朝から小雨がぱらついたり不安定な天候が続いています。
今日は城北ハッキョをささえる会の代表だった大村淳さんの一周忌です。
最後の最後までウリハッキョの子どもたちを案じて下さった淳さんの姿が目に浮かびます。
追悼詩
忘れない あなたの眼差しを
ニョニョ
知りませんでした 淳さん
あなたがどこで生まれどこで育ったのか
知りませんでした 本当に
あなたの好きな食べ物、趣味が何なのかさえ
でも 淳さん これだけは知っています
あなたがどんなに温かい眼差しで
ウリハッキョの子どもたちを見ていたのかを
あなたがどんなにつらい想いで
自分の国の負の歴史を見つめていたのかを
なぜ朝鮮学校を支援するのですか?
聞かれるたび あなたはこう答えましたね
日本が良い国になることを願っているからと
知らないから差別をするのです
朝鮮学校に来てありのままを見て下さいと
いつも力強くアピールされていた 淳さん
この暗闇のような社会で
キラキラ輝くウリハッキョの子どもたちは
日本社会の宝物だと仰っていた 淳さん
ウリハッキョの子どもたちにも給食をと
メニューを考え買い出しまでされましたね
美味しそうに食べている子どもたちを
孫を見るように嬉しそうに見ていましたね
息を引き取るその時でさえ
自分の痛みより先に子どもたちを気遣い
何があっても給食を中止しないでと
最後の力を振り絞りお願いされた 淳さん
予定通り行われた11回目の給食の日
子どもたちは涙をこらえ言いました
美味しい給食をコマッスムニダ!
城北ハッキョのハラボジ 大村先生!と
コマッスムニダ 淳さん
貴方が給食に込められたのは泉のような愛
国を超え民族を超え隣人を愛する尊さを
身をもって教えて下さった 淳さん
あなたの温かい眼差しは
子どもたちの胸に 私たちみんなの胸に
いつまでも輝き続けることでしょう
子どもたちの笑顔を守りつづける事でしょう
「大村淳さんを偲ぶ会」にて
淳さんの分まで頑張ろうと駆けてきた1年でした。
今日のレポーターはハルモニ会の木村さんです。
写真撮影は松尾さんです、今日もよろしくお願いいたします。
長崎由美子さんの第一声が始まりました。
☆長崎さん
2011年4月からこの場に立ち始め、もう334回目を迎えました。
3月は卒業式のシーズンです。3日は朝高で、9日には中級学校で、そして17日には初級学校でおこなわれます。
私は毎年卒業式を迎えるたびに複雑な思いに駆られます。生徒さんたちは民族教育を支えてきた人びとへの感謝と愛に満ち、人間力を身につけていきます。それをすばらしいと感銘を受ける一方で、また悲しい思いをさせてしまったという悔しさがあります。自分の後輩には悲しい思いをさせまいと街頭行動をし、それでも今年も適用されずに卒業していきました。今年中学を卒業する子どもたちは、幼稚園の時に始まった差別が今もなお続いているままに卒業していくのです。
大阪府知事と大阪市長は、都構想についての意見が通らないからと「投げ出し選挙」に出ました。強いものは自分の好き勝手にやり、弱い立場の人びとはさらに差別される。これのどこが民主主義国なのでしょうか。
国連では今回5回目の勧告が日本に対して出されました。これまでの4回より踏み込んだ内容です。
これまで国連は「日本政府が朝鮮学校を「無償化」から排除したのは差別である」との勧告を出してきました。
これに対して日本政府は「基準に合わないから」という言い訳をしてきました。安倍政権になった時にまっさきにその基準を変更したにもかかわらず。
この日本政府の“言い訳”を国連は許さず、「朝鮮学校に適用できるように基準を変更すべき」という勧告を出したのです。
しかし、日本のマスコミはこうしたことをほとんど報じようとはしません。
国連の勧告の中では、日本は過去の歴史に基づき外国人学校の中ではとりわけ在日朝鮮人の学校に対する配慮が必要であると述べています。
国連は、福島についても「チェルノブイリよりも高い線量下に住まわせている」と勧告していますが、日本政府もマスコミも沈黙を守っています。
日本政府が国連を無視するのは世界からすれば奇妙なことです。
朝鮮学校のありのままの姿を見てください。その上で、補助金停止が正しいのかどうかを皆さんが一緒に考えてほしい。今困難がある中で朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の思いを知ってほしい。
