令和6年10月25日(金)
名古屋鉄道主催 2024年 秋 常設開催❻
「❽開創1300年!!奈良時代から続く財賀寺のご開帳」の続きです。
コースは再び山の中へ
川が流れている
団地のような建物があらわれました。
市営野口住宅と書かれていました。
田畑が広がりました。
山ではなかったようで安心しましたw
道路からあの小径へ進んで行きます。
抜け道かしら?
黄色いオシロイバナが咲いていました。
ちょっと赤くなっている。
ムカゴ
カラスウリの実が生っている。
ここ何だろ?
本当に抜け道のようですw
ここでコースは分岐します。
左の道へ進みます。
見覚えのある道。。。
以前は真冬に来たので、少し景色が違っていましたが。。。
確か右側の上には池があったような。。。
気にせず通過していきます。
タラの樹。
トゲトゲいっぱいw
(○'ω'○)ん?
これは何だろ?
水槽?
あ!
メダカだ。
いろいろな種類のメダカが飼育されていました。
真っ直ぐ進んで来ると、見覚えのある場所に到着しました。
目的地「三河国分寺跡史跡公園」です。
本当は三河国分尼寺史蹟公園ですが。。。
大昔、ここに国分尼寺がありました。
女性の僧侶の寺院です。
ここから南西5百メートルほどのところに男性の僧侶の寺院、国分寺跡があります。
国分寺と国分尼寺は、
奈良時代に聖武天皇の命令で全国六十余か国の国毎に建てられた官立の寺院です。
発掘調査の結果、この三河国分尼寺跡には、かつては約150m四方の敷地に、
本尊を安置した金堂、尼僧が勉学した講堂、尼僧の共同宿舎であった尼房、
時刻を知らせた鐘楼、仏教経典などをおさめた経蔵、
中門と講堂をつなぐ渡り廊下としての回廊、
寺院正面の門である南大門などの建物が軒を連ねていたことが確かめられ、
瓦や土器などの数多くの遺物が出土しました。
今は礎石だけが残っています。
金堂の礎石
礎石のあるところは広いです。
大昔、こんなに大きな寺院があったということは、
この地域が重要な拠点だったということが伺えます。
史蹟 三河国分尼寺跡
今は中門と回廊の一部が復元されています。
これから資料館の方へ行ってみます。
長くなりましたので、続きはまたにします。