温泉クンの旅日記

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臼杵の石仏

2012-02-26 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <臼杵の石仏> 

 国宝の臼杵石仏(摩崖仏『まがいぶつ』)を写真では何度か観たことがあった。

 でも、それがある「臼杵」ってどこにあるのだろう、なんて読むのだろうと思っていた。うすきね、ではないだろうし。
 やっと「うすき」と読むとわかっても、似た地名の「杵築(きつき)」といつも頭のなかで混んがらかってしまう。
 この旅で杵築にも行ったし臼杵にも訪れているわけで、だから、これからはだいじょうぶだろう。(たぶん)

 別棟にある観賞券発売所で券を買い、離れた集札所に向かう。
 集札所のわきには、無料の杖が何本も立てかけてあった。なんとなく、あとで後悔しないように一本借りてスタートする。



 阿弥陀三尊像。(平安後期の作)



 中尊に阿弥陀如来、三尊として祀られているので脇尊には観音菩薩(左)と勢至(せいし)菩薩(右)が配されている。
 なんとなく輪郭がはっきりしないが、磨崖仏は千年の風雨に曝され続けている。阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆いのである。

 地蔵十王像。(鎌倉期の作)



 冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王像である。中尊の地蔵菩薩半跏(はんか)像といって、右足を坐し左足を立てているのは古い様式だそうである。

 山王山(さんのうざん)石仏。(平安後期の作)



 中尊に大きな如来座像、左右の脇尊も小さな如来座像。
 心やすらぐこの像を画家の安井曽太郎が絶賛したという。



 古園(ふるぞの)石仏。(平安後期の作)



 中尊は大日如来。切れ長の目、引きしまった口元、きわめて端正で気品があふれる。
 仏頭の部分が落ちてしまっていたのだが、見事に修復されている。

 信心深くないわたしには大日如来ってよくわからない。調べてみた。
 仏教における仏は、もともと「(真理に)目覚めた人」という意味で「仏」といえばただ一人「釈迦」のことであった。ところが後世になると、仏教は「多仏」思想になっていく。



 日本における大日如来だが、平安時代に浸透した密教において最高仏として位置づけられ大日信仰が成立した。
 大日如来は、「お大師さん」で知られる空海(弘法大師)の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。
 そういえば脇尊に菩薩と如来が、両側にずらりと並んでいる。



 成田山新勝寺などで有名な「不動明王(左の二番目)」は密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
 ふぅむ、そうなのか。

 弘法大師といえば、あちこちの温泉場で名前が出てくる。いわゆる開湯伝説といわれるやつで、である。
 ちなみにお大師さんが発見したといわれる温泉であるが、温海、芦の牧、関、燕、川場、法師、修善寺、伊豆山、湯村、龍神、関金、湯免、東道後、杖立など数えたら切りがない。
 温泉に限らず、讃岐うどんなど食べ物にも弘法伝説はあるらしい。

 ところで、順路の途中に「五輪の塔」というのがあるのだが、あるていどの健脚でなかったらやめといたほうが無難である。とくに汗ばむような暑い日には。
 杖を借りたのは正解であった。



 かなりな急坂の斜面を登りつめたところにあるのだ。
 順路どおりにひとり真面目に進んだわたしは、結果あとでひどい目にあうのだった。



  →「豊後・杵築を歩く(1)」の記事はこちら
  →「豊後・杵築を歩く(2)」の記事はこちら
  →「続・鉄輪温泉(1)」の記事はこちら
  →「続・鉄輪温泉(2)」の記事はこちら

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