先日、大学生が第4初級学校にフィールドワークとして訪問し、授業参観と先生方との話し合いをしました。うれしいことに去年来た大学生のうち今年は4人がスタッフを務めてくれました。
大学生たちは子どもたちの姿を見て、先生と話をして自分の偏見を改め、周りの人たちに伝えていこうという気持ちになったと述べていました。
その大学生の中から、日本の学校で学ぶのと朝鮮学校で学ぶのとどういう違いがあるかという質問が出ました。
これに対して校長先生が自分の体験を語りました。校長先生は小学生の時は日本の学校で学んでいました。普段は仲良くしていましたが、けんかになると、「朝鮮へ帰れ」などと罵声を浴びせられました。学校は相手の子どもをしかることなく、自分だけが放課後遅くまで立たされ、放置されたのでした。そんなことがあって、親が朝鮮学校への転校を考えました。しかし、見学に行ったとき、モデル校でもあったこれまで通っていた学校と比べるとあまりにも貧弱な設備に、最初はためらいを感じたのですが、休み時間に生徒たちが10円ずつ小遣いを出し合ってジュースを買い、それをお金を持っていなかった見知らぬ生徒にも分けてくれたのです。そこが自分の居場所だと感じて、朝鮮学校に通うことにした、と校長先生は語ったのでした。
マスコミの報道に接していると、朝鮮・韓国人であることにマイナスイメージしか抱かされません。ヘイトスピーチに対して、自分は朝鮮人に生まれないほうがよかったと思いか、それともヘイトスピーチの方が間違っていると思うかは自分のアイデンティティが大切にされる教育を受けてきたかどうかに関わってきます。
日本の学校も本来そうあるべきですが、今大阪では全中学生が「チャレンジテスト」を受けることになっており、それが現場の教員の中で大きな問題になっています。
これまでであれば、学力テストの成績のふるわない子どもでも、真面目に授業に出席し、課題もきちんとやっている場合にはそれが評価されてきました。しかし、大阪府は「チャレンジテスト」の結果で成績を決めるようにというのです。
これはテストを作る業者が利益を得ることになり、学校間格差を拡大し、統廃合を進めようとするものです。
前川喜平さんは公務員が仕えるのは権力者ではなく、市民であると、それが公僕というものであると述べました。大阪府庁で働いているみなさん、どうか身内のことと考えて、良心の声を上げてください。
イケメン三銃士健在です。
火曜バンド勢揃いです!
どなたかと思えば大林さんではありませんか、タクシーの修理の途中だそうです^_^
歌舞団の金さんです。
KCC会館の李さんも皆勤です^_^
陶山さんのアピールです。
☆陶山さん
あいかわらず私たちは毎週火曜日に訴え続けています。国連で何度も勧告されているように、どこの国で生まれようと子どもたちには幸せになる権利があります。
先日、「南北コリアと日本のともだち展」という絵画展に行ってきました。今回のテーマは「わたしのまち、あなたのまち」で、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、そして日本に住む子どもたちが思い思いに自分のまちを描き、「わたしたちのまちにおいでよ」というメッセージを発していました。
この絵画展で大学生たちがシンポジウムを開催していました。そこである一人が自分の体験から、疑問を発していました。「自分はKpopから韓国のことに興味を持つようになりましたが、始め父はKpopに興味を持つことに反対しました。しかし、父と一緒に韓国に行ったら、父もKpopのファンになりました。韓国のことはこうして話せるけれど、朝鮮民主主義人民共和国のことはなぜ話題にできないのでしょうか。」
私は発言したかったけれど、時間がなかったので、アンケートに、朝鮮学校の排除という一番身近な問題を話題にできないことは大きな問題であると指摘し、ぜひこのことを話題にしてくださいと書いておきました。
これとは別に大阪朝高の美術部展「者(もの)がたり」を見に行ってきました。部員のひとりひとりの作品に、このテーマの通り、“ものがたり”がありました。
この子どもたちが笑顔で卒業できるよう、行政の皆さん、よろしく!
