お気楽忍者のブログ 弐の巻

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Memories of vacations in 2017(1)

2022年04月28日 17時30分00秒 | 行楽・旅行記(過去編3)

2017年1月 大鳥神社(滋賀県甲賀市)

天台宗福生山 櫟野寺(滋賀県甲賀市)

油日神社(滋賀県甲賀市)

2017年の元日は初詣に地元の社寺3つを巡る三社参りからスタートしました。

2017年なんてこの前だと思っていたのにもう5年も経ってるのかぁ・・・。子どもも大きくなるし、自分も年を食う訳ですね・・・。

敢國神社(三重県伊賀市)

この年は元日に伊賀の一宮である敢國神社にも参拝したから四社参りになっちゃいました。

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旧 崇廣堂(三重県伊賀市)

三重県伊賀市街の中心部にある旧崇廣堂(すうこうどう)は伊勢国津藩の第10代藩主 藤堂高兌が伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するために津の藩校・有造館の支校として伊賀の地に建てたものです。

嘉永7年(1854年)に伊賀地方を襲った安政伊賀地震で建物の大半が大破したそうですが、翌年には復興され、明治の世になってからは小学校や市立図書館として使用されていた時期もあったそうです。

この講堂は地震の被害を免れ、創建当時の姿を留めています。

当時、この広間で藩士の子供たちが机を並べて勉学に励んでいたんでしょうね。

息子もあやかりたいものです。。

滋賀では小学5年生になると県内の全ての児童が滋賀県立琵琶湖フローティングスクールの学習船「うみのこ」に乗って、1泊2日で琵琶湖学習の船旅に出掛けます。

管理人は滋賀出身ではないので、それまで全く知りませんでしたが、とても素晴らしい取り組みだと思いますね。

天台宗釈迦山 百済寺(滋賀県東近江市)

聖徳太子の開基と伝わる百済寺へやってきました。

数日前に大雪が降って、拝観はこの前日まで停止されていたということでした。

大きな草履がぶら下がった仁王門は、『百寺巡礼』の作家・五木寛之氏が35番目としてこの百済寺を訪れた時にこの大草鞋に触れ満願成就の願を掛けたことで有名です。

本堂では御本尊として十一面観音菩薩(植木観音)をお祀りしています。

聖徳太子孝養像は将軍 徳川家光から寄贈された極彩色の聖徳太子像です。

家光の乳母、春日局が生前に大奥で大切に拝んでいた像だと云われてます。

かつて、宣教師ルイス・フロイスが「地上の楽園」と称した百済寺一千坊は天正元年(1573年)に近江守護六角氏と対峙した織田信長の焼討でそのほとんどを焼失してしまいました。。

島ヶ原温泉やぶっちゃの湯(三重県伊賀市)

エントランスに飾ってあった節分の縁起物。

近くの観菩提寺正月堂で2月の修正会で使われる鬼頭と餅です。

天平勝宝4年(752年)の創建以来、1200年以上の歴史を持つ正月堂の修正会は僧侶によるたいまつを使った儀式もあり、奈良東大寺二月堂のお水取りの起源だとも云われてます。

修正会の大餅会式では、周辺の講からシュロで作った鬼の頭と円柱形の大きな餅を持った住民が正月堂に集まって来ます。

つづく

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (murasaki)
2022-04-28 20:02:30
管理人さん、こんばんは😃🌃

「うみのこ」懐かしいです、最も私は滋賀県生まれ
育ちですがその頃は、なかったです(笑)、
あれは、良い勉強と体験になりますね、一時期、
京都府の学校が体験をしたいと申込みして、
ちょっと忘れましたが、何年かは受け入れしていたのか?途中で、滋賀県側が断ったとか?
税金で賄われているので全て只、そこが京都の学校に
したら魅力の一つかもですが、滋賀県が、断って
当たり前です、近年は、コロナで中断しているのでしょうか?
湖東三山で、百済寺が一番印象に残っています、
紅葉の時期に行ったので、物凄くキレイな紅葉で
参道は、石段で、こけがとても美しいと思いました、
私が聞いた話では、信長の焼き討ち時に、
宇曽川のウソは、(あそこは多賀町?、無理に炎を出して、もう、焼き討ちしました!と信長の軍勢を
騙した事から、宇曽川と川の名前がついたと
聞きました、その他、よく似た事をして
免れて、ご本尊だけでも守った、とか聞いてますが
関連して、プーチンは、信長に似ているといつも
思っています(笑)。
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Unknown (masa)
2022-04-30 20:29:25
murasakiさん>
コメントありがとうございます。
うみのこ、この3年間は日帰りでの学習だったみたいですね。
せっかく2018年に新型船が登場したのにちょっと残念ですね。
紅葉の百済寺はまだ行ったことないので、ぜひ行って見たいです。
信長が焼き討ちしたにもかかわらず、安土城の大手道は百済寺の石段をモデルにしたそうですよ。
宇曽川の名前の由来は初めて聞きました。興味深い逸話ですね。
いつもありがとうございます。
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