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今年の8月7日、日本の特撮映画全盛時代を知る方が、また一人逝かれました。
初代ゴジラ着ぐるみ俳優、中島春雄さん。満88歳でした。
1929年山形県酒田市生まれ。実家は肉屋さんで、肉ばかり食っていたから身体が丈夫になったと語っていたとか。
飛行機乗りに憧れて海軍に入隊。16歳で終戦を迎え、進駐軍の運転手などをして食いつなぎ、17歳のときに東宝の俳優募集の広告を見て応募し、東宝の大部屋俳優となります。
高い身体能力と度胸を買われ、スタントマンとして活躍、当時はスタントマンという言葉はなく、「ケレン師」と呼んでいたそうです。
『太平洋の鷲』という映画で、全身火だるまになって海に飛び込むという、日本初のファイヤー・アクションを披露。これがこの作品の特撮を担当していた円谷英二監督の目に止まり、1954年(昭和29年)制作の映画『ゴジラ』の着ぐるみ俳優に抜擢されます。
以来、1972年(昭和47年)制作の『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』をもって引退するまで、ゴジラをはじめ多くの怪獣を演じ続けました。
どんなに大変な撮影でも、「海軍の訓練に比べたらなんてことない」と飄々とこなし、「監督に言われたことはなんでもやる。出来ないなんて言ったら他の人に換わるだけ」と、プロの厳しさを語る反面、とても気さくな方で、多くの人に慕われていました。
着ぐるみ俳優のパイオニアとして、この方にしか出来ない技というのがいくつかあるのですが、その中の一つが「土中から出現する怪獣」の演技です。
土中から出るからには、まずは土の中に埋められなければなりません。着ぐるみを着た状態で土の中に埋められ、準備ができるまで待ち続ける。普通の人はこれが出来ないんですね。
映画というのは撮影の準備だけで何時間もかかるのが当たり前です。その間ずっと、土中の暗闇の中で酸素ボンベ一本を銜えたまま何時間も待ち続ける。
普通なら耐えられない。でも中島さんは平気でした。この土中より出現するシーンの白眉は、1964年(昭和39年)公開の映画『モスラ対ゴジラ』です。
干拓地の地面が盛り上がり、尻尾がバーンと飛び出し、ゆっくりとゴジラの前身が起き上がる。ブルンブルンと体を振って土を払い落とすと周囲を睥睨し、一声咆哮!
カッコええ~!!
中島さん以後、この技が出来る人は一人も出てきませんでした。中島春雄一代限りのスゴ技、機会があったら是非ともご堪能あれ。
かつての特撮は、こうした中島さんのような「職人」あってこそのものでした。東宝にはこうした「人」が揃っていたんですね。だからこそ東宝特撮は、世界に冠たるものとなり得たのでしょう。
面白い時代でしたね。
日本の特撮映画黄金期を支えた名俳優、中島春雄。あなたがいなければ、ゴジラはなかった。
本当に、本当にありがとう。
中島春雄さんに、心からの感謝と哀悼を込めて
合掌。
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有難いことです。