ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

回想82 「大阪朝高祝典2013」

2013-12-30 17:10:31 | イベント
   11月30日、「大阪朝高祝典2013」が盛大に行われました。

 私は午前は「トトリの森」に行ったので午後から行きました。途中からなのでご了承くださいね。雰囲気だけでも感じてくださいね。





 1部の途中です。仮設舞台ではのど自慢大会が行われていました。学生たちがウリノレを今風に楽しく歌っていました。ブレイクダンスもなかなかのものでしたよ。何しろ子供たちが楽しんでいるのが良く伝わってきました。












 おなかがすいてきたので売店に行って見るとオモニ会の方がおでんを温めておられました。学生たちは無料です。私は食券買いました。





 学生たちも売店を楽しんでいます。





 ほとんどが売れてしまったのですが息子のクラスの焼きそばだけ残っていたので、ずっと並んで食券残っているもの全部出して大盛りをいただきました。韓哲秀さんの娘さんのチウニにが頑張って焼きそば焼いていました。可愛いトンムです。

 続きを見ました。





















  2部は文化会館の中で行われました。







  2部のはじめは「ウリマルの時間」でした。

  ウリマルで大喜利をするのですが爆笑とまではいかなかったようです。でも頑張りましたよ。















  演劇「壁の向こう」がいよいよ始まります。




ーパンフレットの中からー

4・24は続いている

「金太一少年は今も16歳のままだ・・・」

16歳の少年は学校にも通えないほど貧しかった。

親に心配を掛けまいと、いつものように靴磨きの仕事に出ると云って集会に足を運んだそうだ。


    舞台は現在から始まる。















   ハラボジ登場、この老人こそ太一少年の親友だったチャンギョンなのだ。彼の回想で舞台は過去へと!





   金太一少年登場、学校にも行けず靴磨きで家計を支えている。

   級友たちが誘いに来るが彼は学校にはまだ行けない。自分の名前と妹の名前をハングルで書いてもらっている。

















 オモニの病は続く。子供たちは牛乳でも飲めばと勧めるがオモニは云う。「なんて勿体ないことを、牛乳が机になり椅子にになり学校の柱になる」と。涙が止まらない。無償化除外反対を訴えて詩友ー秦勝元さんが書いた「思い存分召し上がれ」の詩が頭に浮かび再び涙!





  靴磨きに出かける太一少年!何か決意しているようだ。

























  先生が情勢が緊迫しれいることを伝える。学生たちはやっと通うことができたウリハッキョをどんな困難があっても守るという。











  オモニは心配するが、太一は靴磨きに行ってくると云って家を出て級友チャンギョンと会う。

  チャンギョンから学校閉鎖令のことを聞く。









  学校閉鎖令を断固拒否しようと闘う級友たち!



  太一とチャンギョンも駆けつける。

















  流れ弾に当たり倒れた太一少年!




  新学期に太一のために教科書を準備した先生と級友たち、そこへ太一少年のご両親が登場する。太一少年がどれほど学校に行きたがっていたか、彼の残したノートを見るご両親と級友たち。彼にも夢があったことを皆は初めて知る。級友たちはそれぞれ太一の残したノートに自分の夢、希望を記す。チャンギョンとミンジャも太一の意志を継ぎ教員になる決意を固める。



























































―パンフレットからー

私たちの心の中には民族教育のために命を懸けて戦った少年のままの彼の姿が今でも生きている

そして

象徴になり、勇気になり、炎となって私たちを戦いに導いてくれている。























4・24は今も終わっていない。いや、より苛烈に燃え上っている。すべての権利を勝ち取るまで4・24は続いてゆく。

新しい世代が代を継ぐということは歴史を忘れないということ、伝統を守るということ、そして新しいチャレンジをしていくこと。

この戦いが終わるとき、金太一少年は、やっと金太一ハラボジになれるのではないか、

そして永遠に私たちの心の中で安らかな余生を過ごされるのではないか、その日まで・・・





  感動が涙になり嗚咽を抑えることができなかった。若い先生方がなんと深い内容で学生たちを引っ張ってくださったことか、


  一度の公演ではもったいないと、又、区民ホール等で再演して大勢の方々に見てもらいたいと思ったのは決して私だけではないであろう。




  愛しい私の母校―大阪朝鮮高級学校!

  卒業して45年の歳月が流れても変わることなく新世代の心に民族の魂を育んでくれる心のふるさと!

  人生の出発点であった母校が永遠に燦然と輝いてくれることを願わずにはいられなかった。そのためなら・・・

  公演終了後、運動場で母校の写真を撮って校門を出たところで、教え子に偶然あった。





  二人とも私が教員になったばかりの時代の教え子だ。

  崔さんは「コッソンイ作文コンクール」で初めて1位の無い2位に当選し、私が作った放送口演部の第1号で活躍したし、

  趙さんは芸術アンサンブルの主人公役で見事、優秀作品発表に出演した教え子だった。

  33歳で教壇に立ちペエペエだった私に教えることの喜びを与えてくれた二人にこんな場所で会えるなんて。

  偶然のこととはいえ、必然だったように思え感動が波のように押し寄せてきた。




  家に到着!

  我が家の紅葉が真っ赤に燃えて私を暖かく迎えてくれました。
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