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お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

関宿旅籠玉屋歴史資料館(2)

2022年11月14日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

旧東海道 関の街道にある関宿旅籠玉屋歴史資料館の続きです。

過去記事<関宿旅籠玉屋歴史資料館(1)

玉屋は関宿でも人気の大旅籠だったそうで、その建物は関町の文化財に指定され、旅籠で使われていた道具類や庶民の旅に関係する歴史を知ることができました。

客室の雰囲気は今の和室旅館と変わりませんね。

部屋食(笑)

どんなお料理だったのか気になりますが、飯に一汁三菜って感じでしょうか

当時の旅人の携行品も展示されてました。

矢立ては筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記具ですね。本物は初めて見たかもしれません。

興味を持ったのはこの旅行用心集。

旅行用心集は文化7年(1810年)に八隅蘆庵が記した旅行ガイドブック。

泊屋での蚤除け方法、寒国旅行の心得や道中所持すべき薬や用具を細かく紹介してあるそうで、『地球の歩き方』みたいなガイドブックだったんじゃないでしょうか(笑)

上の獅子みたいな変な生き物は白澤(はくたく)。

人間の言葉を解し、万物の知識に精通するとされる中国に伝わる瑞獣・神獣・聖獣の類で、その姿を描いた図画は魔除けのお守りとして使われたそうです。

また、「可愛い子には旅をさせよ」と言った教えもこの本が元ネタなんです。

東海道の名所が描かれた綺麗な屏風絵にも目を惹かれました。

三重桑名から京都までの部分をパチリ

真ん中が鈴鹿山系で右は伊勢湾、左は琵琶湖、京都ですが、凄い構図ですね~

まるで映画のセットみたいな関宿の街道紹介はこれでおしまいですが、実際は1.8kmにおよぶ関の街並みの1/3ほどを歩いただけでした。

また、機会があれば訪れてみたい場所です。

おしまい

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関宿旅籠玉屋歴史資料館(1)

2022年11月12日 16時00分00秒 | 行楽・旅行記3

三重県亀山市の旧東海道 関の街道を歩きます

関宿旅籠玉屋歴史資料館に入りましたが、外観の写真撮るの忘れちゃった

玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほど、関宿を代表する大旅籠のひとつだったそうです。

講札が飾られてますね。

旧玉屋は江戸時代の旅籠の様子を今に伝える貴重な建造物として関町の文化財に指定され、旅籠で使われていた道具類や庶民の旅に関係する歴史資料が展示されていました。

宿泊客の食事の支度のために使われた古道具。

こちらにはお酒の徳利やお銚子も

昔も今も変わりませんね(笑)

土蔵の1階には『東海道五十三次』を描いた歌川広重の本物の浮世絵が数枚展示されてましたが、写真撮影は禁止でした

2階には玉屋の屋号に因んで宝珠の模様の入ったお椀や小皿がありました。おそらく上客向けに使われていたものなんじゃないかと思います。

襖の裏張りに使われていた古い宿帳。

江戸時代にこの旅籠に泊まったらどんな感じだったんだろう?とイマジネーションを掻き立てられる玉屋歴史資料館、続きはまたあらためて!

つづく

過去記事<旧東海道関宿 関地蔵院

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旧東海道関宿 関地蔵院

2022年11月11日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

関宿の中心にある地蔵院なるお寺にやって来ました。

九關山寶藏寺 關地藏院は天平13年(741年)に奈良東大寺の僧 行基が諸国で流行した天然痘から人々を救うためにこの関の地に地蔵菩薩を安置したことが始まりと伝えられています。

本堂(重要文化財)

本尊の地蔵菩薩像は日本で最古の地蔵菩薩なんだそうです。

「関のお地蔵さん」の名で親しまれ、古くから東海道を旅する人々の信仰も集めてきました。

鐘楼は寛永22年(1644年)の建立で国の重要文化財に指定されてます。

この関地蔵院にはあの一休さんにまつわる逸話も残ってます。

修繕をした地蔵菩薩の開眼供養をしてほしいと考えていた村人たちが、関宿を通りかかった一休和尚に頼んだところ快く引き受けてくれました。しかし、一休和尚は「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ いでぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」と詠み、立小便をして立ち去ってしまいました。

