ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

追億2015 54 生まれ故郷青森訪問記⑥最終章

2015-12-30 00:13:47 | 旅行
三笠山からおりてきて碇ケ関の私が産まれた自炊旅館の跡地に向かいました。



白沢の水場です。江戸時代からそのままあるそうです。母がここでこの水を使って自炊し洗濯もし、私をお湯に浸からせてくれたところです。



前は夏だったけど今は冬に近い秋です。それでも恋しくて又口に含んでみました。



恩人の花岡チエさんが部屋から出てきてくださいました。チエさんが本当の姉のように思えました。





ここが自炊旅館の跡地です。4年前に来たときも売りに出されていたけど今も売地と書かれていました。なんか切ない。




今は側に他の家が建っています。側は小高い山です。

白沢の水場だけは100年変わらず流れているそうです。いつまでも残って欲しいとおもいました。



名残り惜しいけど次の予定があるのでお別れし、車で移動しました。







車の中からものすごい物を観ました。この光を「薄明光線」と呼び「天使のはしご」とも言うそうです動いている車の中から撮ったので鮮明ではありませんがもうびっくりするほど華麗でした。


驚きました。何か良いことが起こりそうなか予感がしました。





青森港に到着しました。ここで青森県女性同盟の林委員長に会うことになっていたのです。

「60万回のトライ」の青森上映会で朴さゆ監督と黒滝さんらと一緒に撮った写真は見ていたし、何回かお電話で会話はしましたが直に会うのは初めてです。



美味しそうな青森のリンゴクッキーのようなお土産までいただきました。

私はりんご園でもいだばかりのりんごをさしあげました。「寿」と記されたリンゴも二つ頂いたので一つは委員長に記念にと差し上げました。





私がもいだのをお土産に渡して夫がもいだのは家に持って帰りました。



一時間以上もいろんなお話をいたしました。前もって黒滝さんがわたしの前回の碇ケ関訪問詩などを渡してくださっていたので、わたしのことは全てご存知でした。青森の同胞たちの事や学校の事、娘さんのお話を聴いてびっくりしました。東北の学校を訪問したときお会いした先生だったのです。新報にエッセーも時々出されている権先生でした。来年の春にはお嫁に行かれるそうです。おめでとうございます。

「火曜行動」の日、朴サユさんに伝えてあげたら、11月14日の東北のウリハッキョの大きな行事に参加するので、その時に逢うと嬉しそうに仰っていました。



委員長を青森駅までお送りして、つぎにむかったのは八甲田丸の見学でした。








八甲田丸です。



中に入りました。









昭和20年代の連絡船です。どの船かは知らないけどこの港で母は生後6ヶ月の私をおぶって兄、姉の手を繋ぎ連絡船に乗って北海道に渡ったのです。

船内見学を企画してくださつた黒滝さんたちの思いやりがあまりにも細やかすぎて、あたたかすぎてウルっときてしまいました。

















名残惜しけど下船しました。





青森空港まで花岡さんご夫婦と黒滝さんが送ってくださいました。





最後の写真を撮らせていただきました。



いつまでも手を振り続けてくださいました。



遂に離陸しました。飛行機の窓からいつまでも生まれ故郷をみていました。

飛行機の中でずっと考えていました。花岡さん、黒滝さんはじめ碇ヶ関の方々はなぜこんなに良くしてくださるのだろうかと…

ふるさとっていったいなんだろうかと…

今言えることはただ一つ、故郷は会いたい人、恋しい人のいるところ、待っていてくれる人がいるところ・・・

眼をつぶれば思い浮かぶ山であり谷であり、花であり木であり、水沢でありリンゴなのです。

バタバタしていてまだ記念詩もかけていません。ごめんなさい。必ず書いて送りますからね。故郷のみなさん!

