
この宇宙の事象というものは常に変わりゆくもので、人もまた常に変化を求め、それが文化、文明を発達させてきた。
しかし一方でこの宇宙には、変わりたくないもの、変わるべきでないもの、変わってはいけないものもあって、そうした「変わるもの」と「変わらないもの」とがバランスよく回っていくことで、転変はスムーズに進んで行く。
そういう点からみると、近代文明というのは頗るバランスが悪い。
変わるものと変わらないものとの相克。この映画を観ていると、そんなことを感じます。
江戸時代末期、大地震によって生じた地割れに飲み込まれ、土中で干からびていた子河童を、ひょんなことからコウイチという小学生の少年が拾い上げます。
コウイチ少年の家で蘇生した子河童はクゥと名付けられ、コウイチの家族、上原家に暖かく迎えられます。人間は怖いものだと教えられていたクゥでしたが、コウイチとその家族の優しさ、暖かさに心を開いていきます。
クゥは好奇心旺盛ですが信義に篤くとても礼儀正しい。素直で正直者で、嘘を嫌い、河童であることに誇りを持っています。その様子はまるで、アイヌの人々や、ネイティブ・アメリカンをを彷彿とさせ、クゥはそうした、現代人が忘れかけている、大自然と共に生きていたころの「魂」の象徴なのかも知れません。
クゥとコウイチは、夏休みを利用して、河童を探して岩手県遠野を旅します。河童のいそうな川で探してみますが、どこにも河童はいない。二人が泊まった、古民家を利用した旅館には「座敷わらし」がいて、その座敷わらしが言うには、
「河童はこの百年見ていない」
河童はもう、どこにもいないのだろうか。

座敷わらし
やがてクゥの存在が世間に知れてしまいます。加熱する報道合戦。初めはクゥをテレビに出すことを拒否していた上原家でしたが、コウイチの父親の仕事上のしがらみから、クゥをワイドショーに出さざるを得なくなってしまう。クゥは恩義ある上原家のためと、出演を快諾します。
日本中の注目が集まる中、ついにテレビに出演するクゥ。そこでクゥを待ち受けていたものは……。
監督はクレヨンしんちゃんの映画シリーズ最高傑作『オトナ帝国の逆襲』『アッパレ戦国大合戦』を撮った原恵一。ただしあの「クレしん」映画のような大活劇を期待すると肩透かしを食います。映画はとても静かです。新しい刺激を求め続けてて右往左往する現代人の、なんだかとてもみっともない姿や、子供どうしのいじめなどを描きつつも、物語は割と淡々と進んで行きます。そうしたことと対比するかのように、遠野の自然の美しさや、コウイチがいじめられっ子の少女に寄せる、ほのかで甘酸っぱい恋心などが、ストーリーのなかに上手く組み入れられており、物語として非常に深いものを感じます。
少年と河童との、少し奇妙でとても純粋な友情。
変転し続ける社会のなかを生き抜いていかねばならないコウイチと、太古より変わらない大自然の中でしか生きられないクゥと。
彼らはお互いの友情を通して、少しだけ「大人」になっていく。
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