これに怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じました。あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、地蔵の首にかけるようにと古びた下帯を手渡され、言われたとおりにしたところ、高熱は下がったといいます(亀山市観光協会HPより引用)。

一休和尚は開眼供養をしなかったのでは無く、詠んだ歌には「釈迦が人々を救った時代は過ぎ、弥勒菩薩はまだ現世に現れない今、末法の世を救うのは地蔵菩薩だけである。どうぞ眼を開けて下さい」という意味がありました。

釈迦入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるまで現世に仏が不在となるため、その間に人々を救うのが地蔵菩薩と云われてますからね。

愛染堂

愛染堂は元禄13年(1700年)に地蔵堂から新しい本堂に地蔵菩薩が移されたあとに愛染明王が祀られたのでそう呼ばれるようになりました。鎌倉室町期の建築様式が見られ、昭和25年に国の重要文化財となりました。

つづく

過去記事<関まちなみ資料館

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関まちなみ資料館

2022年11月10日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

旧東海道五十三次の宿場町、関宿の街道を歩きます

関の山車会館で資料館3か所の共通券を買っていたので、この『関まちなみ資料館』にも入ってみます。

この資料館は旧別所家の邸宅で関宿を代表する町屋のひとつ。町屋で使われていた道具類や町並み保存事業による関宿の移り変わりなども知ることができました。

これは箱階段。

2階に登る階段ですが、いわゆる階段下のデッドスペースが引き出し式の収納庫になってました。

箱階段を上がった2階にはこの家で見つかった江戸時代の天目茶碗などの焼き物が展示されていました。

この暗さ、妙に落ち着きます(笑)

明治時代の初期に有栖川宮が宿泊された時の宿札。

離れの2階はまちなみ保存コーナーと称し、関宿の街並みの変遷の様子がパネル展示されてました。

関宿は東海道往時の面影を唯一残す歴史的街並みとして、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。関宿には江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町屋が200棟以上も残っており、そうした歴史的建造物を伝えていくため、住居者の協力を得て保存修復工事も行ってきたそうです。

また、新しい建物については周囲の街並みと調和させるための基準もあります。整備前は電柱もあったそうですが、今は無電柱化されていて、より昔の街道らしい美しい街並みになりました。

何かお婆ちゃんの家みたいで懐かしい雰囲気。

大きな振り子式の柱時計は今となっては古い民家の象徴ですね。

銭箱と銭皿

火鉢

かまど

自転車が一般的になったのは昭和に入ってからですが、これは明治10年代に製作された自転車だそうです。

ペダルで前輪を直接回すタイプで、後輪は極端に小さいのが特徴ですね。

こういった前輪、後輪のサイズが極端に異なる自転車はオーディナリー型と呼ばれます。

貴重な一品を見ることができました。

つづく

過去記事<仇討烈女 関の小万

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仇討烈女 関の小万

2022年11月08日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

旧東海道 関宿をぶらぶら散策してると福蔵寺というお寺がありました。

織田信孝卿菩提所と英照皇太后陛下駐泊所と書かれた石柱に惹かれて入ってみました。

天台真盛宗 清浄山 福蔵寺

草創は天正11年(1583年)で、織田信長の三男であった織田信孝の菩提寺として創建された寺院です。

天台真盛宗の総本山は滋賀県大津坂本の西教寺ですね。信長の比叡山焼き討ちの後、その麓の坂本は明智光秀の領地になり、西教寺は光秀とも所縁の深いお寺です。

信長を討った光秀に縁のある西教寺を本山とする寺院が織田信孝の菩提寺になってるのもちょっと不思議な感じがします。。

本堂に安置されたご本尊は阿弥陀如来像ということ。

観音堂(上写真)には馬頭観世音菩薩像、薬師堂(下写真)には薬師如来像が祀られ、関宿の守護神として厚く信仰されてきたそうです。

また、このお寺には幕末期の孝明天皇の皇后であった英照皇太后が宿泊された書院もあるそうです(非公開)。

織田に所縁があることがこの木瓜紋でも分かりますね。

織田信孝は本能寺の変で亡くなった信長の冥福を祈るため、旧臣の大塚儀左エ門長政に命じてこの寺の建立を始めました。しかし、信孝は羽柴秀吉との後継争いに敗れて自害させられ、長政はこの寺に信孝の首を持参して信孝の菩提寺となりました。