東北は青森は碇ヶ関は人情溢れる素晴らしい我が故郷です。碇ヶ関に生まれて幸せでした…
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追憶2015 53 生まれ故郷青森訪問記⑤ 碇ヶ関にて

2015-12-30 00:07:36 | 旅行
生まれ故郷訪問最終日は生まれ故郷碇ケ関で過ごしました。







三日間お世話になった「あいのり」のおかみさんにご挨拶しました。

お料理も温泉も最高でした。

このおかみさんは偶然にもお生まれが大阪の旭区だそうで、自転車に乗れば家から15分で行けるところなのでびっくりしました。

その分親しみももっと感じ、いつまでも泊まっていたいお宿でした。

おかみさんはソウルオリンピックのときから韓国には数え切れないほど行ってらして、むこうの料理家の崔先生とはとても親しくお付き合いされています。いたるところにこんなポスターもはられていました。11月15日にこちらのお宿で崔先生をお招きしてキムチ作りを企画されていました。素敵ですね。





花岡さん、黒滝さんが朝早くからお迎えに来てくださって最終日もスケジュール満タンでした。











ふるさとのダムです。





4年前にみた200年ものの大杉が台風で倒れ伐採されていました。



車で移動しながらふるさとの秋を堪能し、なつかしの碇ケ関駅に行きました。66年前母が姉と兄の手を引き降り立った駅です。工事中でした。















母のお腹の中で立った階段の前にまた立って見ました。感無量です。



蒸気機関車では無く今はこんな洒落た電車がはしっています。



今度は近くのりんご園でりんごをもぎ取らせてくださるようです。生まれて初めての経験です。









りんご園のご主人と写真を撮らせていただきました。ありがとうございます。素敵な体験をさせていただきました。



こんな素敵なお土産までいただきましたよ。



その後三笠山に登りました。4年ぶりです。7月だったからアジサイが満開だったけど、もうさむいからアジサイはないだろうな?



びっくりポンです。まだアジサイが残っていました!



花岡さんが摘んで後で送ってくださいました。



















三笠山の上から碇ケ関支所や村が全部見えます。今回の旅行で一番美しいと感じたのは三笠山でした。全国の方々が三笠山に上って下さればどんなに良いだろうかと思いました。今まで紅葉を観にあちこちの地方に出かけましたが、三笠山より綺麗で自然な紅葉や景色は見たことがありません。やはり空気のせいだと思います。空気が澄んでいて人も景色も美しくしてくれていると感じました。





記念にとナナカマドも積んで後で送ってくださいました。黒滝さんが・・・





日曜日なのでお休みでしたが、4年前お世話になった支所をまた訪ねました。




お隣にあったあづましの宿は廃業していました。温泉もお料理も美味しかったのに残念です。碇ケ関の人口が4年の間に200人も減っていました。




それからしばらくして産まれた自炊旅館跡地に連れて行っていただきました。この続きは又あとで、、、
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追憶2015 52 生まれ故郷青森訪問記④弘前公園にて

2015-12-29 23:48:58 | 旅行




故郷訪問の二日目午後、あいにくの雨でしたが、弘前公園内を案内していただきました。


紅葉と菊まつりが素晴らしかったです。













弘前城の玄関です。







弘前城は今移動されています。石垣が崩れて行くので100年に一回お城を移動して10年近くかけて修復してから、また元の通りに戻すそうです。凄い!文化遺産を保存するため、10年の歳月を惜しまない青森の皆さんには敬服いたしました。

平成35年にはもとに戻るようです。その時まで健康を保って是非また来たいものです。













紅葉と菊祭りです。




















実演もしていました。












あ!白鳥がいました。寒いのに大丈夫かなぁ。





















写真は一杯撮ったけどすべて掲載するのは難しいので残念です。

黒滝さん、花岡さん、ご案内有難うございました。








碇ヶ関に残った二つのうちの一つのお宿「あいのり」まで送っていただきました。


「あいのり」の皆さまには本当によくしていただきました。有難うございます。









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追憶2015 51 生まれ故郷青森訪問記③ 五所川原編

2015-12-29 23:45:44 | 旅行



10月24日午前、五所川原に連れて行っていただきました。朝からあいにくの雨でしたが・・・

その前、朝一番にお部屋にある露天風呂に入ってみました。最高です。今までの疲れがすっと消えた感じがしました。



8時半に旅館を出発して斜陽館に到着したのは9時半ごろでした。

斜陽館は太宰治の生家を記念館にした場所です。お部屋が19もある豪邸です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に行ったのが津軽三味線会館でした。