申さん、きてくださいましたね。
大村さんがマイクをもたれました。
☆大村さん
昨日は3月11日。今から8年前に大地震・津波・原発事故が起こった日でした。
私はあの頃何をしていたのかを思い出します。
2010年に「無償化」が始まったにもかかわらず、朝鮮学校は排除され、これを世論に訴えるべく集会を計画する会議に3月11日は参加していました。翌日は京都で、20日には大阪で集会を開く予定でしたが、やむなく中止しました。そして3月22日には大阪の10校の補助金が打ち切られたのです。
あれから8年。政府は「復興した」と言っていますが嘘です。非難している人は変えることもできず、汚染物質は積まれてゆきます。
そして補助金の不支給もこの8年変わらず続いています。
今日は1年前に夫が亡くなった日です。夫は常々「朝鮮学校の問題は日本人の問題だ。日本社会のあり方を映す鏡だ」と言っていました。そんな夫の思いを受け継ぎ、歪んでしまった日本社会を変えたいと思って、ここに立ち続けています。
森本さんもマイクをもたれました。
☆森本さん
今朝大和高田から出てきた時は寒かったのですが、大阪に着くと意外に暖かですね。
今日は334回目。ぼくが始めて来たのは63回目でした。(ぼくが数えたのではなく、記録してくれた方がいるのです。)そのころからほぼ毎回ずっと通っています。
もしもここに来なかったら、どんな日本人になっていたのだろうかとつくづく思います。多くの日本人が朝鮮に対する大きな過ちから逃れられていません。
3月1日は三一独立運動の百年を記念する日です。それを自分の問題として考えようとはしていません。いったいどこからの独立なのでしょうか。日本です。それは日本の歴史でもあります。
では、差別・歪曲・偏見まみれの日本人とぼくは違うのか。そうではありません。ぼくはそういう日本人の一人です。なぜなら、朝鮮学校「無償化」除外を許している日本人の一人だからです。
ぼくはこの行動で知り合った人に誘われて、三一独立運動百年のつどいに参加しました。それは、大きな感動でした。その時の気持ちを詩に表しましたので、それを朗読します。
「三・一独立運動百年と日本・日本人」
森本忠紀
三・一独立運動百年と言われて
真っ先にとらえられたのは
不安や恐れにも似た感情だった
百年の間にどのようなことがあったのか
思い巡らせようとして
薄闇の中
なかなか何も親しく浮かびあがってこない
百年の歴史を知らないのだ
お隣の韓国では百年の歴史を
誰もが銘々の胸に刻み彫り付けることだろう
こちら日本では周りを見渡しても何もない
とうとう真っ暗闇になってしまった
百年の暗闇の
暗黒の死の宇宙にひとり投げ出されたような恐怖
歴史なんて知らなくてよい
歴史の専門家に任せておけばよい
おおかたの日本人はそう言うだろうか
だが、それは
落胆、恐れ、隷属の表現だということを決して知らない
三月一日は韓国は休日だ
光化門に集まった大群衆の熱気と興奮
舞台では歌が歌われ、楽器がかき鳴らされ
舞が舞われ
もちろんそこに集まった人々だけではない
韓国では誰もが知っている
独立運動百年の歴史は自分のものだということを
皆 百年の歴史を自分のものとして生きてきた
そこから新たな百年の歴史を生きるのだろう
日本には救いはないのだろうか
そんなことはない
闇の中から立ち現れた
眩しい光を放つ一つの星が
そんなことはないと告げている
独立運動の光る星々の中で
韓国のジャンヌダルクと呼ばれる
ひと際明るく輝く星
柳寛順