信孝の墓石はその後不詳となってしまったため、400年忌の時に改めて墓石を建立したそうです。

また、境内の一角に「関の小万(こまん)」の墓と碑がありました。

関の小万って誰

久留米藩士の妻が夫の仇討ちの旅に出た途中、関宿の旅籠 山田屋で産んだ女の子が小万でした。

母がまもなく亡くなってしまったため、小万は山田屋に引き取られ、母に変わって父の仇を討つために15才から亀山の道場に通い剣術修行をしていたそうです。

天明3年(1781年)、ついに仇討ちの本懐を遂げ、その後は育ててくれた山田屋で働き、享和3年(1803年)に亡くなりました。

長唄や歌舞伎踊りにもこの関の小万の逸話をモチーフにしたものがあるそうですね。

そして、今は会津屋という屋号になってますが、ここが小万の居た旅籠の山田屋です。

逸話の舞台が今も残っていることに驚きです

つづく

過去記事<旧東海道関宿をぶらぶら(2)

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旧東海道関宿をぶらぶら(2)

2022年11月07日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

三重県亀山市、鈴鹿山系の東側の麓、旧東海道の宿場町 関宿をぶらぶら歩きます

百六里庭なる施設が目に入りました。

百六里庭は平成10年に当時空き地であったこの場所に近隣住民や小学生らのアイデアによって作られた小公園だそうです。

東海道の東の起点、江戸日本橋から106里(およそ400km)にあたる場所であることがその名前の由来になってます。

庭園前の眺関亭は2階の屋根部分をくり抜いた展望台になってて無料で上がることができました。

西側には鈴鹿山系を望みます。

昔の旅人は凄いですよね。関宿で宿泊し、翌日はあの鈴鹿の山を越えて土山宿に達する訳ですが、あの山を越えるのか~と思ったら、管理人ならテンションだだ下がりです(笑)

ポケモンのミジュマルがこの街の雰囲気から浮いちゃってますが、ミジュマルは三重県応援ポケモンなんです。

川北本陣跡

関宿には川北本陣と伊藤本陣の二軒の本陣がありました。

本陣は参勤交代の大名や、公家、幕臣などが宿泊した格式の高い宿泊施設で、関宿では両本陣とも栄えたそうです。

こちらはレトロをモチーフにしてるゲストハウスでした。

薬局もめっちゃレトロ

このお店は大正時代に創業した足袋屋さんで、東亜という名前が歴史を感じさせますね。

ペット同伴OKなドッグカフェやトリミングのお店のようですが、食べログを見ると閉店してるみたいでした。。

お昼の時間帯も近づいてくると、次第に観光客の姿も増えてきました。

つづく

過去記事<旧東海道関宿をぶらぶら(1)

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旧東海道関宿をぶらぶら(1)

2022年11月06日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

名古屋と大阪を結ぶJR関西本線の関駅は明治23年に開業した駅で目の前には国道1号線が通ってます。

この関駅から300mほど北に行ったところに旧東海道五十三次47番目の宿場町、関宿の街並みが残っています。

鉄道が開業したことで街道としての役目を終え、国道1号線が旧東海道からズレた位置に敷設されたため、今も昔の面影を残す街並みがおよそ1.8kmに渡って残されました。

古さとモダンさが組み合わされた町屋。

三番町山車倉

桶屋さんではご主人が手作りで桶を作ってました(許可を得て撮影しています)。

古き良き日本の風景って感じがしますね

こちらはアンティークショップの明治屋さん。

現在に続くこの関宿の町並みは16世紀末に伊勢国領主で戦国武将であった関盛信が領内の道路を改修したことに始まり、慶長6年(1601年)に徳川家康が行った宿駅制度で東海道47番目の宿場となってから本格的に整備されました。