津軽三味線の実演を見ました。

 

右側の方はお師匠さんですが80人ものお弟子さんがいるそうです。伝統を守るためにここでも頑張っておられる方がいました。

 


会館内に有った資料館は撮影禁止だったのですが、津軽三味線の歴史を知ることができました。

津軽三味線の元祖といわれている仁太坊―8歳の時疱瘡のため失明しましたが12,3歳のころに上方から流れてきた女三味線弾きに手ほどきを受けたと伝えられています。彼の弟子である嘉瀬の桃、最後の弟子である白川軍八郎は特に有名です。


盲目の身でありながら人生を諦めることなく津軽三味線を編みだし数多くの弟子を残した仁太坊の生き様から学ぶことが多々ありました。素晴らしいと思いました。

津軽三味線の歴史を学びながら私たち、在日朝鮮人は何を残し何を伝え続けなければならないかを改めて考えさせられました。考えれば考えるほど私たちにも残し伝えなければならない財産がいっぱいあることをこの地で改めて考えさせられました。今回の旅行で一番感動した場所でした。

私は在日朝鮮人の偉業の中で一番大きいものはウリハッキョー私たちの学校―民族学校を作り守ってきたことだと思います。

70年もの間1,2,3,4世が代を繋いで発展させ守って来ました。これは奇跡に近いと多くの海外及び日本の訪問者の方々が仰いました。異国の地に於いても民族の言葉、民族の伝統、民族の文化が花開く朝鮮学校は世界遺産に登録されるべきだと改めて思いました。

11時半ごろ立佞武多の館に移動しました。圧巻です。想像を絶しました。

7階建て(22m・16トン)ビルディングの高さの立佞武多が3体も陳列されていました。びっくりポンです。


 

 

 

 

 

 

 



 


 

 











お昼はこの館の最上階でいただき、午後からは雨の弘前公園に行きました。では又こんど・・・
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追憶2015 50 生まれ故郷訪問記②三笠食堂での歓迎会

2015-12-29 23:36:15 | 旅行



10月23日の夕方、碇ヶ関に着くと旅館に行く前に三笠食堂に案内していただきました。

ここは4年前、生まれ故郷で初めて入った食堂でした。自然薯ラーメンの美味しかったこと・・・

この食堂なんです。私が生まれた自炊旅館の屋号が「大黒屋」であることを教えていただいたのは・・・

食堂に入ると厨房の中では阿部さんご夫妻が調理をされていました。



周りを見渡すとなんとなんと4年前に感謝を込めて書かせていただいた記念詩の一部分である「三笠食堂にて」が、壁に展示されているではありませんか!胸が熱くなりました。







この詩を読んで下さった方には記念詩全部を収録した冊子を見せるのだそうです。あまりにもの有難さに言葉が出ませんでした。



ご主人ご夫妻が厨房から出てこられました。



花岡チエさんも来られました。








元 支所長さんの花岡さん(同じ名字だけど親戚ではないそうです。)ご夫婦、「60万回のトライ」を見るため青森市まで出かけて下さった皆様方です。


([60万回のトライ]の青森県上映の日、この方たちが皆、花束抱えて見に行ってくださったのです。この写真はパクサユさんが送って下さったものです。)



自然薯の子供の実と皮に塩味つけて唐揚げにしてプレデントをしてくださったご主人。



















青森の紅玉を焼いてくださったご主人!一つ一つに碇ヶ関の皆さんの想いが詰まっています。




歓迎会が終わり今回の宿である「あいのり」に到着しました。








何とお部屋の中にも露天風呂がありました。そんな予約はした覚えはないのですが・・・







きっと花岡さんが最高のおもてなしを企画して下さったようです。

続きはまたいずれ・・・


次の日は朝の8時20分からお迎えが来て、太宰治記念館や津軽三味線会館、立佞武多の館などに連れて行ってくださるそうです。










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