「永遠に祖国を守る天上の星」と称えられる
星のまたたきに照らされるとき
歴史を正しく学ぶ
真実に触れる歓びを知る
同じく明るく輝く星が次々現れ
安重根、尹東柱・・・
アジアの歴史をくっきりと輝かせる
日本人は近現代史に暗い 知らない
学ぼうとしないことを棚にあげ
教わらなかったとよく口にする
夜空を仰げばアジア近現代史を輝かす
星々が一つまた一つと立ち現れる
近くは金福童さん
日本でもなじみ深い星が
あたたかい光を放っている
ますます数増し
光る星がわれわれの
内面を照らすだろう
日本人われわれの内面に巣食う
落胆、恐れ、隷属を照らす
それは何と眩しい光だろう
秦さんまにあいましたね。
オモニたちのアピールと歌とシュプーレヒコールが始まりました。
☆エミさん
八尾市では、入学願書の中で本名よりも通名を使うようにとされています。これが大阪府の実態です。ヘイトスピーチ条例なるものがありますが、こんなことでヘイトスピーチ問題が解決するのでしょうか。「この子に学ぶ権利はあるのか」というオモニの問いに「ない」と答えた松井知事のもとで。
☆金曜行動の歌『声よ集まれ、歌となれ』
シュプーレヒコール
長崎さんのまとめです。
☆長崎さん
「希望の種」という奨学金が韓国から毎年出されています。
米朝首脳会談が暗礁に乗り上げたことだけが取りざたされていますが、南北の和解は進んでいます。38度線では武装解除されました。
朝鮮学校は南北の架け橋となることでしょう。両国を祖国と教えてきたのですから。
また訪朝し、その報告を行います。
最後の歌はもちろん作曲された金和美さんが音頭を取りました。「勝利のその日まで」❣️❣️
今日は花粉症がひどくてマスク外せませんでした。涙
いつものように駐輪場に集まりました。
今日、府庁内でロピー活動をされたオモニ会長と金愛美さんから報告がありました。
長崎さんからハルモニ会、オモニ会の皆さんの尽力で30日のチケット完売されたことへの感謝のご挨拶がありました。
色々なイベントの紹介が続きました。
来週も頑張ります❣️
今日は城北ハッキョをささえる会の代表だった大村淳さんの一周忌です。
最後の最後までウリハッキョの子どもたちを案じて下さった淳さんの姿が目に浮かびます。
追悼詩
忘れない あなたの眼差しを
ニョニョ
知りませんでした 淳さん
あなたがどこで生まれどこで育ったのか
知りませんでした 本当に
あなたの好きな食べ物、趣味が何なのかさえ
でも 淳さん これだけは知っています
あなたがどんなに温かい眼差しで
ウリハッキョの子どもたちを見ていたのかを
あなたがどんなにつらい想いで
自分の国の負の歴史を見つめていたのかを
なぜ朝鮮学校を支援するのですか?
聞かれるたび あなたはこう答えましたね
日本が良い国になることを願っているからと
知らないから差別をするのです
朝鮮学校に来てありのままを見て下さいと
いつも力強くアピールされていた 淳さん
この暗闇のような社会で
キラキラ輝くウリハッキョの子どもたちは
日本社会の宝物だと仰っていた 淳さん
ウリハッキョの子どもたちにも給食をと
メニューを考え買い出しまでされましたね
美味しそうに食べている子どもたちを
孫を見るように嬉しそうに見ていましたね
息を引き取るその時でさえ
自分の痛みより先に子どもたちを気遣い
何があっても給食を中止しないでと
最後の力を振り絞りお願いされた 淳さん
予定通り行われた11回目の給食の日
子どもたちは涙をこらえ言いました
美味しい給食をコマッスムニダ!