関郵便局の建物もなんか凄いぞ

観光地にはお約束、手作り感満点の顔出しパネル(笑)

ポストじゃなくて書状集箱だって

もちろん、街の景観に合わせてこんなポストにしたそうですが、この形は東京の逓信総合博物館に所蔵されている日本最古のポストを模して作成されてます。

つづく

過去記事<関の山は関の山車

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関の山は関の山車

2022年11月05日 16時37分01秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

三重県亀山市、西に鈴鹿山系を望む関町にある旧東海道関宿は重要伝統的建造物群保存地区、日本の道100選にも選定され、伝統的な町家が200棟以上現存しています。

百五銀行も街並みに合わせてこんな感じ。。

今週末には第35回 東海道関宿 街道まつりが開催されるみたいですね。

関の山車(せきのやま)会館なる資料館があったので入ってみました。

この会館と「関のまちなみ資料館」、「関宿旅籠玉屋歴史資料館」の共通券を買えば¥500で全て見学できます。

この建物は関宿の近代産業を代表する関萬古(焼き物)の窯元、三谷家の屋敷だったそうで、主屋、土蔵、離れ座敷が公開されてました。

窯元らしく、いくつか焼き物も展示されていて、写真は金虹焼獅子形香炉。

土蔵の中には関神社の旧神輿が飾られてました。

関の山車会館は2019年にオープンした施設で、関宿祇園夏祭りの歴史・文化を後世に伝えるため、関の山車と歴史的な関係資料が展示してありました。

そしてこの収蔵庫の中には関宿祇園夏祭りで使われる4基の山車のうち、2基が常設展示されてます。

中町四番町の山車

木崎の山車 

いずれもガラス越しなので、鮮明に撮影できなかったのが残念。。

「~が関の山」という慣用句は「それ以上はできない」、「それが限界だ」、「それが頂点だ」と言う時に使われますよね。

関町の八坂神社祭礼祇園会に出る山車(やま)が非常に豪華で、それ以上の贅沢はできないと言われたことから、「そこが頂点である」という意味の「関の山」という言い方が生まれたとされます。

まさかこの関の山車が関の山の語源だとは思いもしませんでした

こちらは牛乳パックや段ボールで作られた山車の模型。

提灯はどん兵衛のカップをふたつくっつけて作ってあるそうです(笑)

