった。
 
 谷底についたケーブルカーから降りて気をとりなおし、ついでに顔もとりなおし
露天風呂へ向かう。
 渓流に突き出した露天風呂は、6、7人がちょうどいい広さだろう。いまは誰も
いないので、つぎの下りのケーブルカーがくるまでは独り占めである。湯口から
ジャバジャバ温泉が勢いよく注ぎ込まれて、溢れた湯は川原に零れ落ちている。
泉質は単純硫化水素泉。源泉かけ流しであるのがありがたい。新鮮な湯の花たっぷ
りで濁った、若い濃い湯である。



 身体が温まると石組みのふちからのり出して、渓流と渓谷をのんびりながめる。
聞こえるのはひたすら湯の音、渓流の音。そして風の音。硫化水素泉特有のすこし
きつめの匂いも、渡る風が薄めてくれる。
 きょうは朝9時、松山の宿を出発し高速の松山道、つぎに徳島道に乗った。
「井川池田」インターで降り、32号線をつかい狭い県道をひた走った。
 四万十川をさかのぼる道も細かったが、ここ祖谷温泉への道もそうとう細い。
しかも長い。対向車もトラックありミキサー車あり、バスありでしかもガードレー
ルはあるが、右側は千尋の谷で見通しの悪いコーナーでなんども肝を冷やしたの
だった。

 ふう。落ち着くと急に空腹を覚えた。

 そういえば昼時をすこし過ぎたぐらいである。しょうがない、またあのケーブル
カーで目つぶって登って昼めしにしよう。たしか旅館の入り口に食堂があった。
蕎麦ぐらいあるだろう。さきに熱めの内湯にいってもいい。
 しばらく身をのりだしていると、風ですぐ身体が冷えてしまう。
 源泉は39度と、風が吹き渡る谷底ではかなりのぬるめだ。なかなか温まりきら
ずに、露天風呂からあがるタイミングが判らなくなる。
 それとも、ここまでの崖っぷちの細い道で肝を冷やし、あの断崖落下状態でその
肝がカチンカチンに凍ってしまったのかもしれない。

「千五百円は大枚だけど、景色、スリルといろいろコミだから高くはないですね」

 あのお婆さんたちにあったらそう話しかけてみよう。もちろん、昇りのケーブル
カーで逢わず、無事に上にあがり食堂ででも逢ったら、の話だが。

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