城北ハッキョのハラボジ 大村先生!と
コマッスムニダ 淳さん
貴方が給食に込められたのは泉のような愛
国を超え民族を超え隣人を愛する尊さを
身をもって教えて下さった 淳さん
あなたの温かい眼差しは
子どもたちの胸に 私たちみんなの胸に
いつまでも輝き続けることでしょう
子どもたちの笑顔を守りつづける事でしょう
「大村淳さんを偲ぶ会」にて
淳さんの分まで頑張ろうと駆けてきた1年でした。
今日のレポーターはハルモニ会の木村さんです。
写真撮影は松尾さんです、今日もよろしくお願いいたします。
長崎由美子さんの第一声が始まりました。
☆長崎さん
2011年4月からこの場に立ち始め、もう334回目を迎えました。
3月は卒業式のシーズンです。3日は朝高で、9日には中級学校で、そして17日には初級学校でおこなわれます。
私は毎年卒業式を迎えるたびに複雑な思いに駆られます。生徒さんたちは民族教育を支えてきた人びとへの感謝と愛に満ち、人間力を身につけていきます。それをすばらしいと感銘を受ける一方で、また悲しい思いをさせてしまったという悔しさがあります。自分の後輩には悲しい思いをさせまいと街頭行動をし、それでも今年も適用されずに卒業していきました。今年中学を卒業する子どもたちは、幼稚園の時に始まった差別が今もなお続いているままに卒業していくのです。
大阪府知事と大阪市長は、都構想についての意見が通らないからと「投げ出し選挙」に出ました。強いものは自分の好き勝手にやり、弱い立場の人びとはさらに差別される。これのどこが民主主義国なのでしょうか。
国連では今回5回目の勧告が日本に対して出されました。これまでの4回より踏み込んだ内容です。
これまで国連は「日本政府が朝鮮学校を「無償化」から排除したのは差別である」との勧告を出してきました。
これに対して日本政府は「基準に合わないから」という言い訳をしてきました。安倍政権になった時にまっさきにその基準を変更したにもかかわらず。
この日本政府の“言い訳”を国連は許さず、「朝鮮学校に適用できるように基準を変更すべき」という勧告を出したのです。
しかし、日本のマスコミはこうしたことをほとんど報じようとはしません。
国連の勧告の中では、日本は過去の歴史に基づき外国人学校の中ではとりわけ在日朝鮮人の学校に対する配慮が必要であると述べています。
国連は、福島についても「チェルノブイリよりも高い線量下に住まわせている」と勧告していますが、日本政府もマスコミも沈黙を守っています。
日本政府が国連を無視するのは世界からすれば奇妙なことです。
朝鮮学校のありのままの姿を見てください。その上で、補助金停止が正しいのかどうかを皆さんが一緒に考えてほしい。今困難がある中で朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の思いを知ってほしい。
先日、大学生が第4初級学校にフィールドワークとして訪問し、授業参観と先生方との話し合いをしました。うれしいことに去年来た大学生のうち今年は4人がスタッフを務めてくれました。
大学生たちは子どもたちの姿を見て、先生と話をして自分の偏見を改め、周りの人たちに伝えていこうという気持ちになったと述べていました。
その大学生の中から、日本の学校で学ぶのと朝鮮学校で学ぶのとどういう違いがあるかという質問が出ました。
これに対して校長先生が自分の体験を語りました。校長先生は小学生の時は日本の学校で学んでいました。普段は仲良くしていましたが、けんかになると、「朝鮮へ帰れ」などと罵声を浴びせられました。学校は相手の子どもをしかることなく、自分だけが放課後遅くまで立たされ、放置されたのでした。そんなことがあって、親が朝鮮学校への転校を考えました。しかし、見学に行ったとき、モデル校でもあったこれまで通っていた学校と比べるとあまりにも貧弱な設備に、最初はためらいを感じたのですが、休み時間に生徒たちが10円ずつ小遣いを出し合ってジュースを買い、それをお金を持っていなかった見知らぬ生徒にも分けてくれたのです。そこが自分の居場所だと感じて、朝鮮学校に通うことにした、と校長先生は語ったのでした。
マスコミの報道に接していると、朝鮮・韓国人であることにマイナスイメージしか抱かされません。ヘイトスピーチに対して、自分は朝鮮人に生まれないほうがよかったと思いか、それともヘイトスピーチの方が間違っていると思うかは自分のアイデンティティが大切にされる教育を受けてきたかどうかに関わってきます。
日本の学校も本来そうあるべきですが、今大阪では全中学生が「チャレンジテスト」を受けることになっており、それが現場の教員の中で大きな問題になっています。
これまでであれば、学力テストの成績のふるわない子どもでも、真面目に授業に出席し、課題もきちんとやっている場合にはそれが評価されてきました。しかし、大阪府は「チャレンジテスト」の結果で成績を決めるようにというのです。
これはテストを作る業者が利益を得ることになり、学校間格差を拡大し、統廃合を進めようとするものです。
前川喜平さんは公務員が仕えるのは権力者ではなく、市民であると、それが公僕というものであると述べました。大阪府庁で働いているみなさん、どうか身内のことと考えて、良心の声を上げてください。
イケメン三銃士健在です。
火曜バンド勢揃いです!