見学を終えて出ようとしたら、受付の方から「明かり取り窓はご覧になりましたか?」と聞かれ、案内して頂きました。

主屋の一部屋の天井が高く、その先から外の光を取り入れる仕組みで、古い町屋にこんな構造があるなんて驚きです

つづく

過去記事<旧東海道関宿へ

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旧東海道関宿へ

2022年11月04日 21時18分52秒 | 行楽・旅行記3

11月4日

今日は朝9時頃に家を出て、三重県亀山市の旧東海道 関宿に行ってきました。

途中、休耕田を使ったコスモス畑に立ち寄ってパチリ

ここは昭和30年に造られた農業用水のための大原貯水池(大原ダム)。

朝晩の気温が低い地域なので、この辺りのモミジはだいぶ紅葉が進んできてますね。

正面の鈴鹿山系を越えて三重県亀山へ向かいます。

江戸時代の東海道は鈴鹿山脈の東側に関宿、西に土山宿がありました。

関町にある『うなぎの初音』さんは有名なお店で、いつも昼前になるとお客さんの行列ができます

JR関西本線 関駅から北に300mほど行くと、そこは旧東海道五十三次の47番目の関の宿場町。

壬申の乱の頃に伊勢鈴鹿関が置かれたところで、それ以降も交通の要衝となっていました。

現在の関宿はおよそ1.8キロメートルに渡って伝統的な町家が200棟以上現存し、重要伝統的建造物群保存地区、日本の道100選にも選定されてます。

旧東海道の宿場でこれほど昔の街並みが残っているのは珍しいそうです。

続きはまたあらためて。

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東近江秋まつり2022 二五八祭り

2022年11月03日 18時57分13秒 | 行楽・旅行記3

11月3日

3年ぶりに滋賀県東近江市で開催された『東近江秋祭り2022』の二五八祭りに行ってきました。

例年は二五八祭りと農林水産祭りが2日連続で行われますが、今年は二五八祭りが11月3日、農林水産祭りが11月19日の開催となりました。

二五八祭りはかつて東近江市(旧 八日市町)で2、5、8の付く日に市が立ったことに由来しています。

会場となった東近江市役所の駐車場は商いの広場と称し、飲食や東近江の名産の露店が立ち並びました。

京風たこ焼きの咲たこさんには長蛇の列ができてました。。

午後2時頃に訪れたのに飲食系の露店にはまだまだたくさんの人が並んでます。

そりゃ3年ぶりの楽しいお祭りですからね。物価高と言えど、この時ばかりは財布の紐も緩んじゃいますよね。

こちらは東近江市の名産のブース。

ステージではダンスパフォーマンスも!

市役所前の想の広場にあったモザイクアート。

女の子の髪の毛あたりをアップで撮ると、全て小さなサイズの写真でできてました(驚)

きっと市民の皆さんから寄せられた写真なんでしょうね。

童の広場では子ども向けに職業体験や交通安全関係のイベントが開催されてました。

高所作業車のバケットに乗せてもらった子供たちも嬉しそうです

東近江消防本部のレスキュー工作車や滋賀県警のパトロールカーの運転席に乗って写真を撮れるってことで、子供もお母さんもはしゃいでます

こちらは近江タクシー×戦国無双5 コラボの織田信長タクシー。

これ、特注トミカで出してくれなかな(笑)

フリーマーケットゾーンも凄い人出だ。

ジャンクトミカを売ってるブースもありましたが、最近のモノが中心でめぼしいお宝はありませんでした。。

別に何を買う訳でもなくお祭り会場をブラブラするだけでしたが、何かテンション上がっちゃったな(笑)

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大阪城と鉄道開業150周年

2022年10月25日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

ミライザ大阪城を出て天守閣前にやって来ました。

おーっ、めっちゃ人がいる!

まだ完全にコロナが終息した訳ではありませんが、久しぶりに見る光景にちょっと嬉しくなっちゃいました。

抜けるような青空に映える大阪城も見事です

本当は数十年ぶりに天守閣に登ろうと思ってましたが、チケットを買うのも長蛇の列だったから、また次の機会にしておきますか。。

天守閣前には大阪城夢祭のステージが設置され、ステージ上の桐紋と瓢箪のパネルの前で写真を撮ることもできました。

Yahooニュースで見ましたが、イベントのオープニングセレモニーでは松平健さんがここでマツケンサンバを踊ったんですね。

内堀を巡るの黄金の和船にも観光客が乗り込んでました。

大阪城散策はこれでお終い。JO-TERRACE OSAKAを通って駅に向かいます

大阪では有名なお好み焼きの千房(ちぼう)。

駅前パーラー JO-TERRACE OSAKA

結婚式場のキャッスルガーデン大阪の前にエレクトリックトレインがやって来ました。

結婚式の前撮りかな? 末永くお幸せに!

