ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

や・ま・が・さ(博多祇園山笠)

2007-07-20 15:19:56 | 日々の中で

 暦が7月に変わる頃には、”今年も山笠の季節になったなあ”TVのコマーシャルみたいに山笠のあるけん、博多たい!】と、そわそわしてくるから我ながら不思議です。親やその先祖は生粋の博多生まれの博多育ちだが、私自身が生まれたのも育ったのも、福岡部の天神。つまり東中洲にかかる大橋の東側は【博多】西側は【福岡】なのですが、子供の頃から馴染んできたこの祭り、胸に熱く故郷への想いをかきたられて、何回かは博多の街へ足を運びます。

     

   

  山笠の発端は800年前に遡り、住職聖一国師弁円が木製の輿に乗り、水を撒きながら疫病退散を祈祷したことが発祥といわれ、以来色々な歴史を重ねながら、全国でも勇壮な”男の祭り”は博多っ子の守り神社【櫛田神社】の祭礼として続いてきました。

7月1日の【当番町お汐井取り】に始まり15日間、毎日色々な祭りの行事を重ねながら、博多の街は山笠一色、あちこちにはっぴ姿の男達を見かけます。この祭りの間は、結婚式にだって長法被で参列できるのですから。そして”祝いめでたあの~~若松様よ~♪”と【博多祝い唄】が歌われ、【博多一本締め】でシャシャーンと手締め。昔からのしきたりが。

 山笠の流れだの、15日の朝まだき4:59分太鼓の音とともに”オッショイ”の掛け声で、祭りのクライマックスの【追い山】のことだの、日程やあれこれの謂れ、エピソードは数え上げれば幾らでも。興味のある方は【博多祇園山笠】で検索すれば、沢山でてくることでしょう。1トンもの重い”やま”を担いで、タイムを競う締め込み姿の男達。(ふんどし・・なんて色気のないこと言わないで下さいね。締め込み・・と申します)子供達も小さい頃から、母親であるご寮さん(ごりょんさん)・・・博多の老舗の奥さんのこと・・・から、きっちりと締め込みをしてもらい、一人前の男に育っていくのです。(といっても、最近は担ぎ手の若い人が少なくなったり、苦労が多いようです。)

自らも【山のぼせ】と称する”風さんの山笠”紹介しておきましょう。クリックしてみて下さい。 http://masu3a.web.infoseek.co.jp/yamakasa/yamakasahome.html
祭りの15日の間に、一度だけ山笠が福岡部に入るのが【集団山見せ】櫛 田神社を出発して、福岡市役所前に集合します。この日は幸い雨がそのときはやみました。【追い山】は土砂降り、カメラは・・・。残念な台風の襲来でした。この日は台座に福岡の財政界の名士が乗ります。

けれど、男達は今年も颯爽と重い山を担ぎ、天からの【勢い水(きおい水)・・熱気が立ち上るので、バケツで水をかけるのです)】の中、疾風の如く駆け抜けていきました。博多の街に14本の【飾り山】作るは名ある博多人形師の人達。は今年はやはり【川中島・武田信玄】などが。はいつも子供向けの題材で、”どらえもん”や”ソフト・バンクス”などが。

博多山笠が終わると、博多の街に暑い夏がやってくる。

     子供達も走ります

飾り山の裏は子供向け。ドラえもんも登場。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嬬恋最後の夜  その4 | トップ | 宝の持ち腐れ?かも。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の中で」カテゴリの最新記事