どなたかと思えば大林さんではありませんか、タクシーの修理の途中だそうです^_^
歌舞団の金さんです。
KCC会館の李さんも皆勤です^_^
陶山さんのアピールです。
☆陶山さん
あいかわらず私たちは毎週火曜日に訴え続けています。国連で何度も勧告されているように、どこの国で生まれようと子どもたちには幸せになる権利があります。
先日、「南北コリアと日本のともだち展」という絵画展に行ってきました。今回のテーマは「わたしのまち、あなたのまち」で、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、そして日本に住む子どもたちが思い思いに自分のまちを描き、「わたしたちのまちにおいでよ」というメッセージを発していました。
この絵画展で大学生たちがシンポジウムを開催していました。そこである一人が自分の体験から、疑問を発していました。「自分はKpopから韓国のことに興味を持つようになりましたが、始め父はKpopに興味を持つことに反対しました。しかし、父と一緒に韓国に行ったら、父もKpopのファンになりました。韓国のことはこうして話せるけれど、朝鮮民主主義人民共和国のことはなぜ話題にできないのでしょうか。」
私は発言したかったけれど、時間がなかったので、アンケートに、朝鮮学校の排除という一番身近な問題を話題にできないことは大きな問題であると指摘し、ぜひこのことを話題にしてくださいと書いておきました。
これとは別に大阪朝高の美術部展「者(もの)がたり」を見に行ってきました。部員のひとりひとりの作品に、このテーマの通り、“ものがたり”がありました。
この子どもたちが笑顔で卒業できるよう、行政の皆さん、よろしく!
申さん、きてくださいましたね。
大村さんがマイクをもたれました。
☆大村さん
昨日は3月11日。今から8年前に大地震・津波・原発事故が起こった日でした。
私はあの頃何をしていたのかを思い出します。
2010年に「無償化」が始まったにもかかわらず、朝鮮学校は排除され、これを世論に訴えるべく集会を計画する会議に3月11日は参加していました。翌日は京都で、20日には大阪で集会を開く予定でしたが、やむなく中止しました。そして3月22日には大阪の10校の補助金が打ち切られたのです。
あれから8年。政府は「復興した」と言っていますが嘘です。非難している人は変えることもできず、汚染物質は積まれてゆきます。
そして補助金の不支給もこの8年変わらず続いています。
今日は1年前に夫が亡くなった日です。夫は常々「朝鮮学校の問題は日本人の問題だ。日本社会のあり方を映す鏡だ」と言っていました。そんな夫の思いを受け継ぎ、歪んでしまった日本社会を変えたいと思って、ここに立ち続けています。
森本さんもマイクをもたれました。
☆森本さん
今朝大和高田から出てきた時は寒かったのですが、大阪に着くと意外に暖かですね。
今日は334回目。ぼくが始めて来たのは63回目でした。(ぼくが数えたのではなく、記録してくれた方がいるのです。)そのころからほぼ毎回ずっと通っています。
もしもここに来なかったら、どんな日本人になっていたのだろうかとつくづく思います。多くの日本人が朝鮮に対する大きな過ちから逃れられていません。
3月1日は三一独立運動の百年を記念する日です。それを自分の問題として考えようとはしていません。いったいどこからの独立なのでしょうか。日本です。それは日本の歴史でもあります。
では、差別・歪曲・偏見まみれの日本人とぼくは違うのか。そうではありません。ぼくはそういう日本人の一人です。なぜなら、朝鮮学校「無償化」除外を許している日本人の一人だからです。