JR環状線で大阪駅に戻り、大丸梅田店のトミカショップで未購入のオリジナルモデルやイベントモデルをお買い上げ。

トミカショップで先行発売されたジブリトミカはとなりのトトロのネコバスと千と千尋の神隠しの海原鉄道は売り切れになってました。通常販売は来月からで既に予約してるので大丈夫です。

ポケモンセンター大阪にも海外からのお客さんが戻ってきてました。

ゲームメーカーのカプコンのSTORE & CAFEがオープンするんだね。。

JR大阪駅 中央口

10月14日は鉄道開業150周年でした。

中央口では鉄道開業150周年ポップアップショップがオープンしていて、記念グッズが販売されてました。

鉄道むすめシリーズの黒潮しらら(左のパネル)のフィギュアがないかなと思いましたが、売ってませんでした。。

黒潮しららは和歌山白浜駅の運輸管理係をモチーフにしたキャラクター。アドベンチャーワールドに因んでパンダを持ってます(笑)

白浜駅では夏になると駅員さんたちがみんなアロハシャツで勤務することでも有名です。

家族にお土産として岡山のきびだんごと三陸岩手のかもめの玉子を買いました。

伊勢の赤福と鉄道150周年のコラボ商品は売り切れみたいでした・・残念。

さて、この後は京都で途中下車してまたブラブラしてきまーす

過去記事<ミライザ大阪城

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ミライザ大阪城

2022年10月24日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記3

ミライザ大阪城のこの建物は旧大日本帝国陸軍第四師団司令部庁舎として昭和6年に完成しました。

前大戦後はアメリカ軍に接収され、返還された後は大阪市警察庁、大阪府警本部としても利用されたそうです。

そして昭和35年から平成13年までは大阪市立博物館になっていました。

玄関を入ると目の前には重厚な石造りの階段がありました。

あっ!ミッフィーのパネルが写っちゃってる(爆)

大阪市立博物館が閉館した後は13年間閉鎖されていた建物でしたが、平成29年に商業施設としてリニューアルオープンしました。

シャンデリアも豪華ですね。

90年に渡って戦争の時代、平和な時代を見てきた歴史的な建造物です。

忍屋(SHINOBIYA)は戦国・和小物専門のスーベニアショップ。

修学旅行生たちが賑やかにお土産を選んでる姿にほっこりしました

こちらもお土産物屋の「大阪城本陣」。

海外からの観光客にもウケそうなグッズがたくさん並んでました。

なにわ串専門店の「えんにちや」に「みっふぃーおやつ堂」。

一階にはこの他、「タリーズコーヒー」や「THE KONAMON BAR RIKYU」がテナントとして入っていて、2階、3階にはイタリアンやバー、BBQレストランがあるみたいでした。

大阪城の歴史を紹介した「特別史跡 大阪城跡」のコーナーもありましたよ。

現在の大阪城は豊臣家が滅んだ後に盛り土をして、徳川幕府が大阪城を再築城しました。

なので、見えてる部分は徳川期以降のもので、秀吉の大阪城や石山本願寺遺構は地下に埋没した状態になってます。。

天守閣の南東側で長いこと工事が行われてましたが、発掘された豊臣時代の石垣の展示施設を作っていたんですね。

公開が楽しみです

つづく

過去記事<大阪城西の丸庭園 ライブ準備中

 

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氏郷まつり楽市楽座 2022

2022年10月23日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月22日

滋賀県蒲生郡日野町の日野町役場駐車場で開催された『氏郷(うじさと)まつり 楽市楽座』に妻と出掛けてきました。

コロナ禍前はほぼ毎年訪れてましたが、昨年、一昨年はコロナで中止となってました。

露店の数やお客さんの数は例年に比べると少な目でしたが、地元のイベントによく出掛けていた頃に戻ったみたいでワクワクしちゃいますね~(笑)

いつも人気の唐揚げ、焼き鳥のお店。

店先で焼いてるから、ついつい匂いに誘われちゃいます(笑)

子供たちにとっても楽しいイベントでしょうね。

このコロナ禍で子供たちも色々不自由な生活をしていたでしょうから。

毎年5月に開催される日野祭の曳山。

ステージではマジックショーが行われてました。

田舎町のイベントだから地元の野菜や木工製品を販売するお店が多いですね。

こんななめこの原木も売られてました

このブログでも度々紹介している戦国武将 蒲生氏郷グッズも色々。

蒲生氏郷はここ日野出身の武将ですが、秀吉の元で伊勢松坂城主になったことから、三重県松阪市でも同じく「氏郷まつり」という名前のイベントがあるそうです。

上のイラストのマントに書かれたLEON(レオン)はキリシタン大名であった氏郷の洗礼名ですね。

日野の鎌掛地域の女性たちが立ち上げた地元食材を使った惣菜販売のお店「かますけ工房」さんで好物のくさ餅をお買い上げ

鹿の角も売ってる

帰りは近江牛専門店の岡崎さんで牛肉を購入。

豚や鶏肉はスーパーで買ってるけど、牛肉はここでまとめ買いして冷凍保存しています。

イベントで貰ったブロッコリースプラウトの水耕栽培セット。さっそく育ててみよーっと!

 

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大阪城西の丸庭園 ライブ準備中

2022年10月22日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

もう大阪城公園は数十回訪れてるのに、初めて西の丸庭園(有料)に入ってみました。

庭園から見る天守閣も綺麗ですね

茶室がある豊松庵には入れませんでした。。

大阪城と言えば豊臣秀吉が茶聖 千利休を招いて茶の湯を楽しんだ場所でもありますからね。

この豊松庵は経営の神様 松下電器の松下幸之助氏が寄贈し、昭和44年に完成したそうです。

この西の丸庭園はもともと大阪城代屋敷があった場所でした。

大坂夏の陣の後、大阪は徳川幕府の直轄領となり、1620年からは大阪城の再築城も始まり、城内には城の防衛や維持の最高責任者たる大阪城代が置かれ、城代屋敷は本丸御殿につぐ規模の大きさだったそうです。

しかし、その城代屋敷も幕末維新の混乱の中、火事で焼失してしまいました。。

今は芝生の広場になってる城代屋敷跡では工事車両が慌ただしく出入りして何やら作ってました。

これ、今日18:00から開催されてる『大阪城夢祭 関西ジャニーズ Jr. DREAM LIVE 2022』のライブステージの設営でした。

おかげで大阪迎賓館の写真が撮りにくかったけど、珍しいもんを見ることができました(笑)

千貫櫓は土日に公開されていて、中にも入ることができるようでした(ただし別料金・・)。

ライブの時は天守閣もライトアップされたりするんかな

と、ここで一旦タイムアップ!

病院に戻って診察を受けてから再び今度は本丸に向かいます。

公園内に屋台が出てるなんて2年半ぶりの光景でした

内空堀の緑が綺麗

桜門を通って本丸に向かいまーす

つづく

過去記事<大阪城西の丸庭園  大阪迎賓館

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大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館

2022年10月22日 04時00分00秒 | 行楽・旅行記3

10月19日

大阪城大手門から城内へ入ります。

9時を過ぎると、観光バスが次々と到着し、修学旅行生たちがたくさんやって来ました。

こういったコロナ禍前の日常に戻りつつあるのを見ると嬉しくなっちゃいます

欧米からの観光客もチラホラ。

多聞櫓をくぐってすぐの所に西の丸庭園の入り口があります。

入園料を払っていざ西の丸庭園へ初入場

国の重要文化財の焔硝蔵(えんしょうぐら)

徳川幕府が鉄砲や大砲に使う火薬を保管していた蔵で貞亨2年(1685年)に建造されました。

焔硝蔵は当時城内に数か所あったそうですが、青屋口にあった蔵は万治3年(1660年)に落雷で大爆発を起こしたそうです。

蔵の入り口。

幕府は焔硝の保管方法に苦労したらしく、この焔硝蔵は耐火、耐久、防水に工夫を凝らし、床、壁、天井、梁は全て花崗岩を使い、壁の厚さは2.4mもあります。

庭園の一番奥にあるのが大阪迎賓館。

1995年のAPEC大阪開催のために造られた建物で、2019年にはG20大阪サミットの夕食会場としても使われました。

今は宴会場、結婚式披露宴会場としても利用されてるそうですね。

入り口は北側にあって、中を覗くと玄関に一の谷馬藺後立付き兜の秀吉甲冑がありました。

つづく

過去記事<大阪城  市民の森から大手門へ

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