<永平寺初参詣(1)>
曹洞宗の大本山である「吉祥山 永平寺」は、約七百六十年まえの寛元二年(1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。
正門のすぐ前のパーキングに車をとめた。
なんとなく、永平寺は山の上のほうにあるのだろうと勝手に想像していたが、まったく違った。長い急坂とか階段とかを登らないでいいので、実はすこしほっとしている。
名刹に来れば、いかな能天気なわたしとて身も心も引き締まる。
思ったよりも短い参道を歩き、通用門を入って参詣の券を買う。五百円である。
靴を脱いでビニール袋に入れ、吉祥閣(きちしょうかく)の一室で雲水から一通りの説明を受けてから参詣が始まる。注意事項としては、撮影時のフラッシュは禁止、修行僧の撮影も禁止、それを守ればどこを撮影しても構わないとのことである。
まずは、傘松閣(さんしょうかく)の二階、百五重六畳敷きの大広間で絵天井を観賞する。
フラッシュを使えないのでいまひとつの画像になってしまう。
花や鳥を中心に描かれた二百三十枚の天井絵は、昭和五年当時の著名な画家百四十四名によるものである。
いよいよ本格的な参拝順路になるので、念のために東司(とうす=トイレ)で用を足してみたが、さすがに清潔そのもののトイレであった。
永平寺の修行の中心は座禅であるが、回廊掃除などの作務(さむ)も「動の座禅」といわれる。
たしかに回廊の廊下は、毎日の拭き掃除で塵ひとつなくピカピカに磨きあげられていた。
寺院の建物を一般に「伽藍(がらん)」といい、永平寺の修行に欠かせない七つのお堂を「七堂伽藍」と呼ばれる。
山門、仏殿、僧堂、庫院、東司、浴室、法堂(ほっとう)の七つである。特に僧堂、東司、浴室は<三黙道場>といって一切の私語は禁止されている。
その七堂伽藍の中心に位置する総檜造りの「仏殿」。
中央の須弥壇(しゅみだん)には、本尊の釈迦牟尼(しゃかむに)仏が祀られており、昼と晩の勤行などがここで行われる。
法堂(ほっとう)。
四百二十畳敷きの七堂伽藍で最も高い位置する最大の建物で、聖観世音菩薩が祀られている。
本来は説法の道場であるが、朝の勤行や各種の法要などが行われているそうだ。
― 続く ―
→「越前そばにハズレなし」の記事はこちら
曹洞宗の大本山である「吉祥山 永平寺」は、約七百六十年まえの寛元二年(1244年)道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である。
正門のすぐ前のパーキングに車をとめた。
なんとなく、永平寺は山の上のほうにあるのだろうと勝手に想像していたが、まったく違った。長い急坂とか階段とかを登らないでいいので、実はすこしほっとしている。
名刹に来れば、いかな能天気なわたしとて身も心も引き締まる。
思ったよりも短い参道を歩き、通用門を入って参詣の券を買う。五百円である。
靴を脱いでビニール袋に入れ、吉祥閣(きちしょうかく)の一室で雲水から一通りの説明を受けてから参詣が始まる。注意事項としては、撮影時のフラッシュは禁止、修行僧の撮影も禁止、それを守ればどこを撮影しても構わないとのことである。
まずは、傘松閣(さんしょうかく)の二階、百五重六畳敷きの大広間で絵天井を観賞する。
フラッシュを使えないのでいまひとつの画像になってしまう。
花や鳥を中心に描かれた二百三十枚の天井絵は、昭和五年当時の著名な画家百四十四名によるものである。
いよいよ本格的な参拝順路になるので、念のために東司(とうす=トイレ)で用を足してみたが、さすがに清潔そのもののトイレであった。
永平寺の修行の中心は座禅であるが、回廊掃除などの作務(さむ)も「動の座禅」といわれる。
たしかに回廊の廊下は、毎日の拭き掃除で塵ひとつなくピカピカに磨きあげられていた。
寺院の建物を一般に「伽藍(がらん)」といい、永平寺の修行に欠かせない七つのお堂を「七堂伽藍」と呼ばれる。
山門、仏殿、僧堂、庫院、東司、浴室、法堂(ほっとう)の七つである。特に僧堂、東司、浴室は<三黙道場>といって一切の私語は禁止されている。
その七堂伽藍の中心に位置する総檜造りの「仏殿」。
中央の須弥壇(しゅみだん)には、本尊の釈迦牟尼(しゃかむに)仏が祀られており、昼と晩の勤行などがここで行われる。
法堂(ほっとう)。
四百二十畳敷きの七堂伽藍で最も高い位置する最大の建物で、聖観世音菩薩が祀られている。
本来は説法の道場であるが、朝の勤行や各種の法要などが行われているそうだ。
― 続く ―
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