ぼくはこの行動で知り合った人に誘われて、三一独立運動百年のつどいに参加しました。それは、大きな感動でした。その時の気持ちを詩に表しましたので、それを朗読します。
「三・一独立運動百年と日本・日本人」
森本忠紀
三・一独立運動百年と言われて
真っ先にとらえられたのは
不安や恐れにも似た感情だった
百年の間にどのようなことがあったのか
思い巡らせようとして
薄闇の中
なかなか何も親しく浮かびあがってこない
百年の歴史を知らないのだ
お隣の韓国では百年の歴史を
誰もが銘々の胸に刻み彫り付けることだろう
こちら日本では周りを見渡しても何もない
とうとう真っ暗闇になってしまった
百年の暗闇の
暗黒の死の宇宙にひとり投げ出されたような恐怖
歴史なんて知らなくてよい
歴史の専門家に任せておけばよい
おおかたの日本人はそう言うだろうか
だが、それは
落胆、恐れ、隷属の表現だということを決して知らない
三月一日は韓国は休日だ
光化門に集まった大群衆の熱気と興奮
舞台では歌が歌われ、楽器がかき鳴らされ
舞が舞われ
もちろんそこに集まった人々だけではない
韓国では誰もが知っている
独立運動百年の歴史は自分のものだということを
皆 百年の歴史を自分のものとして生きてきた
そこから新たな百年の歴史を生きるのだろう
日本には救いはないのだろうか
そんなことはない
闇の中から立ち現れた
眩しい光を放つ一つの星が
そんなことはないと告げている
独立運動の光る星々の中で
韓国のジャンヌダルクと呼ばれる
ひと際明るく輝く星
柳寛順
「永遠に祖国を守る天上の星」と称えられる
星のまたたきに照らされるとき
歴史を正しく学ぶ
真実に触れる歓びを知る
同じく明るく輝く星が次々現れ
安重根、尹東柱・・・
アジアの歴史をくっきりと輝かせる
日本人は近現代史に暗い 知らない
学ぼうとしないことを棚にあげ
教わらなかったとよく口にする
夜空を仰げばアジア近現代史を輝かす
星々が一つまた一つと立ち現れる
近くは金福童さん
日本でもなじみ深い星が
あたたかい光を放っている
ますます数増し
光る星がわれわれの
内面を照らすだろう
日本人われわれの内面に巣食う
落胆、恐れ、隷属を照らす
それは何と眩しい光だろう
秦さんまにあいましたね。
オモニたちのアピールと歌とシュプーレヒコールが始まりました。
☆エミさん
八尾市では、入学願書の中で本名よりも通名を使うようにとされています。これが大阪府の実態です。ヘイトスピーチ条例なるものがありますが、こんなことでヘイトスピーチ問題が解決するのでしょうか。「この子に学ぶ権利はあるのか」というオモニの問いに「ない」と答えた松井知事のもとで。
☆金曜行動の歌『声よ集まれ、歌となれ』
シュプーレヒコール
長崎さんのまとめです。
☆長崎さん
「希望の種」という奨学金が韓国から毎年出されています。
米朝首脳会談が暗礁に乗り上げたことだけが取りざたされていますが、南北の和解は進んでいます。38度線では武装解除されました。
朝鮮学校は南北の架け橋となることでしょう。両国を祖国と教えてきたのですから。
また訪朝し、その報告を行います。
最後の歌はもちろん作曲された金和美さんが音頭を取りました。「勝利のその日まで」❣️❣️
今日は花粉症がひどくてマスク外せませんでした。涙
いつものように駐輪場に集まりました。
今日、府庁内でロピー活動をされたオモニ会長と金愛美さんから報告がありました。
長崎さんからハルモニ会、オモニ会の皆さんの尽力で30日のチケット完売されたことへの感謝のご挨拶がありました。
色々なイベントの紹介が続きました。
来週も頑張ります❣️
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます